第30話 おまえ、わかりやすいな

「……⁉︎」


 一瞬にして、ザアッと血の気が引いていく。

 絶対的な存在を前にして、ケイトの歯はカチカチと震えた。

 それをなんとか食いしばって堪えながら、逸らしたくなる視線を前に据える。


 魔王だと思った。

 しかし、そこにいたのは数カ月前に対峙たいじした魔王……ではなく、彼を若くして生意気にしたような男で。理解した瞬間、「なんだ……」と一気に気が抜けた。


 しっかり撫でつけられた黒髪と、魔族特有の白い肌。冷酷そうな目は、人を人とも思っていない、おとぎ話で読んだ吸血鬼のようだ。

 警戒し、釣り竿を握る手にギュッと力を込めるケイトに、男はすまし顔で、


「イカくらいでベルは満足しないぞ? 不勉強な男だな、まったく」


 と、鼻で笑った。


 まるで、自分ならベルを満足させられると言わんばかりだ。

 ケイトは目を細め、険しい表情を浮かべながら男をにらむ。


 男は、ちょっとよくわからないくらい顔が美しかった。

 色欲姫と同じか、それ以上の美貌である。


 一体どんなことをすれば、こういう仕上がりになるのだろう。

 渋色の色香をまとう彼は、まさに大人の男といった風情で、ケイトは無意識に負けを覚悟した。


 しかしそれでも、男には負けられない時がある。

 ケイトにとってはまさに今がそれで、怯みそうになる気持ちを叱咤しったして、負けじと食いかかった。


「イカくらい、だって? むしろ、あなたの方が不勉強なのでは? ただのイカでも、やり方次第では珍味になる」


 容姿では負けても、ケイトには知識と経験がある。

 目の前の美貌の男は、ケイトの発言に「ふむ」と興味深そうに自身の顎を撫でた。

 そのしぐさは、玉座で待ち受けていた魔王の姿と重なる。


(こいつは誰だ?)


 聞きたいことが山ほどある。

 男はベルのことをケイトより知っているのか、とか。

 ベルのことをどう想っているのか、とか。


 とにかく、男とベルの関係が気になって仕方がない。

 万が一、恋人や婚約者だったらどうしよう。

 顔面では勝てる気がしない、と弱い気持ちが顔を出す。


「珍味か。それなら、ベルも喜ぶだろう。だが、イカが珍味? 想像がつかないな」


「何を言う! 酒のさかなにも、ごはんにも合う珍味なんだぞ」


 偉そうな男だ。

 整った身なりと、常に上から目線の発言を繰り返していることから、おそらくそれなりの地位に就いていると思われる。


 目を吊り上げて、威嚇するような視線を向けるケイトに、男は何を思ったか吹き出した。


「……くくっ。おまえ、わかりやすいな」


「は?」


 訳がわからない。

 急に態度を軟化させてきた男に、ケイトはさらに警戒を強めた。


「ベルのことしか考えていない」


「なっ!」


 ガッと全身の血が頭にのぼる。

 言い返そうと開いた口は、けれど図星だったせいで言葉がでない。

 わなわなと肩を震わせるケイトに、男はなぜか嬉しそうに訳知り顔でうんうんと頷いた。


「よいよい、それでこそ……だ」


 男は頷いているが、ケイトにはさっぱりだ。

 一人で納得するなと責めるような視線を向けると、男は「自己紹介がまだだったな」と相貌を崩した。


「わが名は、ルシフェル。魔王の第一子、傲慢ごうまんの名を持つ王子だ」


 ルシフェルはそう言うと、王族らしく優雅に礼をした。

 幾分か和らいだ雰囲気に気圧けおされながら、ケイトは素っ頓狂な声を上げる。


「ルシフェルだって?」


「ああ、そうだ」


 ルシフェルといえば、次期魔王ともうわさされる魔族だ。

 傲慢王子らしく居丈高ではあるが、その采配に狂いはない。彼に任せておけば、次の世代も地の国は安泰だとも言われている。


(ベルの兄か……)


 ひっくり返ったケイトの声がおかしかったのか、ルシフェルはくつくつと笑った。

 冷徹そうな見た目に反して、以外と笑い上戸な男らしい。

 幸か不幸か、その見た目のせいで馬鹿にされているようにしか見えないのだが。


 自己紹介されては、無視するわけにもいかない。

 ケイトは渋々、名を名乗った。


「僕は、ケイト・ベールヴァルドだ」


 簡潔すぎる自己紹介に、ルシフェルは意外だと言わんばかりに眉を上げた。


「なんだ、勇者とは名乗らんのか」


「魔王に負けた時点で、勇者とは言えないだろう」


 勇者とは、魔王と対をなす存在である。

 あっさりと敗北するような勇者は勇者ではないし、魔王に対して恐怖を抱くような弱い心を持つ者もまた、その器ではない──とケイトは思っている。


 勇者だと名乗って地の国へやって来た手前、この発言はケイトにとって羞恥を伴うものだった。

 奥歯を噛み締めてグッと堪えるケイトに、しかしルシフェルは好都合とばかりに口角を上げる。


「そうか。それならそれで、手っ取り早くていいな」


「手っ取り早い?」


「こちらの話さ。それで、ケイト。イカの珍味とはどのようなものなのだ?」


 強引に話を変えられて、戸惑う。

 けれど向けられる視線に敵意はなく、むしろ興味を持って聞いているようだった。


「酒の肴になる珍味、だったか?」


 ソワソワとイカを見るルシフェルは、きょうだいということもあってかベルとよく似ている。

 酒の肴、に食いついているところを見ると、酒が好きなタイプなのだろう。


 ベルと似ている。

 それだけで、彼女に好意を抱くケイトは、ルシフェルのことを無碍にできなくなった。


 ハァ、と諦観の息を吐いて、ケイトは話し始めた。

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