第3話 準備はよろしいですか?

 地の国の外れに、ゴミ溜めの森ホーディング・フォレストと呼ばれる場所がある。


 天の国から人の国へ、人の国から地の国へと落ちてきた、いわゆる残りかすのようなものが集まるカオスな場所だ。


 死を悟った魔獣が最期に向かう場所でもあるので、魔獣の墓とも呼ばれている。


 このたびベルは、基本的には平和主義な魔王のお沙汰により、勇者を食べてしまった(らしい)罪でここへ追放されることが決まった。


 もともと、捕らえた勇者は地の国について勉強させたあと、人の国へ送り返すつもりだったらしい。


 魔族は人に対して敵意などない。それさえわかれば、勇者派遣などという面倒な伝統行事を改めるだろうと、そういう思惑があったようだ。


 ついでに人の国の食べ物を融通してくれるよう交渉できないかなぁという、魔王の思惑が若干見え隠れしていたような気がしないでもない──とベルは思っている。


「だけど私が食べちゃったものだから、その計画がパァ。罰として、ゴミ溜めの森へ追放されるというわけね」


 ゴミ溜めの森行きの馬車の中で、ベルは肩をすくめた。

 向かいの席では、唯一ついて来てくれたメイドのレティが、隠しきれない好奇心を視線ににじませている。


「でも、姫さま。本当に召し上がったのですか? その……勇者様を」


 レティは恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、もじもじと大きな尻尾をもてあそんだ。


 リス獣人と魔族のハーフである彼女は、抱き枕にもできるフワフワの大きな尻尾とパッチリとした目が愛らしい少女である。


 魔王城に侵入して畑を荒らしていたところを捕獲したのだが、実に良い拾いものだったとベルは思っている。


 鼻がきく彼女は地中にあるものを探し当てるのがうまく、さらに上空を舞う猛禽類もうきんるいなどの殺気も敏感に察知することができるので、食材探しにはもってこいだったのだ。


(ただし、最近はちょっとばかり面倒なのよねぇ)


 レティは恋に恋するお年頃というやつらしい。

 事あるごとに恋愛と絡めたがるので、ベルは少しばかり辟易していた。


 今もあらぬ想像をしているのだろう。

 少し考えれば、あり得ないとわかるのに。


 ベルは呆れ混じりのため息を吐きながら、半眼でレティをにらんだ。


「レティ。色欲のお姉様と一緒にしないでちょうだい。私の場合、食べるといったら食人カニバリズムの方よ」


「わかってますよぅ。でもうわさによれば、勇者って絶世の美男子だって言うじゃないですか。だからちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、姫さまに春がきたかもって期待しちゃっただけですぅ」


 プクゥとふくらんだレティの頰を、容赦なく人差し指でつぶす。

「いたぁい」とぶりっこしているメイドなんて、こんな扱いで十分だ。

 ついて来てくれたからには、大切にしてあげるつもりだけれど。


「残念ながら、ないわ」


「そうですか。ところで、人ってどんな味がするんですか?」


 レティの切り替えの早さは、ベルも気に入っている。

 コテンと首をかしげて上目遣いで見てくるのは鬱陶しいが、答えてあげることにした。


「そうねぇ。アレが本当に人なら、牛か羊みたいな味だったけれど」


「と言いますと?」


「アレ、人じゃないわ」


 あっけらかんと答えると、レティは大きな目でパチパチとまばたきを繰り返した。

 馬車の窓枠に肘をかけて頬づえをつきながら、ベルはなんでもお見通しのような顔をして言う。


「たぶん、だけど。マモンのやつ、色欲のお姉様に買収されたのよ」


「えぇぇ⁉︎ どうしてそう思うんですか?」


「勇者って、絶世の美男子なのでしょう? だとしたら、色欲のお姉様が味見しないわけがないもの」


「それとマモン様にどんな関係が?」


「マモンは、金さえ積めばなんでもするわ。おおかた、味見の途中で勇者に逃げられたお姉様が、ごまかすためにマモンを買収して一芝居打ったのではないかしら」


「姫さまになすりつけたってことですか?」


「そういうこと」


「わかっているなら、どうして反論しなかったんですか!」


 頬を膨らませて怒るレティに、しかしベルは楽しそうにクスクスと笑う。


 だんだんと、車窓から見える風景が変化してきていた。

 きっともうすぐ、到着だ。


「する必要なんてないわ。だって私は、行きたかったんだもの」


 ゴミ溜めの森。

 だけれど暴食の姫たるベルにとっては、楽園のような場所だ。

 なにせ彼女の手にかかれば、ありとあらゆるものが食材となり得るのだから。


「……良かったですね、姫さま」


 ちっとも良かったと思っていない顔で、レティは言う。

 無理もない。これからの生活に、心おどるロマンスなんてないのだから。


 反対に、ベルは上機嫌だ。

 口角はずっと、上を向きっぱなし。


「ええ、本当に」


 そう。ずっと来たかった。

 父には何度も打診していたのに、姫という身分が邪魔をして叶わなかったのだ。

 きっと父は、わかっていてベルをここへ追放したのだろう。


(ゴミ溜めの森に興味があるのは、なにも私だけではないということね)


 この娘にして、この父あり。

 そんな言葉が、脳裏を過ぎる。


(珍味を一つ二つ献上すれば、追放処分は解いてもらえそう)


 だがそれよりも前に、兄のルシフェルが痺れを切らして迎えにくるかもしれない。

 彼はベルのことをいたくかわいがってくれていて、城を出る際にはもう、追放撤回に向けて動き出している様子だった。


(お兄様が迎えにくるのが先か、お父様に献上したくなるような珍味を見つけるのが先か……どちらにしても、ゆっくりはしていられないわ)


 とりあえず片っ端から食べていかないといけないだろう。

 全部は無理でも、せめて半分くらいは。


(それができなきゃ、暴食姫の名が廃るというものだわ!)


 タイミング良く、馬車が止まる。


 送ってくれるのは森の前まで。

 ここから、ベルとレティの新しい生活が始まるのだ。


「姫さま、準備はよろしいですか?」


「ええ、もちろんよ」


 馬車を降りると、鬱蒼うっそうとした森が広がっていた。

 遠くから聞こえる奇怪な獣の鳴き声に、ベルはうっとりと目を細めた。

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