三節 「道草に氷菓」

 「———ねぇ、由梨花ちゃん」


 由梨花がここへ来る際に降りた所の一つ隣のバス停で待っていると、霞澄がそっと声を掛けた。 日蔭の中で日差しの照り返しを受けたそのは、月よりも星よりも遠いくらいの深い群青色に澄んでいる。 その中で反射した揺らぐ二筋の光が、ベニヤの板張りを青く染める。


 「次の場所までは飛行機使うんだけど、飛ぶのは夕方だから。 それまでにどこか行きたい場所とかある?」


 「う~ん・・・」


 行きたい場所、と唐突に言われても、特にこれといって思い浮かぶものもない。 霞澄の意見も聞きたいところではあるけれど、きっと何も思いつかなかったから聞いてきたのだろう。 今行きたい場所、欲しいもの、したいこと…。


 「じゃあ、何か冷たいもの食べたいな~」


 「いいね! それなら、この辺でアイス屋さんとか探してみようかな」


 そう言うと、霞澄はルンルン気分で指を画面上で滑らせ始めた。 脚を組みながら運動靴を縦に振り、聞き覚えのある鼻歌まで歌っている。 同じ歌ばかりを繰り返し歌っているけれど、余程その歌が好きなのだろう。


 「それ何の歌?」


 「秘密~」


 その歌は不思議なことに、いくら耳を傾けても歌詞が聞き取れない。 旋律も拍子も耳によく馴染むけれど、聞き覚えはない。 もしや、外国かどこかの歌なのだろうか。


 「——あっ、こことかどう?」


 そう言って霞澄が差し出した携帯には、小粋なジェラート屋と実に美味しそうなジェラートが映っていた。 色とりどりのそれには多種多様な具材が鏤められていて、いかにも美味しそうだ。 画面越しに見ているだけでも、顔が綻んでしまう。


 「うわぁ、美味しそう…ここって近い?」


 「すぐそこってほどじゃないけど、二時間あれば着くと思うよ~」


 その語尾を掻き消すように、バスのブレーキ音が聞こえてきた。 鉄製のフロントで反射した日差しが眼を刺す。 『プシューッ』というエアブレーキの音で、霞澄もこちらを振り向いた。




 バスに乗り、電車に乗り、またバスに乗って、地平線まで届くくらいの徒広だだっぴろい田園を抜けた。 バスが停車した辺りには、未だ果てない青々とした稲田とは対照的なアスファルトの広い駐車場と、これまた広い木造の建物が建っていた。 等間隔に立つ送電塔がやけに蒼空に映える。


 「ふわぁ~、やっと着いた~」


 組んだ両手を天に掲げ、霞澄は言葉を漏らした。 晴天が誇張するコントラストの中で、甲高かんだかさえずりが一際目立つ。 壁面がガラス張りの向こうの建物には、人溜まりができていた。


 「多分…あっちかな? 行ってみよう」


 そう霞澄が指したのは、その建物の方だ。 心地よいこの夏日に、同じく氷菓を求める人も多いのだろうか。 どれくらい待つのかな、美味しそうな味が売り切れてはいないかな、そんなことを考えながら、由梨花は自動扉を潜った。



 建物の中へ入ると同時に、空調機の冷風と先客の景気に包まれた。 右手を見ると土産屋の手前にジェラート屋の小店があり、メニューを眺める客とジェラートを手にしてイートインへ向かう客で小さな列を成していた。 由梨花もその最後尾に並び、順番を待つ。


 「——ご注文は何に致しますか?」


 数分も経たないうちに、前方の列は解れた。 綺麗に並べられたポップ付きのアイスを眺め吟味するけれど、なかなか選べたものではない。 しかし、その中でも特に由梨花の目を惹くものがあった。


 「それじゃ、パッションフルーツと桃を下さい!」


 「かしこまりました」


 清朗な店員に心を和ませながら、コーンに掬う様子を眺める。 霞澄は桃のやつ買っといてとだけ言い残し土産屋を見ているけれど、それほど気になる物があったのだろうか。 受け渡されたジェラートを両手で持ち、後ろの空いている席へと向かった。




 「———あっ、霞澄くん遅ーい」


 「ごめ~ん。 あと、それありがとう」


 霞澄はそう言うと、薄ら融け掛かった片方を受け取り、向に座った。 手には何も持っていないけれど、あまり良いものはなかったのか、そもそも買うつもりがなかったのか。 それか、帰り際に買うつもりなのだろうか。


 「じゃ、いただきまーす」


 そう言って、由梨花はジェラートをんだ。 そうしてまず感じたのは、氷くらいの口に残る冷たさと混じり気のない透明な甘さ。 そして、南国らしい濃厚で弾けるような香りだった。


 舌触りはとても滑らかで、舌の上で綿菓子のようにほろほろと崩れてしまう。 そうするとより一層はっきりとした風味が口を満たす。 気付けば口へ運ぶ手が止まらなくなっていた。


 一気にがついてしまえば、頭痛に襲われるのは言うまでもない。 わかっていても、それでもやはり次へ次へと口に入れてしまう。 まるで、舌がジェラートの虜になってしまったようだ。




 ジェラートを食べ終わると、そのまま先程のバス停へと戻った。 霞澄はやはり土産を見ていただけだったらしい。 少し落ちた陽のお陰で暑さは和らぎ、道の向かい側からは鈴虫の鳴き声も聴こえてきた。


 「ところで、最後の場所がどこか言ってたっけ?」


 「ん-、聞いてないと思う」


 「そっか。 最後は秋田まで行――」


 「秋田!?」


 唖然とした由梨花は条件反射で大きい声が出てしまった。 しかし、秋田と言えば、あの秋田だ。 ここからどれだけ遠いかということくらい地図を見ずとも分かるから、当然と言えば当然なのだ。


 「そう。 だから、今回は飛行機使わないと無理かなって」


 「ヒコウキ!? そんなこと言った?」


 「言ったよ」


 「——嘘だぁ!」

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