第31話 たかが、塩辛。されど、塩辛。

「塩辛、という料理……というか、食品がある」


「シオカラ……聞いたこともないな」


「ほら見ろ。不勉強はそちらじゃないか」


「察するに、人の国の食品だろう。ベルじゃあるまいし、俺が知るわけがない」


 ドーンと。ルシフェルは開き直った。


(開き直ったよ、この魔族ひと!)


 エッヘンと偉そうに両腕を組んで立つルシフェルに、ケイトはポカンとした。

 堂々とし過ぎていて、ツッコむ気にもならない。


 なんだか、近所のガキ大将を相手にしている気分だ。

 細かいことを突っ込んでも無駄だな、とケイトは早々に諦めることにする。


「それで? そのシオカラとやらはどんな酒に合う料理なのだ?」


 背を屈めて覗き込んできたルシフェルは、やはりかなりの酒好きなのだろう。

 ベルそっくりの蜂蜜色をした目が、期待にキラキラと輝いている。


 本当に、この魔族はなんて目でこちらを見てくるのか。

 ベルに似過ぎていて、落ち着かない。いったん落ち着くためにこの場から走って逃げ出したい。


 せめて、きっとどうしようもなく情けないことになっている顔を隠したくて、ケイトはそっと俯いた。

 こんな顔、ベル以外になんて見せたくない。そう、思いながら。


「そうだな──」


 塩辛は、魚介類の身や内臓に食塩を加えて発酵させたものである。

 そのため、同じく発酵させて作られる酒と相性がいい。


 例えば、純米酒や焼酎は原料を発酵させてつくるため、塩辛と合わせやすい。

 また、ワインも発酵させてつくるものだから、ブドウの種類や銘柄によっては合わせられる。


 塩辛は魚介類を発酵させたものだから、当然、生臭さがある。

 そのため、生臭さが広がらないスッキリとした味わいのものを選ぶのがコツだ。


「純米酒や焼酎ならキリッと辛口なもの、ワインならミネラルと酸味がある白ワインといった具合に」


「なるほど」


「酒の甘さが強すぎると塩辛の生臭さが広がってしまって、おいしく感じられないんだ」


「つまり、果実酒は合わない、と?」


「ああ、その通りだ。フルーティーな味わいの大吟醸酒も、オススメできない。果実酒も大吟醸酒も、味や香りに差があるから合わせにくい」


「ほぅ」


 今は不可能だが、酒とさかなの産地を合わせるのも定番だ。

 ゴミ溜めの森ホーディング・フォレストで育てた米でつくった純米酒と、湖で獲れたイカの塩辛……最高の組み合わせに違いない。


 あいにく、ケイトに酒をつくる心得はないが、ベルならありそうだ。

 酒というキーワードにタガメ酒を振る舞ってもらったことを思い出し、芋づる式に肩を竦めてプルプルしながら、ケイトのことをチラチラ見上げてきたベルの、守ってあげたくなるような小動物めいた姿を思い出して、つい唇が緩む。


(僕が怒らないことを心配して……それで彼女は僕のことをそばに置いてくれたんだよな)


 ふにゃあ、とだらしない笑みが浮かんだところで、ルシフェルが「おい」としかめ面で声をかけてきた。


「おまえ、どうしようもないな。また、ベルのことを考えていただろう」


 心底呆れたと言わんばかりの声音に、ケイトが「ぐ」とうめく。


 わかっているのだ、どうしようもないことくらい。

 だが改めて指摘されると、思っている以上にどうしようもないことを理解して、恥ずかしい。


「……悪いか」


 頰を赤らめながら、ケイトはボソリと答えた。

 そんな彼を、ルシフェルは不可解そうに眺める。


「悪くはないが……」


 なぜアスモではなくベルなのか。

 わからないが、こういうものは理屈なんて通用しないことをルシフェルは知っている。


 ケイトはベルに好意を抱いている。

 それだけで、いいじゃないか。


 見る限り、ベルもまんざらではないようである。

 見たことのない、悩ましい表情を浮かべていた妹を思い出して、ルシフェルはヒョイと肩を竦めた。


「藪をつついて蛇を出す趣味は、俺にはないからな」


「何を言っているんだ?」


「気にするな。地の国流のジョークみたいなものだ」


 怪訝な顔をするケイトに、素知らぬ顔で答える。

 地の国の常識にまだ疎い彼はルシフェルのことを探るように見たけれど、わからなかったようで「ふぅん」と気だるそうにつぶやいた。


「ところで、そのシオカラという食品はすぐに作れるものなのか? 発酵するということは、時間がかかるものなのだろうか?」


「作るだけなら、あなたが思っているほどはかからないと思う。イカの水分を飛ばすために半日から一日かかるから、それさえ終わればすぐできる」


「ふむ。それなら二日もあればできるか?」


「それだけあれば、可能だ」


「では、ケイト。つくってくれ」


 爽やかに、ルシフェルは言い放った。

 ケイトが拒否するとは微塵も思っていない、そういう雰囲気である。


 さすが傲慢ごうまん王子、とケイトは思った。


 要求を拒否した場合は、どうなるのか。

 そう思わなかったわけではないけれど、それでも、イカはベルのために釣ったものであり、ルシフェルに差し出すには抵抗があった。


「なぜ、僕が? ベルのためならまだしも、今日会ったばかりのあなたに作る気はないな」


「どうせ作るのだから、良いではないか。別に全部寄越せと言っているわけじゃない。ベルのために作った、その一部を分けてくれれば良い。ちょっとでいいのだ、ちょっとだけ」


 尚も言い募るルシフェルに、どれだけ塩辛がほしいのだと苦笑いが浮かぶ。

 こんなに言うのだから少しくらい……とケイトが思ったところで、しかしルシフェルは待ちきれなくなったのか、


「それに……俺はベルのお兄様なのだぞ?」


 と、言った。


「知っている」


 先ほど、名乗ってもらったから。

 ケイトが言うと、ルシフェルは毒花のように艶やかに笑った。


「恩を売っておいて、損はないと思うが。ベルは色恋沙汰に疎いからな。一筋縄ではいかないと思うぞ?」


「……」


「それにな、俺はアスモにおまえの居場所をリークすることもできるのだ」


「げ」


「さぁ、ケイト。賢いおまえはどちらにする? 塩辛を渡すか? それとも無視するか?」


 なんて魔族だ。

 たかが塩辛のために、こんな脅しをかけてくるなんて。


(そう、たかが塩辛だ)


 たかが、塩辛。されど、塩辛。

 よくわからない文言を唱えながら、ケイトはルシフェルに降参の意を示したのだった。

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