二節 「忌避の咀嚼」

 身支度を整えた由梨花は、霞澄と共に旭光きょっこうの下でアスファルトを踏み出した。 あの後は古風な宿へ泊り、夕飯を済ませたり温泉へ入ったり。 あっと言う間に寝床で目が覚めていたのだ。


 あれから少し御涅ごねったものの、欠片のためだと霞澄が言うのだから、逃げようもなく。 あんな恐ろしいものにはもう会いたくもないのだけれど、私情で投げ出すわけにもいかないかった。 でも、まだ完全に決心がついたわけではない由梨花は、再び霞澄に問い掛けた。


 「ねぇ…やっぱり行かないとだめ?」


 「だってそりゃ、あんなモニュメントじゃ意味無いだろうし」


 「ん~・・・」


 けれど、実物には会わない分、まだマシなのかも知れない。 資料館というのだから、きっとお面などが展示されているだけなのだろう。 だから、決して怖くなんか――。


 「あれ、そういえばなんで由梨花ちゃん、そんなになまはげ怖がるの?」


 「だって、怖いじゃん」


 「——でも、ただのお面被って蓑着た人間だよ?」


 「…そうだけど、怖いものは怖いの!」


 口に出して気付いたが、これではまるで受け答えが成り立っていない。 けれど、怖いから怖い以上の真っ当な理由がない以上、会話が噛み合わないのも仕方がない。 

ただ、そうは言っても、霞澄の困り顔は晴れない。


 「んー・・・それじゃあれか、実物見たことある?」


 「え…分からないけど、秋田は少し前に来たことあると思う」


 「それじゃ多分その時だね」


 「・・・何が?」


 「多分そのうち分かるよ~」


 上手い具合にはぐらかされたが、どうしても気になってしまう。 しかし、霞澄はきっと、素直に教えてくれやしない。 無駄だとは思いつつも、何が言いたかったのかと想像を巡らせ、桜色の雲へ視線を戻した。




 例にたがわずバスに乗って、降りた所から少し歩いて行き着いた先は雰囲気のある石造りの建物だった。 山の中に紛れたそれは、質素な色合いから見事に調和性を保っている。 萱葺かやぶきも含め、いかにも昔ながら、風土を感じさせるといった風体だった。


 「ここになまはげがいるの?」


 「いやぁ、流石に本物はいないと思うよ。 …けど、お面とかはあるんじゃないかな~」


 「お面・・・」


 霞澄の答えに、由梨花は苦笑を交えて返した。 どうしても咀嚼できない心の奥底の忌避感が、ずっと纏わり憑いて離れない。 薄暗い照明と涼風に包まれても未だ尚、領頚えりくびを冷汗が伝う。



 受付を通過した向こうには資料館の名に合うそれらしい部屋があり、展示物や図面などが飾られていた。 来館者はどちらかと言えば少ない方ではあったけれど、ちらほら話し声が耳に入って来る。 そんな微かな喧騒をものともせず、霞澄は壁掛けを眺めている。


 特別ここに興味があるわけでもないけれど、なんとなく目を向けてみる。 小難しい単語が淡々と並んでいて単純明瞭とは行かなかったが、その分 深甚しんじんさが伺えた。 無心に眺めているだけでも、本一冊読んだほどの情報量が溢れ出てくるようだ。


 「——次はこっち行こ~」


 そう言いながら奥の方へと歩いて行く霞澄を、由梨花も足早に追って歩いた。 大きな窓をよそ見し、順番を無視しながら順路に沿って行く。 そして、由梨花の幾歩先で霞澄の足が止まった。


 「ほら、着いたよ。 ここがお目当ての場所」


 そう言って振り向いた霞澄から目線を移した途端、反射的に目を背けてしまった。 視界が脈打ち、荒げた呼吸音が頭の中でずっと反響している。 膝を抱えた両腕は絶えず小刻みに震え、目をつむってもその恐怖心が由梨花を覆い込んだ。


 「——大丈夫?」


 返す言葉も見つからない、何を考えることさえできない。 ただ、本能的な自己防衛からうずくまって動けなくなってしまったのだ。 それはまるで、醒めない魘夢えんむに囚われてしまったかのようだった。



 ———不意に、背面に何かが触れるような感覚がした。 しかし、体が強張るどころか、何故か由梨花の緊張は解れていく。 瞬く間に、肩の力が完全に抜けてしまった。


 気付くと隣には霞澄が屈み込んでいて、優しく由梨花の背中を摩っていた。 一度ひとたび大きな深呼吸をすれば、たちまち過呼吸も寒気も収まってしまった。 恐る恐る振り向いてみても、そこにはなまはげの衣装が並ぶ他に何一つ無かった。


 「やっぱりトラウマ抱えてたんだね~」


 「・・・トラウマ?」


 「そうそう。 まぁでも、克服できたっみたいでよかった~」


 未だに混乱している由梨花は、言葉に理解が追い付かなかった。 しかし、先程の畏怖がきれいに消え去ったという事実だけは、辛うじて解ることができた。 みのも鬼面も、あの手の刃物にさえ愛嬌を感じる。


 「どう? なまはげ、まだ怖い?」


 「——怖くない。 なんなら、ちょっとかわいいかも…? よくよく考えてみれば、こんなのがこどもを叱りに来てくれるのって、むしろ健気に思えてきちゃった」


 不思議と肩の力が抜けて、口元も綻んだ。 つい先程までは見えもしない恐怖から逃げていたけれど、しっかりと向き合うことでそれを克服できたのだろう。 そうすると、先刻の霞澄の言葉も意味が分かった気がした。


 「…ということで、欠片は全部集まったよ~」


 「本当!? やった~!」


 我も場も忘れ、つい大きな声を出してしまったが、それだけ由梨花にとっては嬉しいことだった。 旅の終わりは寂しいが、由梨花の父親もその他の人も、これでようやく助けることが出来たのだ。 体全体で喜びを噛み締めていると、霞澄が続けた。


 「だから、一応これで旅は終わりなんだけど・・・ひとつ、お願いをしてもいいかな」

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