終章 ~無窮に爆ぜる華~

一節 「楽しい話にゃ華が咲く」

 「お願いってなぁに?」


 急にかしこまった、らしくない霞澄に半笑いで尋ねると、一瞬微かに躊躇たじろいだように見えた。 ここまで色々と支えてくれたのだから大抵のことなら快く受け入れるつもりだけれど、相手が相手だから突飛なことを言い出すかも知れない。 承諾は、流石に内容を確認した後だ。


 「この前も言ったけど・・・花火大会に一緒に来てくれない?」


 「———あ~、そんなこと言ってたね! もちろんいいよ!」


 「…ありがとう」


 霞澄は、安堵とか疲れとか、そんなのが混じったように、穏やかに笑った。 花火大会は、行きたいとは思っていても、あれこれ理由を付けて結局踏み留まっていた由梨花も、人から誘われてはもはや断るわけもなかった。 もうすぐ終わるこの夏も、いつまでも記憶に残る最高の思い出になりそうだ。


 「そしたら…せっかくだから、もうちょっとここ見てく?」


 「いいよ~」


 浮かれて返した由梨花は、寸分の迷いもなくなまはげに近寄り、墨々まじまじと凝見した。 一つ一つ丁寧に作られたであろうその表情からは、憎悪のない、愛が込められたような怒りがひしひしと伝わってくる。 勇猛な体勢ポージングもどこか誇らしげだ。




 あれから一時間ほど、悠然と館内を見て回った。 なまはげをただの怖いものと認識していた由梨花にとっては、偏見や主観が覆されていく感覚はとても新鮮に感じられた。 そのせいか、帰り際にはお土産になまはげのキーホルダーまで買ってしまった。


 「あ~、楽しかったぁ」


 バス停で袋を掲げて背伸びをする由梨花に、霞澄は“よかった”とでも言うかのように笑い掛けた。 この旅も今となってはもう、花火を見ていつもの我が家に帰るだけだ。 実家に一度帰ろうか、地元の花火大会にも行ってみようか、そんな思いを巡らせながら、由梨花はベンチに腰掛けた。




 「それで、花火大会ってどこでやるやつ?」


 座席に着いて一息吐くと、由梨花は尋ねた。 思い返してみれば、一切の詳細を聞いていなかったのだ。 すると、待ってましたとでも言うかのように、霞澄はちょっと嬉しそうに答えた。


 「長野県のね、僕の地元でやるやつなんだ~」


 「えっ、出身長野だったの? 初耳!」


 そういえば、霞澄の出自など知っているようでまるで知らない。 よくもまぁこんな人間を信用したものだと一瞬思ったけれど、不思議と不信感の類を抱いたことはなかった。 それもそのはず、雰囲気から、佇まいから、人を騙したりなど到底出来なさそうだという空気が滲み出ているように感じられるのだから。


 「ここからはやっぱり飛行機になるね~。 今から行けば、時間的には間に合うと思う」


 「ほんと? やった~、飛行機また乗れる~」


 案の定と言えばそれまでだけれど、普段あまり乗れないのだから、由梨花にとっての飛行機は遊園地のようなものだった。 ハードスケジュールで日本中歩き回っていても、大半は公共交通機関で寝ていて、むしろいつもより眠気が少ないほどだ。 何気に今までで一番楽しいのではないか、と由梨花は内心思った。




 それからは、ただバスに乗り、バスを降り。 空港に行き、昼食を摂り、売店に行き、飛行機に乗り、飛行機を降り。 霞澄と談笑したり、高空たかぞらを眺めて航空を満喫したりしたことくらいしか振り返るまでもないほどに、普遍的でも平穏でもある時間がゆっくりと流れた。


 「霞澄くん、花火何時から?」


 「5時半…だったかな。 今ちょうど3時過ぎたくらいだから、全然間に合うと思うよ~」


 「良かったぁ」


 いくら時間にルーズな霞澄も、遅刻なんて間抜ヘマは犯さないとは思っていたけれど。 念のため聞いてみたのは、どうやら杞憂きゆうだったようだ。 由梨花の返しに少しムスッとした霞澄は見なかったことにしておこう。


 「——そういえばさ。 霞澄くんって、花火好き?」


 何気なく訊いてみた由梨花の思惑に反し、霞澄はしばらく考え込んだ。 そこまで深い答えは求めていないものの、もしや面白いことでも言おうとして...? そんなキャラでもなさそうだけれど、期待をしてみるのも悪くはないかもしれない。


 「———分からない」


 「…そっかぁ」


 そりゃそうだ。 だいたい霞澄にボケを求めて訊いたわけでもあるまいし。 しかし、詮索する心算などないものの、好みが分からないというのはどういう意味なのだろうか。


 「・・・でも、私と一緒だから、きっと楽しいよ!」


 言ってみてから、やはり恥ずかしくなった。 これではただの、救いようのない自信家だ。 でも、霞澄がちょっとだけ微笑んだのだから、なんだか嬉しい気持ちになった。


 「お祭りに着いたら、何食べよっか?」


 「そうだなぁ…焼きそば、とか」


 「それいいね! あでも私、りんご飴も食べたいな~」


 「多分、屋台もたくさん出てると思うよ」


 「そうだよね、だって定番だし!」


 ただ祭りというだけで、話に華が咲く。 年に一度の、約十年振りの、夏祭り。 まるで遠足の前夜のように、由梨花の心は弾んで仕方がなかった。

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