第25話 手放したくない

 ゴミ溜めの森ホーディング・フォレストへ来てから、そろそろ五カ月が経とうとしている。


 ルシフェルは、ベルが元気にしているか、わざわざ確認をしに来るような男ではない。


 万が一そうだったとしても、それならもっと早くに来ているはずだし、そもそも彼女が生きているか確認すること自体が無駄なことだと、他の誰でもないルシフェル自身がよくわかっているはずだ。


(となると、追放の撤回に成功したのでしょうか。私はてっきり、一年はかかるものと思っていたのですが……お兄様の優秀さには困ったものですね)


 さすが、次期魔王と言われるだけはある。

 とはいえ、次点であのマモンが名を連ねているのだから、微妙ではあるのだが。


「……まさか、ケイトのことがバレたとか?」


「何か言ったか? ベル」


「い、いいえ。ところでお兄様、どうしてこちらへいらしたのですか? 何か、ご用でも?」


 ケイトの仕上がりは、まぁまぁといったところだ。

 今すぐ放り出しても生きていけるだろうけれど、畑仕事のことを考えると、今すぐに手放すのは惜しいと思ってしまう。


 だってケイトは、元農民ということもあってか、すごくいい働きをしてくれるのだ。

 なんなら、ベルよりも上手にこなしたりもする。


 もうじき本格的に冬が到来することを考えると、今、放り出すのは無責任ではないか。

 それに、冬になったらベルはひとりぼっちになってしまう。


(冬になれば、レティは冬眠してしまうもの)


 冬の間ずっと眠るわけではないが、部屋から出て来なくなる。

 そうなれば、ベルはたった一人だ。


 ひとりぼっちで過ごすか、ケイトと二人きりで過ごすか。

 どちらがいいかと考えたら、もちろん後者がいいに決まっている。


 すぐに答えが出せるくせにわざわざ言い訳を並べてしまうのは、もともと手放すつもりだったからだ。

 ベル自身、まさかここまで彼のことを気にいるとは、思いもしなかった。


 一刻も早く、勇者を逃がす。

 そう、思っていたはずなのに。


(手放したくないと、思ってしまうなんて)


 とんだ失態である。


 とはいえ、思い返してみれば、ケイトもそう思っていそうな節があった。

 理由はどうあれ、同じように思っているのであれば、このままでいいような気もしてくる。


(でも、それはいいことなのかしら?)


 魔王に敗北した勇者のその後を、誰も知らない。

 ただ一つ言えることは、彼らはここ──地の国で眠っているということだけ。


 人の国へ帰った勇者の話は、聞いたことがない。

 けれど、帰る手段がないわけではないのだ。


(ちゃんと手順を踏めば、帰る方法はある)


 目を逸らしていた事実を前にして、ベルはスゥッと心が冷えていくのを感じた。


 ケイトがいなくなったあとのことを考える。

 いつかベルは、魔王城へ帰るだろう。そして、週に一度の晩餐ばんさんと夜にこっそりと忍び込んで盗み食いをすることだけを楽しみに、生きていく。


(なんて、味気ない……)


 カサリ、カサカサ。

 虫カゴの中でひしめき合っていた毒グモ。

 たった今まで美味しそうに見えていたというのに、途端に興味を失う。


 自分のことより他者を優先してしまうことは、ベルの悪いくせだ。

 だから、ゴミ溜めの森で、自分のことだけを考えて生きていくつもりだったのに。


(すっかり、絆されてしまいました……)


 どうしましょう、お兄様。このままでは、魔族失格になるかもしれません。

 助けを求めるように、少し前を歩く兄の後ろ姿を見つめる。


 視線に気づいたからなのか、それともベルが質問したからなのか。

 ルシフェルはクルリと振り返って、こう言った。


「そうだなぁ……ちょうど近くに用事があってな。ベルの様子が気になったから、足を伸ばしてみた」


「そう、ですか」


 空腹感が急速になくなっていくのを感じる。

 こんなことは初めてで、ベルは大いに混乱した。


 だから、彼女は気がつかなかったのだ。


 ルシフェルの、答えを用意するような間にも、妹の初恋を応援するような、兄の生温かい視線にも。


 そして、ここがゴミ溜めの森で、近くに用事を済ませるような場所などあるはずがないということにも、思い至らないのだった。

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