5章 毒クモの素揚げ

第24話 お兄様⁉︎

 その日、ようやくと言えるようになってきたゴミ溜めの森ホーディング・フォレスト散策に勤しんでいたベルのもとへ、ある魔族が訪ねてきた。


 彼女とよく似た紫光りする黒髪を撫でつけ、冷徹そうな切れ長の目を持つ魔族は──、


「お兄様⁉︎」


 傲慢ごうまんの兄、ルシフェルである。

 黒く大きな翼をしまいながら、彼はフワリとベルの前へ降り立った。


「久しぶりだな、ベル。元気に追放生活を満喫しているか?」


 鋭い目が緩むと、穏やかな雰囲気が漂う。

 お気に入りの妹だけに見せる特別な表情に、ベルはニッコリと微笑み返しながら、


「もちろん!」


 と、答えた。


 彼女の肩には、斜めがけの虫カゴがかけられている。

 中には、全身毛むくじゃらの黒くて大きなクモが、ウジャウジャとたくさん入っていた。


 クモが動くたびに聞こえてくる、聞こえるか聞こえないかというくらいの微かな物音は、ルシフェルをゾッとさせる。


 絶対に見まい。


 そう思うのにどうしようもなく目を向けてしまうのは、傲慢という性質から発生する、怖いと思っている自分を認めるわけにはいかないという気持ちのせいだ。決して、クモに興味があったわけではない。


 しかしベルは、ルシフェルのもの言いたげな視線を、興味ありと取ったようだ。

 クモだらけの虫カゴをルシフェルの眼前へ突き出し、彼女は「フッフッフー!」と嬉しそうに声に出して笑う。


「これは毒グモなのですけれど……あ、毒といってもそんなに強いわけではないので、お兄様が食べても大丈夫ですよ。ああでも、寄生虫の心配もあるので一応、加熱調理する予定です」


「そっ、そうか」


 しばらく離れていたせいで、すっかり彼女との距離感というか御し方を忘れてしまったらしい。


 ルシフェルにとってベルは、きょうだいのうちで最も敵になり得ない、かわいいだけの妹だ。

 だが、食べ物のこととなると彼女は途端に鬱陶しくなることを失念していた。


 やらかした……と内心ゲンナリしながら、それでも兄としてそのままの姿を見せるのは彼のプライドが許すはずもなく、ルシフェルは遠くを眺めた。


「この森でしか獲れない貴重な毒グモで、足は干したイカみたいな味、胴体は濃いカニ味噌みたいな味なのです。私は素揚げにして食べるのが良いと思うのですが、毒の耐性がおありでしたら、生で食べるのもオススメですわ」


 いかがですか、と無邪気な笑みでクモだらけの虫カゴをグイグイ頰へ押し付けてくるベルから、ルシフェルは「致し方なし……!」と顔を背けた。


「いらん。そんなに美味しいのなら、おまえ一人で食べるといい」


「そうですか、わかりましたわ」


 いつもだったら、多人数で食べることの良さを滔々とうとうと語っているところだ。

 あっさりと引き下がるベルに、ルシフェルは肩透かしを食ったような気分になった。


 だっていつもだったら、もっとしつこく食い下がってくるのに。


 別に食い下がってほしいわけではないが、なんとなく蔑ろにされているようで面白くない。

 その理由に思い当たる節がある分、ルシフェルは苦い気持ちになった。


「せっかく来たのだ。森を少し、案内してもらえないか?」


「ええ、いいですよ」


 案内するといっても、ゴミ溜めの森に見所なんて特にない。

 他の者ならあったかもしれないが、求められているのはベルだ。食べられるものに興味はあっても、森の景観なんて興味はない。


 とはいえ、せっかく訪ねてきてくれた兄のため、彼女は彼女らしく、森を案内し始めた。


 ブラッディマッシュルームの群生地、湧き水で少しずつ浄化していく、上流より下流の方が綺麗な川、お昼寝したくなるようなフカフカのコケが生えた倒木……。


 最後にたどり着いたのは大きな湖で、湖畔を二人でそぞろ歩きながら、ベルはルシフェルの来訪理由について考えた。

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