第5話 なんでこんなところにいるのよ

「危ないから、そこで見ていて」


「はいっ!」


 ベルの忠告に、レティはコクコクと殊勝に頷いた。

 熱を帯びたレティの視線に首をかしげつつ、危なくないように彼女の周囲へ保護魔法をかけながら、ベルはゴミ溜めの森ホーディング・フォレストへと近づいていく。


 ゴミ溜めというからには悪臭がしそうなものだが、森は至って普通だった。

 どこの森でも感じるような、青々とした緑の匂いと木々の匂い。それが、そこかしこに漂っている。


「地の国にしては瘴気しょうきが薄い。天の国のものが落ちてくるせいかしら?」


 見上げれば、空にはポッカリと穴が空いていた。

 ウニョウニョと不安定に、大きくなったり小さくなったりを繰り返している。


「あの穴から、天の国と人の国のものが落ちてくるのね」


 この世界は、三連の砂時計のような形をしているのだという。

 天の国と人の国、人の国と地の国。それぞれの国の間に砂時計でいうくびれオリフィスがあり、砂が落ちるようにものが落ちてくる。


 もともとは、オリフィスなんてものはなかった。

 人の国があまりにも天の国を頼りにするものだから、天の国は嫌気がさして人の国との間にオリフィスをつくり。人の国はそれを地の国のせいにして、地の国との間にオリフィスをつくった──と、ベルは習った。


「なにか落ちてきたりしないかしら」


 ベルはワクワクした気持ちで、穴を見つめた。

 あわよくば、食べ物が落ちてこないだろうか。そんな、気持ちで。


 だけれど、どんなに待っても落ちてくる気配はなかった。

 ただキラキラと、金の砂粒のような光がサラサラとこぼれている。


 木々の向こうから、レティが「姫さま」と心配そうに声をあげている。


「やれやれ、仕方がない子ね」


 ベルはしぶしぶ、家を召喚するための場所を探し始めた。


 幸い、召喚に良さそうな場所は、すぐに見つかった。

 川が流れるすぐそばに、朽ちかけた小屋が建っていたのだ。


 小屋の周りが開けているのは、おそらく小屋を建てる際に切り倒したのだろう。

 残っていた切り株に毒々しい赤褐色のキノコが生えているのを見て、ベルは目を輝かせた。


「はわわわ! あれはブラッディマッシュルーム!」


 ブラッディマッシュルームは、獣の血を吸って大きくなるキノコだ。

 細かく刻んで絞ると、熟成された獣の血を手に入れることができる。

 それを香辛料と混ぜて腸詰めにしたものを、ベルはブラッディソーセージと呼んでいた。


(ねっとりとしたコクとクセのある独特の臭みを思い出す……これは是非とも作らねば!)


 ゴミ溜めの森での最初の食事は、ブラッディソーセージになりそうだ。

 血はすぐに凝固するから、材料が新鮮なうちに作らなければならない。

 家を召喚したら真っ先に作ってもらおうと、ベルは心に決めた。


 とはいえ、まずはここを空き地にしなくてはならない。

 ベルが持っている中でもっとも小さな家──そうは言っても魔王の娘の持ち物。三、四人が暮らすには十分な大きさだ──を召喚するには、小屋が邪魔である。


「まずは小屋をどうにかしなくちゃいけないわね」


 ほどほどに雨風をしのげる小屋は、小動物なんかが寝床にしていそうだ。

 運が良ければ、魔獣がいるかもしれない。

 豪華な食卓を想像して、ベルはペロリと唇を舐めた。


(さてさて、魔獣ちゃんはいるかな〜?)


 ひょこり、と窓から中を見る。

 薄暗闇にモゾリと動く影を見て、ベルは目を輝かせた。


(いたぁ!)


 ベルは嬉しさのあまり小躍りしながら、窓を蹴破った。

 派手な音を立てて、小屋の中にガラスが飛び散る。

 赤い月明かりに照らされたガラスは、ギラギラと光りながら床へ降り注いだ。


「うっ……」


 ガラスを避けるように、影が動く。


(影……っていうより、毛布を被った……あれは何かしら?)


 小さく発せられた鳴き声だけでは、どんな魔獣かも判断ができない。

 壁際に獲物を追い詰めたベルは、その正体を知ろうと毛布に手をかけた。と、その時だ。


「はな……れろ……」


 喋った。


「魔獣が、しゃべった!」


 おどおどとした口調だが、その声は美しいハイ・バリトンだ。

 色欲の姉だったらこう評しただろう。「バスの威厳、力強さとテノールの輝きとを併せ持つ、男性の声のうちで最も美しい声」と。


「なんてことなの……」


 喋る魔獣なんて、初邂逅かいこうである。

 これはつまり、目の前にいるのは新種の魔獣ということで──!


「あなた、なんていうの?」


 目線を合わせるようにしゃがみ込んで問いかけると、喋る魔獣は毛布をぎゅっと握りしめたようだった。

 毛布の隙間から、真っ青な目が見える。


「あなたの目、きれいね」


「きれい……?」


「私は見たことがないのだけれど、きっと青空ってこういう色をしているんじゃないかしら」


 真っ青な目が、きょと、と瞬く。

 怯えしかなかった目の奥に、ベルはわずかばかりの困惑がにじんだような気がした。


「私の名前は、ベル。この森に追放されたの」


「ついほう……」


「そうよ」


「……ここ、は?」


「ここは、ゴミ溜めの森。天の国と人の国、人の国と地の国をつなぐ穴の真下」


 そこまで言って、ベルは「わかる?」と問いかけた。

 だけれど、新種の魔獣は答えない。


 不思議に思って顔を近づけると、緩やかにのしかかってきて──ハラリと毛布が落ちた。

 金の糸が、ベルの肩に散らばる。


 触れた体は、すごく熱くて。ベルは、突き飛ばそうとしていた手を止めた。


「金の髪に、青い目……? それってまさか……」


 チラリと見えた金色をしたつむじに、ベルは確信してしまった。

 彼女に倒れかかってきた魔獣の正体。それは──、


「なんでこんなところにいるのよ、勇者様ぁぁ!」


 十中八九、色欲の姉のせいだろう。

 わかっていたことだけれど、ベルは叫ばずにはいられなかった。

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