第8話 地雷なんだ! 来ないでくれ!

「それで? どうしてあなたはこんなところ……ゴミ溜めの森ホーディング・フォレストにいたの?」


 気遣うようにゆったりとした口調で問いかけてきた彼女に、男は一瞬息を飲んだ。

 フラッシュバックを起こしたように、男の脳裏に映像が浮かぶ。


 半地下の牢の中。

 天井近くにある窓からは、シトシトと降る雨の音が聞こえている。

 男は捕らえられ、牢に入れられていた。


 金の髪に、青の目。神の祝福を受けた証を持つその男──ケイトは、魔王討伐のため、勇者として仲間とともに地の国へやって来て、圧倒的な力の差を前にして、なす術もなく敗北した。

 そして、ケイトは仲間を逃がす代わりにただ一人魔王城へ残り、囚われの身となったのだが……。


 どうも様子がおかしい。


 本来ならば鎖につながれてもおかしくないのに、つながれなかった。

 これはおそらく、ケイトの力が弱すぎたために警戒されなかったナメられていたのだと思われる。


 さらに、牢の中だというのに、非常に快適だった。

 これについて、理由は不明だ。死ぬまでの最後の時くらい贅沢ぜいたくさせてやろうという、魔族なりの情けだったのかもしれない。


 ケイトがそう思うに至ったのは、美女が彼を訪ねてきたからだ。

 朝露に濡れた露草のような艶やかな髪を体にまとわせて、美女は全裸だった。

 全裸だった。そう、何度だって言う。全裸だったのだ!


『さぁ、勇者様。せっかくの機会ですもの、アスモの体を召し上がってくださいな?』


 美女の声は、熟しすぎてしたたった果汁のように甘ったるく、ケイトの背を嫌悪感が駆け上がっていった。


 天才芸術家が掘り出した彫刻のように、現実味のない均整のとれたグラマラスなボディが、惜しげもなく晒されている。


 並の男ならば、ヘラリと鼻の下を伸ばしていただろう。死ぬ前の最後の僥倖ぎょうこうかと、手を出していたに違いない。


 だが、ケイトは違った。


『ち、痴女だぁぁぁぁ!』


 突然侵入してきた全裸の美女に対し、ケイトは叫び逃げ惑った。


 なぜなら、ケイトはグラマラスな美女が苦手……なんて言葉が生ぬるいくらい嫌いなのだ。地雷と言っても過言ではない。


 自慢ではないが、勇者はモテる。

 さらにケイトの容貌はかなり整っていたので、歴代の勇者の中でも特にモテた。


 誰もがうらやむグラマラスな美女たちは、われこそはと勇者の恋人の座を奪い合い、その見た目からは想像できないような醜悪な姿をケイトの前に晒し続け……そして、みんないなくなった。


 綺麗な薔薇には棘があると言うが、あれはそんな言葉で済ませられるようなものではない。

 とはいえ、その時ケイトは思ったのだ。美女なんてろくなものではないな、と。


 死んだ魚のような目をしてつぶやいた彼の後ろで、齢五歳の王女殿下を溺愛する王太子殿下が同意するように頷いていたそうだが、ケイトは同志にならなかった。


 ケイトとしては、そっと遠くから見ているだけの素朴な女性の方が、よほど好ましい。

 だがいくらケイトが好ましく思っても、そういう女性は自分から身を引いてしまう。


『僕はグラマラスな美女が地雷なんだ! 来ないでくれ!』


『嫌よ。食べてくれるまで、帰りませぇん』


 そう広くない牢の中では逃げ切ることなどできず、ケイトはあっという間に壁際へ追いやられて、最終的には痴女のたわわなメロンをムギュムギュと押し付けられ──以後の記憶は曖昧である。


(大丈夫だ、彼女は違う)


 紫光りする艶やかな黒髪、日焼けを知らない真っ白な肌、切れ長の涼やかで色っぽい目。喋り方はおっとりしていて、所作は丁寧で上品だ。


 汗を拭ってくれた小さな手はところどころ荒れていて、働き者の手であることもケイトは知っている。


 だが、小首をかしげて見上げてくる目は琥珀色をしていて、彼女がまごうことなき魔族なのだと、牢に侵入してきた痴女と同じ生き物なのだと知らしめてきた。


(恩人に対して、なんという体たらくだ)


 ベッドの上で背を丸めるような体勢で座ったまま、ケイトは言い淀んだ。

 さて、どこから話せばいいのだろうか、と。


 できれば言いたくないことが山ほどある。

 魔王城で出会った痴女については、絶対に言いたくない。


(耳汚しでしかないからな)


 いかにして話さないようにできるか思案しても、彼女の質問に対して黙秘するつもりなど一切ない。

 強く拒否するあまり、うっかり痴女のあられもない姿を思い出しかけて、ケイトは記憶を押し出すように眉間に皺を寄せた。


「ああ、ごめんなさい。このままでは、話しづらいわよね」


 ケイトの険しい表情を、魔族への嫌悪感ととったのだろう。

 彼女は申し訳なさそうに眉を下げて、背中をさすっていた手を引っ込めた。


「え……ああ、いや……」


 ケイトは、普段から喋るたちではない。

 とっさに言葉が出ないのことに歯痒さを感じることは多々あったが、今はいつも以上に言葉の必要性を感じた。


 何か言わなくては。

 そう思っているうちに、彼女はベッドを降りて、椅子へ腰掛けてしまった。

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