第22話 見ていたの……?

 手洗いうがい、よし。

 エプロン、よし。


 広いキッチンなのに肩が触れ合いそうなくらいの距離に二人並んで、ベルとケイトは作業台の上をじっと見つめる。

 そこには、未確認生命体を思わせるグロテスクな灰色のトウモロコシ──ウイトラコチェ十本分の実が置かれていた。


「ウイトラコチェといえば、煮込んでタコスの具にしたり、スープに仕立てたりするのが一般的だ」


 ウイトラコチェの実を一粒つまみ上げて、ケイトは言った。


「タコスとスープ……」


 ベルは、タコスというものを食べたことはないが、知識としては知っている。

 石灰水処理したトウモロコシをすり潰して作る『トルティーヤ』という皮に、具を挟んで食べるもの、だったはずだ。


 このトルティーヤ、実に謎なのだが、二種類存在する。

 クレープみたいなソフトタイプのものと、揚げてかたくしたハードタイプのもの。


 さらに挟む具材は多岐に亘り、肉類、魚介類、豆にキノコにチーズと、なんでもあり。


 となれば、どれがベストな食べ方なのか、ベルには想像もつかない。

 それなら、確実においしいであろう、ケイトと彼の祖母の、思い出の品を再現したくなるわけで──、


「せっかくだから、あなたとおばあさまの思い出のメニューに挑戦したいわ」


 ベルの提案にケイトはキョトンとして、じわじわと唇を緩ませた。


「ばあちゃんの、料理か……」


 祖母のことを思い出しているのだろう。

 笑うと顔がくしゃっとなって、少年っぽさがにじむ。


(小さい頃は、こんな顔をしていたのかしら)


 かわしいなぁと思ってベルがほっこりした気持ちに浸っていると、彼は「それなら」と満面の笑みを浮かべて言った。


「ケサディージャとスープにしよう」


 ケサディージャ。

 それは初めて聞く料理名だ。


 首をかしげて不思議そうに「けさでぃーじゃ?」とつぶやいたベルに、ケイトは腕まくりをしながら「大丈夫、僕に任せて」と自信満々に告げた。


「ケサディージャは、トルティーヤに具材を詰めたあとに調理したもので、タコスはトルティーヤに調理した具材を詰めたものになる。ばあちゃんはよく、油で揚げたケサディージャを作ってくれた」


 ばあちゃん、と呼ぶ声はやわらかい。

 きっと彼は祖母のことが、好きだったのだろう。


(作り方を覚えるくらい、見ていたの……?)


 祖母にひっついて甘える、幼い日のケイトの姿を思い浮かべる。

 そして、ベルが料理をする時は必ずといっていいほどついて回って積極的に手伝いをする彼を思い出して、祖母がかわいがるのも当然だとベルは思った。


 どうやらケサディージャはスプリングロールみたいなものらしい。

 チーズを入れたらとろぉっとしておいしそうだ。


 思わずじゅるりとよだれをすするベルに、ケイトは「はぁ、かわいい」とつぶやき、吐息とともに吐き出した。


「何か言った?」


「いや、なにも。じゃあまずは、トルティーヤを作ろう」


「あっ」


 準備に取り掛かろうとしたケイトだったが、ベルにおずおずと制止をかけられて立ち止まる。

 ふと見ると、ベルの手が、ケイトの服の裾をチマッと摘んでいた。


(かわいすぎるだろ!)


 煩悩が脳内を駆け巡り、鼻がツンと痛む。

 ケイトは根性で、煩悩を押さえつけた。鼻血を出したダサい格好なんて、好きな女の子に見せたいものではない。

 ベルに看病されるのはやぶさかではないけれど、今は格好悪すぎる。


「……あの、ケイト? 自分で提案しておいて申し訳ないのだけれど、トウモロコシはもう、一本も残っていないの」


 恥ずかしそうにもじもじとしている姿は、実に愛らしい。


「全部食べちゃってごめんね……」


「いや、全然……」


 上目遣いで謝罪してくるベルとの距離が、やけに近い。

 ケイトの名前を呼びながら困ったように見上げてくるベルを安心させてあげたくて、彼は手を伸ばし、ギュッと腕の中に閉じ込めた。

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