二節 「艶麗の花園」

 「着いた~!」


 体感時間の短かったバス移動が終わり、停車と同時に外へ飛び出すと、一帯には活気が溢れていた。 どこもかしこも人だらけ、吊り下げられた提灯と屋台の明かりは行き交う人の顔を明るく照らし出している。 美味しそうな匂いまで漂っているこれこそが、由梨花の待ち侘びた“祭り”だ。


 屋台に並ぶ人、食べ物を片手に歩く人。 その群衆の中から流れて出て来る歓声や騒めきが、独特の空気を作り出している。 一度足を踏み入れればその雰囲気に魅せられ、瞬く間に祭りの一部になったようだった。


 「人、たくさんいるね~」


 「そりゃ年一の行事だから。 みんなこぞって集まって来てるんでしょ」


 こんなにもごった返した雑踏の中になど、普段ならきっと来なかった。 でも、今日は特別だ。 こんな機会、次いつあるかも分からないのだから、めいっぱい楽しまなきゃ!



 由梨花は早速、屋台の幕に書かれた各々の看板に視線を滑らせる。 かき氷、チーズハッドグ、ケバブ…そんな多様化した“お祭りの食べ物”の中に、由梨花が求めていた四文字を見つけた。 綿菓子とヨーヨー釣りに挟まれていても、その賑わい振りは一目瞭然だ。


 「焼きそば二つくださ~い」


 「はいよ、どうもありがとね~」


 気前の好さそうな売り手から容器から溢れるほどの焼きそばを受け取った由梨花は、片方と割箸とを霞澄へ渡し、あるようでないような入り組んだ行列を逸れた。 今すぐにでも食べたいものの、やっぱり一息吐ける場所に座ってゆっくりと食べたい。 霞澄の方に目を遣ったけれど、やはり同じ考えのようだ。


 「———そういえば、りんご飴ってどこにあるかな~」


 「りんご飴は・・・あっ、あれじゃない?」


 霞澄が指差したのは、遥か二、三十軒奥の屋台だった。 しかし、その真っ赤な看板には「りんご飴」と書かれている。 花火が上がるまではもう少し時間があった。


 「ほんとだ! そうだ、霞澄くんの分も買ってくる?」


 「うん、お願い。 それじゃ、先に場所取りしとくから」


 霞澄はそう言うと、道を逸れて草叢くさむらへ向かった。 それを一瞬見届けた由梨花は、群衆に分け入ってりんご飴屋まで小走って行った。 人混みを掻き分ける度、耳元のささやきが放射線状に遠ざかっていく。


 「——ふぅ~、やっと辿り着いたぁ。 それにしても人多いなぁ」


 そんな呟きを漏らしながら、由梨花は列の最後尾に並んだ。 少し前では、浴衣を着た幼子や年を重ねた男性といった文字通りの十人十色の客が行列を成している。 その中で順番は徐々に動き、遂に由梨花まで回ってきた。


 「りんご飴一つくださ~い」




 「———はぁ~、やっとゆっくりできる~」


 小さめのブルーシートに腰掛けた由梨花は、手荷物を置き、寝っ転がって夜空を仰ぎながら呟いた。 辺りの騒音は、星一つない漆黒の空に吸い込まれていく。 一等星も霞むほどの賑わいの中で、二人は花火を待っていた。


 「…あ、そういえば場所取りありがとう! こんな人多いのに、大変だったでしょ~」


 「う~ん…まぁね。 でも、偶然ここが空いてて。 りんご飴も買えたみたいだし、ほんとよかったね~」


 そう言い終わり、一息吐くと、霞澄は割り箸を手に取った。 お腹が空いていなかったなんてことはないだろうから、由梨花のことを待っていてくれたのだろう。 申し訳ないなと思いつつも、自然と笑みがこぼれた。


 「——それでは、今からカウントダウンを始めます」


 由梨花が焼きそばのプラ容器の蓋を開けると同時に、司会のアナウンスが観覧席に響き渡った。 途端に、数千とも数万とも言える観客は皆静まり返り、司会の声に合わせて数字を刻み始めた。 二人も、周りにならって数を数える。


 「きゅう、はち、なな」


 周りを見渡すと、皆手を止め空を見上げていた。 一堂に会した見知らぬ者同士で、全員が声を張り上げている。 皆が、その時を待ち侘びているのだ。


 「ろく、ご、よん」


 由梨花と然程さほど歳の違わない数人グループも、親が子を抱えて座っている家族連れも、一人残らず目を輝かせている。 期待を込めた眼差しが、弾けるような笑顔が、虚空こくうへ集まっている。 中には、立ち上がって上を見上げている人もいた。


 「さん、に、いち」


 数が小さくなるに連れて、声は段々と大きく、強くなっていった。 ある人は箸を口へ運んでいた手を止めながら、ある人は胸の前で手を合わせながら。 九つ目の数字を唱えた時、誰もが息を吞んだ。


 「———ぜろ~!」


 皆の想いを乗せた最後の言の葉が、一筋の閃光となり、流星のように天を昇って行った。 揺らめくような軌道を描いたそれは、遥か上空でふっと消えた。 そして、幾万の笑顔を、目に焼き付くほど鮮やかな山吹色に染め上げた。


 先程まで真っ暗だった宵闇には一輪、大輪の華が咲き乱れ、空五倍子うつぶしいろに染め上げられた幕の下で、火花をまとった花弁が泡沫うたかたのように散った。 すっかり心を奪われた観客の歓声を待たずに、もう一脈ひとすじ、更にもう一脈と光の欠片が宙を舞う。 そこに追いついた音速が、五臓六腑ごぞうろっぷまで震わせるほどの轟音で豪華絢爛をより引き立てた。


 手が届きそうなほど目と鼻の先で咲き乱れるばんりょうらんを前に、由梨花は言葉もなかった。 ただただ、咲いては儚く散る様を目で追い、開いた口が塞がらぬままにその情景を目に焼き付けるのみだった。 そんな静寂を破るかのように、霞澄が由梨花に声を掛けた。


 「———ごめん。 もう、行かなくちゃ」

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