第17話 さすがにそれは……無理

 地の国にも、人の国と等しく季節が存在する。


 現在の季節は、夏。

 不快感を増幅させる、耳をつんざくようなセミの鳴き声が聞こえないのは幸いだが、暑さばかりはどうにもならない。


「暑いですぅ……暑さもセミみたいにお菓子にして食べちゃえたらいいのにぃ」


 キッチンの作業台は、石製でひんやりしている。

 台の上に頰を押し当てながら、レティは今にも蕩けそうになっていた。


「さすがにそれは……無理よ」


 なんでも食べるベルだけれど、さすがに暑さを食べることはできない。


 胸元を寛げてパタパタ、長いスカートの裾をたくし上げて、こちらはバサバサ。

 姫らしからぬ所業に、魔王城だったら大目玉を食らうところだ。


 追放生活が終わっても、夏になったらここへ逃げてくるのもアリかもしれない。

 森の中のせいか、それとも瘴気しょうきが薄いせいか。理由は定かではないけれど、ここは魔王城より涼しく感じる。

 といっても、暑いものは暑いのだけれど。


「でも、熱いのだったら、食べられる」


「うへぇ……暑いのに熱いの食べたら死んじゃいますよぅ」


「そういうの、なんていうんだっけ……?」


「暑気払い?」


「ああ、それだ。冷たいものを飲みすぎると、疲れが取れなくなるの。そういう時は、熱いお茶がいいんですって」


「お茶……お茶ですかぁ……うぅん」


 どうやらレティは乗り気ではないらしい。

 わからなくもない。この暑さでは、湯を沸かす元気もでない。


(ここは主人らしく、夏バテのメイドをねぎらってあげますか)


 ベルは立ち上がると、キッチンの端に置かれた棚から、たくさんある茶筒のうちの一つを取り出した。

 カパ、とふたを開けると、針のように細長い茶葉が入っている。


 これは、白茶はくちゃと呼ばれる茶葉だ。

 摘んだ茶の葉を放置して萎れさせ、発酵を進めるとともに水分を飛ばす。そして、茶を作るには欠かせない揉み込む工程を施さずに、火入れをして乾燥させる。


 弱発酵茶とも呼ばれる白茶は、香り・味わい・水色ともに上品で後味が甘く、そしてなおかつ、夏バテに効果的なのだ。


「白茶を飲むなら、茶葉が揺れ動く様を楽しめるように、ガラスの茶杯がいいわね」


「姫さまが淹れてくださるのですかぁ?」


「かわいそうなメイドのために、主人自ら淹れてあげるわ。心して飲みなさい」


「ふふ。はぁい」


 別の棚から涼しげなガラス製の茶杯を取り出し、茶葉を入れる。

 九十度前後に沸かした湯を注ぐと、茶葉は笹の葉のようにゆらゆらと揺れた。


 コトン、とレティの目の前へ茶杯を置いてあげると、彼女はキラキラと目を輝かせた。

 茶杯をそうっと目の前まで持ち上げて、湯の中で揺れる茶葉を眺める。


「涼しげですねぇ」


「こういうのも、悪くないでしょう?」


「たまになら」


 匂いを嗅いで、それからコクンと一口。

 途端、彼女は「おいしい」と笑みをこぼした。


「午後から畑仕事をするのでしょう? 無理しないでね」


「かしこまりました!」


 短いお茶の時間を過ごしたあと、レティは「では、行ってきます!」と元気よくベルの横を通り過ぎて行った。と、その時だ。

 すれ違いざまに足を止めたレティが「そういえば」と振り返る。


「最近、ちゃんと眠っています?」


「寝ているけど」


「でもぉ、今朝早くにお風呂に入っていませんでした? 音がしましたけど」


 レティの問いかけに、ベルはギクっとした。

 片付け途中だった茶杯が、シンクの中でコロリと転がる。


 風呂に入ったのは、おそらくケイトだろう。

 ベルとの訓練が終わったあとも、彼は熱心に反復練習に勤しんでいる。

 先に休んでいたベルを気遣うようにそろりとベッドへ潜り込んできた彼からは、いつもミントのような爽やかな匂いが香っていた。


「……ええ、入ったわ。たまには朝風呂もいいわね」


 レティは、お皿の位置が少し変わったくらいで気づくような子だ。

 もしかしたら、お風呂場からなにか有力な証拠が出てきて、疑っているのかもしれない。


 悪いことをした時みたいに、心臓が嫌な音を立てている。

 ベルが努めてなんでもないように振る舞うと、レティは、


「今夜も暑くなりそうですし、ミントを摘んでミント湯にしましょうか」


 と言った。


 ミント。

 これまた意味深である。


 茶杯を洗うことで動揺をごまかしながら、ベルは「そうね」と答えた。


 もういっそ、勇者のことを言ってしまえばいい。

 そう思うのに、なぜか別の言葉が出てくる。


「スッキリして、よく眠れるかもしれないわね」


「この時期は雑草みたいにボーボー生えていますもの! たくさん摘んで、オイルも作りましょう!」


 ルンルンと外へ出かけていったレティの背を見送る。

 その姿がすっかり見えなくなると、ベルはヘナヘナと作業台の縁へしがみついたのだった。






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