第9話 なぜ突き出そうとしないのだろう?
彼女の温もりが離れ、それを残念だと思うことは、勇者失格だろうか。
しかし、当然だ、仕方がないと諦めながら肯定してしまう自分もいる。
拾われてからの五日間、ケイトは夢うつつに彼女が熱心に看病してくれたことを覚えていた。
慣れない手つきで、それでも一生懸命面倒を見てくれた彼女のことを、どうして嫌いになれるだろう。
(無理に決まっている!)
だって彼女は、ケイトの初めての人なのだ。恩人なのだ。
感謝し、好きになることはあっても、嫌いになることなどあり得ない。
無病息災の神に祝福されているケイトは、生まれてこの方、病気ひとつしたことがなかった。
けがをしてもすぐに治り、たとえ死にかけても、実際に死んでさえいなければ復活する。
そんな超人的な肉体を持つ彼は、誰かに看病されたことも、体を心配されたことも、一度だってなかった。
楽観的な両親は、「薬代がかからなくて助かるわぁ」なんて笑っていたくらいだ。
生まれて初めて体調不良になって、心細いなんてものでは済ませられない恐怖の中、差し出された救いの手。
魔族だとわかっていても、
彼女の正体に気がついても、それが変わることはない。
むしろ、好感度がマイナスだったからこそ、転じるのは早かった。
彼女がこの家にいるもう一人の女性に「姫さま」と呼ばれていることも、セミのチョコレートがけを抵抗なく食べるような魔族なのだということも、ケイトは知っている。
自分を看病してくれている女性は、魔王の第六子である暴食姫のベルなのだろう。
断定できないのは、ケイトが知るベルという名の魔族の情報と彼女が、あまりにもかけ離れているからだ。
国で覚えこまされた【討伐しないといけない魔族リスト】にあった暴食姫・ベルの人相書きは、とても醜く、美しい容姿で惑わせるという魔族の風上にも置けない容姿だった。
ボンレスハム。
そうとしか言えない巨体に、
両手両足、さらには股の間にも食べ物を挟んでいて、とにかく食べ物に対しての執着レベルがカンストしていることだけは理解できた。
だが、どうだろう。
目の前にいる女性は、まさにケイトを籠絡するための美しい容姿を持っている。
ケイトを籠絡するためだけに生まれてきた、ケイトのためだけの魔族なのではないかと、疑いたくなるくらいにドストライクだ。
おかげでケイトは、毎日ドキドキさせられっぱなしである。
(こんなに美しい女性を、彼らは……!)
一般的な視点で言えば、美人とは言えない。
美しい者揃いと言われる魔族の中では、至って平凡な部類である。
だがケイトには、それがたまらない。
(それにしたって、あの人相書きには悪意しかない)
全人類の敵である魔族なのだから、敵意があるのは当然としても、判別できないような人相書きの意味とは……と怒りたくもなる。
壊滅的に絵が下手な人が寝ぼけながら描いたのか、それともクレヨンを握れるようになったばかりの赤ん坊がよくわからないなりに描いたものなのか。
とにかく、ひどい絵だった。
そうなってくると、痴女──もとい色欲姫・アスモの人相書きがそれなりに合致していたことが不思議でならない。
もしかしたら、すでに籠絡された人が味方にいたのでは?
そんな疑問が頭をもたげてくる。
とはいえ、色欲姫の情報だけが正しく伝達されていたことは、不幸中の幸いだった。
無意識のうちに魔王城を脱出できたのは、そのおかげに違いない。
(しかし、彼女はなぜ突き出そうとしないのだろう?)
地の国において、勇者の立場は人の国で言う犯罪者と同じだ。
然るべき機関へ突き出すのが普通で、ベルがしていることは
(それをしないのは、彼女が追放された身だからか?)
同じ犯罪者同士、助け合おう。
そういうことなのだろうか。
その時ふと、窓辺に鳥が舞い降りてさえずった。
見たことのない紺色の羽根を持つ鳥に、地の国の固有種だろうかと意識がそちらへ向かう。
(青い鳥といえば……)
ケイトは、幼い頃に読んだ童話を思い出した。
森の中に置き去りにされた兄妹が青い鳥を追いかけて、お菓子の家の魔女に拾われる物語だ。
魔女は兄を太らせて食べるため、妹に世話をさせる。
ベルは魔女と妹、両方の役割をしているだけなのでは──?
(彼女は先ほど、食べちゃいたいとか言っていなかったか……?)
女性に組み敷かれるというとんでもない初体験の最中、羞恥に頭が沸騰していたが、確かそのようなことを言っていたような気もする。
ベルは暴食姫だ。
食べると言ったら、そのままの意味になるのだろう。
(だが、魔族でありながら厄介者である僕を助けるあたり、かなりのお人好しとみた)
容易に食い殺されることはない。はずだ。
おそらく、今はまだ。
逃げるべきなのだと、頭では分かっている。
彼女以上に心惹かれる存在を見つけることは無に等しいことも、彼は本能で悟っていた。
『大丈夫? 無理はしないで』
さすってくれた手は、もう一度と願ってしまうくらい心地よくて。
逃したら、絶対に後悔する。
そんな予感が、ケイトの警戒心を鈍らせた。
(帰れるかどうかもわからないのだから、いいじゃないか)
自棄になっていたのかもしれない。
勇者として頑張ってきて、全てが無駄になって。そんな時に無条件で優しくされたら、絆されるに決まっている。
(食べられたって、いい)
ベルが聞いたら目を回しそうなことを涼しい顔の下でつらつらと考えながら、ケイトは「実は……」と話し始めた。
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