第11話 アレがいけなかったのかしら?

「お世辞じゃないなら、アレがいけなかったのかしら?」


「アレとは?」


 言うべきか、悩む。

 アレは、地の国でも良く思われていない。人の国では、なおさらだろう。


 わずかに逡巡しゅんじゅんして、でももう遅いか、とベルは開き直ることにした。

 だって、飲んでしまったあとなのだ。取り返しは、もうつかない。


「タガメ酒よ」


「タガメって、水中昆虫の?」


「そう。地の国に生息しているタガメは人の国に生息しているものよりも強い香りを持っていて、特に、繁殖期のオスのフェロモンはフルーティーな芳香がするの」


 例えるなら、洋梨や青リンゴの匂いが近い。

 ベルはそれにハーブを足して、オリジナルの酒を造っているのだ。


「セミを食べるくらいだからタガメくらいではどうとも思わないが……それを、僕に飲ませたのか?」


「そうよ。でも、タガメのフェロモンにはリラックスや安眠に役立つ成分が含まれているの」


 決して、害意があったわけではない。

 もちろん、悪意もない。

 むしろ、良かれと思ってやったことだから、謝る気もさらさらない。


 だが、地の国でさえ受け入れられない行為を、人の国の者が受け入れられるはずがないとわかっていながら、ベルはやった。


 怒られても仕方のないことだ。

 覚悟して、ベルは肩をすくめてその時を待った。


「なるほど。僕を思って飲ませてくれたわけか」


 ケイトは、事実確認をしている。それだけだった。

 拍子抜けするほどあっさりした声に、ベルはいぶかしげに眉をひそめる。


「そうだけど……怒らないの?」


 怒っていい。むしろ、怒れ。


 怒られることを怖がっていたくせに、怒られなかったことに反論する。

 ベルの矛盾した行動に、ケイトは嬉しそうに笑いながら「なぜ?」と問い返してきた。


「虫のお酒を勝手に飲ませたのよ?」


「怒らない。むしろ、嬉しい。魔族が人間風情にここまで尽くしてくれるとは思ってもみなかった」


 ありがとう。

 そう言って深々と頭を下げるケイトに、ベルは細く長い息を吐いた。


(この人といると、力が抜ける……)


 脱力系王子である怠惰の弟と、似ているような、そうでないような。

 堕落させようとしているのではなく、いい具合に緩めてくるあたり、勇者という感じがしないでもない。


(こういうの、良くない気がするわ)


 いつか、欲がなくなってしまうかもしれない。

 一緒にいたら、リラックスしすぎて欲を忘れそうだ。魔族にとって無欲は、耐え難い恐怖だというのに。


(一刻も早く、勇者を逃がすべきね)


 そして、できる限り長く逃亡してもらわなくてはならない。

 万が一見つかりでもしたら、ベルのおいしい追放生活終了のお知らせがきてしまうのだから。


「あなた、お人好しって言われない?」


「どうかな」


「こんなところにいたら、あっという間に食いものにされちゃうわよ」


「誰に?」


「誰にって……」


 ここは地の国で、ベルは魔族。

 人にとって魔族は恐ろしい存在のはずなのに、なぜこんなにも警戒心が薄いのか。


(こんなことでは、私の元から逃げてもすぐ捕まってしまいそうだわ)


 まずは生き残る術を授けるべきだろう。

 幸い、ベルは生存戦略サバイバルが得意である。


「私は森を探索できる、彼は生き残る術を得られる……なんてウィンウィンなのかしら」


 両手のピースサインをクニャクニャ屈折させながら、ベルはニマァと笑んだ。


「ウィンウィン?」


 ケイトの声に、はたと我に返る。

 いけない、いけない。ついうっかり、口から出ていた。


 ベルはごまかすように咳払いをしたあと、ケイトの前で仁王立ちになった。

 腰に手を当てて、実に偉そうだ。もちろん、魔王のまねである。


「私の名前は、ベル。暴食姫のベルよ。ケイト、あなたに地の国で生き残る方法を教えてあげる!」


 反論なんて認めない。

 だって、ベルがケイトを拾ったのだ。拾得物は、手放す時まで責任を取らなくては。


 ベルが高らかに宣言すると、ケイトは不思議そうな顔をしたあと、数秒置いて「おおー!」と歓声を上げた。





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