第4話 私を誰だと思っているの

 置いていかないで。どうか、助けて──と、ベルが追いすがるとでも思っているのだろうか。

 荷物を下ろすやいなや、あっという間に走り去ってしまった馬車に、ベルとレティは顔を見合わせた。


 はたから見れば追放だけれど、ベルとしては栄転に近い。

 他のきょうだいたちと違い、はなから魔王の座など狙ってもいないので、なおさらである。


 急におかしさが込み上げてきて、二人は顔を合わせてクスクスと笑んだ。


「さて、まずは……」


 とりあえず荷物をひとまとめに置いたベルとレティは、気合いを入れるように腕まくりをした後、顔を突き合わせてよしと頷き合った。


「腹ごしらえね!」


「家づくりですね!」


 息が合っているようで、合っていない。

 せっかくのやる気がシュワっと溶けてなくなってしまいそう。

 怠惰の弟・ベルフェゴールでもあるまいし、とベルはため息を吐いた。


「わかってないわねぇ」


「姫さまこそ!」


 レティがベルに仕えるようになって、どれくらいの時がたっただろう。

 捕まえた時は大きな尻尾を抱えてビービー泣くことしかできなかった彼女は今、ベルと同じ目線になっている。


(それなりの時を一緒に過ごしてきたはずだけれど……)


 琥珀色の目でジトッと見つめると、レティは屈しませんよと言わんばかりに、よく膨れる頬をプクッとさせた。

 普通の魔族だったら即座に下がって頭を床に擦り付ける場面だろうに、レティはしない。

 もっとも、ベルもそうしてほしいと思わないのだけれど。


 これが慣れというものなのだろうか。

 どうせ慣れるのなら、ついでにベルのことも理解してくれたら良かったのに。

 いつも通り、膨れた頬にブッスリと人差し指を突き立てながら、ベルは嘆息をもらした。


「……なにを言っているの、レティ」


「姫さまこそ、なにを言っているのですか⁉︎ サバイバルの基本は拠点と水ですよ!」


 フンフンと鼻息も荒く力説するレティに、ベルは額に手を当てて宙を仰いだ。


 サバイバルなら、そうなのだろう。

 衣食住は大事だ。


 だが、ベルはここへ食べに来たのだ。

 魚が釣れる渓流の近くで、バーベキューをする──そんな感覚で。


 だから、食べること以外に、労力を割くつもりなんてない。まったく。これっぽっちも。

 日よけのテントを張るとか、火起こしをするとか、そのくらいの手間は惜しまなくもないけれど。


「サバイバルなんてはなからやるつもりないわよ」


 ベルが鼻で笑うと、何を思ったのかレティはフンスと鼻息も荒く答えた。


「そうですよね! だって姫さまですし」


 レティの言葉に、ベルはようやくわかってくれたかと頷いた。

 だが、そうではなかったのだ。


 続いて発せられたのが「私が一人でなんとかしなくちゃいけないのだわ……!」という切羽詰まったせりふだったせいで、ベルは顔をしかめることになった。


「大丈夫です。すべて私にお任せください。森での生活には慣れていますから!」


 ベルは、どの口が言っているのだろうと思った。

 だってレティは、森でうまく暮らせなくて魔王城の畑を荒らしていたのだ。

 ベルが気まぐれに助けていなかったら、胡桃くるみの木の肥料にされるところだった。


「レティ……」


 よく見れば、レティの大きな尻尾は小刻みに震えていた。

 怖くて仕方がないのだろう。

 大きな目は見開かれ、泣くのを我慢しているようにも見える。


「ばかねぇ」


 ベルはため息を吐きながら、肩の力を抜いた。

 ビクンと体を揺らしたレティを、ベルはやさしく抱きしめる。


「怖いなら、私の後ろにいればいいのよ。リス一匹くらい、私でも守ってあげられるわ」


 魔王の娘として、過保護に育てられた自覚はある。

 もっとも魔王の座に近いと言われるルシフェルにも気に入られ、大事にされてきた。


 だが、地の国でもっとも力がないであろう半獣半魔のレティに守ってもらわなくてはならないほど、ベルは弱くない。


「私を誰だと思っているの。地の国を統べる魔王の娘、暴食姫のベルよ? 家も水も、転移魔法で呼び出せばいいじゃない」


 ベルは当たり前のように言っているが、ちっとも普通のことではない。

 彼女が保有する膨大な魔力と、それを制御するセンスがあるからできることなのであって、レティのような下っ端魔族には到底まねできるものではないのだ。


「……え?」


 何言ってるんだ、こいつ……とレティの顔に書いてある。

 でもまぁ、わからなくもない。

 魔王城にいるベルときたら、暴食の姫らしく食べてばかりいたからだ。


「出来がいいお兄様方が力をふるうから披露するタイミングがないだけで、私だってそれなりにできるのよ?」


「姫さま……」


 のちにレティは語る。

 パチンとウインクを返したベルは、それはもう「女王陛下っ……!」と拝みたくなるくらいすてきだった、と。

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