第八章~恐れの断片~

一節 「耀武揚威の象徴」

 秋田へ向かう二人は、一晩置いて空港へと来ていた。 飛行機が飛ぶまでは時間があるけれど、売店に行くほどの時間はない。 そんな絶妙に微妙な時間を持て余した由梨花は、無意義にガラスの壁の向こうを眺めていた。


 飛行機が飛んで来ては、別の飛行機がまた飛んでいく。 そのタイミングは全て計算しつくされていて、日本中の…そして世界中の空港を飛び回っているのだと思うと、世界の広さに圧巻された。


 「——あっ、そろそろ乗っていいっぽい」


 「本当? 分かった~」


 手招く霞澄を追うようにして、由梨花も搭乗口へ向かった。 大荷物を抱えた人達の並びに由梨花も加わる。 飛行機までのトンネルのような場所も、機体中央の廊も、由梨花にとっては見慣れない光景だ。


 座席に座り、シートベルトを締め、手荷物を整理し、なんとなく窓の外を眺める。 平坦な飛行場も、轟音をあげるエンジンも、新鮮さからやけに魅力的に映る。 機体が動き始めれば猶のことだった。


 しばらくの間滑走路を巡回した後、少しだけ前方が浮き、そのまま離陸した。 それからの加速は実に円滑で、遠ざかる街を見ている間にひつじ雲を乗り越えていた。 じきにシートベルトを外してもよいという無機質なアナウンスも流れ、由梨花は外しながらテーブルを引き出し、ペットボトルと空港内のコンビニで買ったお菓子を並べた。




 それから、どれくらいの時間が経ったか。 空々うつらうつらとしていた由梨花は、着陸態勢に入るというアナウンスで意識を降ろした。 外を見ると、緑色の地面が遠くに望める。


 辺りからは、荷物をまとめ今すぐにでも降りようとしているかのような焦燥混じりの雑踏が聞こえる。 しかし、霞澄に目を移せば、ひざに載せた手荷物を抱え、平然と座っている。 その清楚な風体は、他人とは違う何かを連想させる。


 そんな物思いに耽っている内に、飛行機が停止し始めたようだ。 着陸時の衝撃が終わるや否や、周囲の乗客は次々に座席を立ち始めた。 タイミングを見計らい、由梨花と霞澄も搭乗口から延びる即席の階段で空港へと降りた。



 「やった~、秋田着いた~」


 空港の構内を出て不意に口から発した第一声に、霞澄は『そうだね』と優しく返した。 ただ、飛行機に乗ったとはいえ国外に出たわけではなく、何なら一度来たこともあったはずの土地なのだから、著しく景色が目新しいものになるといったこともないけれど。 それでも、由梨花は新天地に期待を膨らませていた。


 「ここからはやっぱり、バス移動?」


 「そうなるかな~」


 そう言った霞澄は、周囲と携帯を交互に見ながら、どこかへ歩き出した。 行先は訊かずとも想像がつく。 文脈とこれまでの傾向パターンからして、恐らく空港内のバス停だろう。


 歩き始めて1分も経たず、目の前に見慣れた看板と停まっているバスが見えてきた。 やはり推測は的中していたようだ。 乗るたびにデザインが違う中で案の定印象的な配色のそのバスに乗り込み、これまた典型的なカラフルなカバーの掛かった座席に身を任せ、由梨花は深く息を吐いた。




 バスに揺られながら路沿いに茂る草木を眺めていると、車内アナウンスが聞こえてきた。 どうやら、もうじき次の場所に着くらしい。 気分が鮮明にならないままに前方へ目線を移すと、多少既視感のある顕著なオブジェが見えてきた。


 「———ねぇ、霞澄くん。 …あれ何?」


 「なまはげじゃない?」


 「・・・えなにそれ?」


 耳に覚えがあるような気もするが、思い出せそうで思い出せない。 それでも不可抗力で身震いがする。 ただの像だと分かっていても、遠くから見つめ合うだけでも、これではまるで蛇に睨まれた蛙だ。


 「秋田県の~なんだっけ? 名物みたいなやつ」


 「——もうちょっと詳しく教えてくれない?」


 「ん-…まぁいいよ」


 少し気怠そうに言いつつも、まんざらでもなさそうに言う霞澄は、もう止まり掛けたバスの座席からゆったりと立った。 窓からは比較的穏やかな日差しが吊り革を揺らす。 建物に隠れる風車と向かい合うようにそびえ立つそれは、二人の来た道を眺めているかのようだ。


 「えーと、なまはげってのはね。 秋田県に古くから伝わる伝承みたいなやつで、大晦日の日に“悪い子はいねが~”みたいなこと言って小っちゃい子追っ掛けまわす行事」


 「っわ何それ!?」


 「——ってのは嘘・・・でもないんだけど、親の言うこと聞かない子を戒めるためにするらしいよ~」


 「へぇ…いやでも怖くない? あれが追い掛けてくるんでしょ?」


 「けど、怖くもないのが追っ掛けたって意味なくない?」


 「確かに…え~でも、なんだかなぁ・・・」


 なまはげへの恐怖心が拭えない由梨花は、どうしても受け入れることが出来ない。 他所の伝統にけちを付けるつもりはないけれど、そんな恐怖体験などしたくもない。 足元へ歩きながら見上げている間にも気迫以上の何かに圧し潰されそうだった。


 「——ちなみにさ。 この近くに体験できる場所が」


 「い~や全っ然大丈夫だから! そういうの本当にいいから! ね?」


 「ふーん・・・じゃせめて資料館だけでも」


 「———…怖いのだ~っ!」

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