第34話 僕のことなんて、忘れてくれてよかった

 翌朝。

 ケイトは家からほど近い森の中へ足を運んでいた。

 昨夜のうちに仕込んでおいた、イカの一夜干しと塩辛用のイカを取り込むためである。


 手頃な木と木の間に張ったロープに、ヒラヒラとイカの開きが吊り下げられている。

 イカの一夜干しは、表面が乾いてちょうど良くなっていた。

 食べる前に軽く炙ったら、こちらは完成である。


 塩辛の方も、ワタから水が出て、胴の表面が適度に乾いていた。

 このあとは、ワタを洗って塩を落としたあと、肝を絞り出し、胴は食べやすいように刺身のように切る。たたいて滑らかにしたワタとイカの胴を混ぜ合わせたら、塩辛はほぼ完成だ。


 しっかりと混ざった塩辛は、清潔な容器に入れて保存する。

 ただし、イカには寄生虫も多いので注意が必要だ。


 安心して食べるには、一度冷凍させてから食べるのが効果的である。

 一日以上冷凍させ、その後食べるタイミングで自然解凍するのが望ましい。


 帰宅して、どうしようかと悩んでいたら、すぐそばにいたベルが魔法で凍らせてくれた。

 食材を凍らせるには絶妙な力加減が必要なのだが、ベルは息をするように自然に行う。

 そんな彼女に、ケイトは尊敬の意を抱いた。


 さて、さらに翌日のことである。

 ケイトは約束通り、ルシフェルに塩辛を渡すために湖へと向かった。


 酒のさかなに目がない様子だったので、ついでに一夜干しも包む。

 これくらいでルシフェルがベルとの仲を取り持ってくれるとは思わないが、アスモへの口止め料代わりにはなる……と、思いたい。


 特に時間を指定されたわけではなかったが、なんとなくそんな気がして、前と同じ時間を選んだ。


 待つついでに釣りでもしているかと釣り道具も持参したのだが、どうやら不要だったらしい。

 前回会った時と同じ場所で、ルシフェルはケイトを待っていた。


「やぁ、ケイト。待っていたよ」


 立ち襟のスーツにスカーフを合わせた華やかな出で立ちは、どことなく異国のマフィアを彷彿ほうふつとさせる。

 月を背面にして振り返った彼は、たった今湖に人を沈めてきたと言われても驚かないくらい、意味深な笑みを浮かべていた。


「塩辛は持ってきたのか?」


「ああ、ここに」


 持ってきた包みを持ち上げると、ルシフェルは目を細めた。

 獲物を前にした猫のような目に、ケイトは反射的に身を竦める。


 どこからどう見ても、怪しい取り引きをしている二人にしか見えない。

 もっとも、取り引きしているブツは塩辛なのだが。


 持ってきた塩辛と一夜干しを渡すと、ルシフェルはいそいそと包みを開き、中身を確認する。

 手のひらサイズの瓶に入った塩辛と、一夜干しが数枚。決して多くはないが、酒の肴にするには十分だろう。


「確かに」


 確認し終えたルシフェルは、丁寧に包み直したあと、大事そうに抱え込んだ。

 これで用事は終わったな、とケイトはルシフェルを見送るつもりで待っていた。と、その時だった。


「それで、だ」


 どうやら、彼の用件は塩辛だけではなかったらしい。

 今度は何を言われるのだろうと身構えるケイトに、ルシフェルは深々と頭を下げた。


「すまない。本当は前回言うつもりだったのだが……酒の肴と聞いてすっかり伝え忘れてしまった」


 どれだけ酒が好きなのだろうか。

 次期魔王とうわさされる完璧な彼にも欠点があるらしいと、ケイトは思いがけず気安さを覚えた。


「それで、何を伝え忘れたんだ?」


 緩んだ空気をごまかすように、ルシフェルは咳払いをする。

 傲慢ごうまんの名を持つ彼はミスをする自身をも許せないのか、渋面で告げた。


「……人の国から、使者が来るそうだ」


 こんなことは前代未聞だ、とルシフェルは言った。


 人の国から地の国へ行ける者は、勇者とその仲間だけだと決められている。

 魔王討伐のため。その大義名分があるから、地の国への道が開かれるのだ。


 だが、勇者だったケイトは敗北し、仲間を帰還させる代わりに単身で残った。

 それはつまり──、


「僕が勇者として出来損ないだったから……新たな勇者が現れたのか?」


「いや、違う。そもそも勇者は、世襲制ではない。一定の周期で現れる存在ではあるが、血のつながりは関係ないのだ。次の勇者は、まだ存在しない。使者たちの目的はおまえだ、ケイト」


「……まさか」


「そのまさかだ。使者たちは、おまえを迎えに来るつもりなのだろう。おまえとの約束を、守るために。けなげなことだ。阿呆とも言うがな」


「……僕のことなんて、忘れてくれてよかったのに」


「本当にな。おかげで魔王城は大変なことになっている」


「すまない」


「謝るな、おまえのせいではない……と言ってやりたいが、おまえのせいだな」


「……」


 どう反応していいものかと戸惑うケイトに、ルシフェルは肩を竦めた。

 冗談のつもりが笑ってもらえなくて、ちょっと悔しい。つまらん、と息を吐いた。


「まぁ、良い。それで、もしも使者たちの目的がおまえを迎えに来ることだとしたら、おまえはどうするつもりなのだ?」


「どうするって」


「地の国に残るのか、それとも人の国へ帰るのか。どちらを選ぶのかと、聞いている」


 何を今更、とケイトは笑った。

 自嘲するように鼻で笑いながら、ルシフェルを見る。


「……今更、人の国へ帰れると思うか? 僕は、魔王に敗北した勇者だぞ」


 情けない顔をしている自覚はある。

 だけれどそれ以外に、どんな顔をすればいいのか。


「俺だったら無理だな。憤死する」


 真顔で答えられて、少し傷つく。

 まだ傷つくところがあったのだな、とケイトは思った。


「だろう? まぁ、そのことがなくても、地の国に残るつもりだが」


「ベルのためか?」


 間髪を容れずに問われて、首を横に振る。

 そのつもりは、はなからなかった。


「いや、僕のためだ。彼女のせいにして残れるほど、僕はまだ、必要とされていない」


「ふむ。嫌いじゃないぞ、その答え」


「はぁ……それは、どうも?」


「俺はおまえをわりと気に入っている。頼んでもいないのに一夜干しをくれた礼に、良いことを教えてやろう」


 そうして告げられたのは、ケイトにとって思いがけない事実で。

 けれど、うそだと断ずるにはあまりにも、思い当たる節がありすぎた。


「そうだな……俺が次期魔王と認められたあかつきには、おまえに爵位と領地を与えよう。ベルが降嫁するに値する、地位をな」


 すべてはおまえ次第だ。

 ルシフェルは、悪人顔でニヤリと笑んだ。






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