第七章~驚きの断片~

一節 「迷宮入り」

 バスを降りた由梨花たちは、電車を乗り継ぎ、バスにも乗り、今度は福島県にやって来ていた。 しかし、どこを見渡しても草木ばかり。 霞澄は由梨花をどこへ連れて行くつもりなのだろうか。


 「ねぇ…本当にこっちで合ってるの?」


 「うん、多分」


 「それならいいけど――」


 そうは言っても、疑う余地もなく、行先はこの山のさらに奥だ。 その先にある物なんて、木と林と森くらいしか思いつかないのだから、由梨花は内心少し不安になっていた。 そんな気持ちは置き去りに、バスは山のど真ん中で停車してしまった。




 「——さて・・・それじゃ、そろそろ行こっか」


 辺りを歩き回っていた霞澄が戻って来ながらそう言った。 手には地図も持っていない割には、バスの座席でルートを確認していた様子もなかった。 けれど、一応しっかりしている霞澄のことだから、ずっと一本道か、はたまた来たことのある場所なのだろう。


 「あのさ…一応、聞くけど。 ――どこ行くの?」


 「あそっか、そういえば言ってなかったね。 今から、森の奥の秘境にある滝に行こうかな~って思ってるんだ」


 「へぇ~、滝…」


 特にこれといった違和感はないのだが、それにしては腑に落ちない。 霞澄の話では、次は驚きの欠片らしいけれど、滝で驚く…。 驚くほどに美しい滝、とでも故事こじけるつもりなのか。


 それならこんな山奥に入るのも納得が行かないこともないけれど、何しろ由梨花には滝に心を打たれた記憶なんかない。 先程のゴミ拾いはまだ共感する点があったが、そもそも滝に行ったことがあるかどうかでさえ曖昧だ。 そこには一体どんな由梨花との接点があるのか。




 森中からのおとが聞こえてきたのは、二人が小道を歩き始めた頃だった。 涼風が葉と躍れば摺々さらさらという響が木洩れ陽と共に降り注ぎ、澄み渡った空気の中を川の流れが飽和する。 柔らかい土を踏み締める感触は、靴越しでも鮮細せんさいに伝わってきた。


 けれど、ついさっきと比べても、その道が薄くなってきている気がしてならない。 管理が行き届いていないのは一目瞭然であり、もう半分獣道のようなものだった。 それでも堂々と進む霞澄に続き、由梨花は迷いを払拭ふっしょく道形みちなりに進んだ。


 けれど、最寄りのバス停からもう10分は歩いているのだから、少なくとも滝が見えていてもおかしくないはずだ。 それなのに、気の所為せいか代わり映えしない景色は朦々もうもうとしてきたように感じられる。 これが強迫観念だと自分に言い聞かせる由梨花は、訊くだけ訊いてみようと霞澄に話し掛けた。


 「——霞澄くん。 滝に行く道はここで合ってる…んだよね、たぶん。 あとそれくらいで着く?」


 「うーん、そろそろ着いてる頃だと思うんだけどなぁ。 ま~そのうち着くでしょ!」


 「そのうち・・・ねぇ、本当にちゃんと道見たの?」


 「うん、見たといえば見てないこともない…」


 「——なるほどね、わかった」


 思っていた通りと言えば、そういうことになる。 ただ、霞澄のことだから、どっちみちこのまま進んでいても辿り着くのだろう。 でも、このままずっとこんな道を歩いていては、きっと途中で行倒れてしまうに違いない...!


 「もう一回地図見てみれば?」


 「充電切れた」


 「…それなら私が――」


 「圏外」


 「・・・」


 今更歩いて帰るにも、入り組んだ道無き道は復路を隠し、まるで由梨花を最奥まで手招いている様子だ。 四面楚歌とはこういうことなんだと、由梨花は身を以て実感したけれど、時は既に遅かった。 今はただ霞澄に付いて行く他ない。



 正規ルートを外れてからも、由梨花は霞澄のよこを歩き続けた。 文字通りに右も左も今となっては分からない。 それでも、今の状況から少しでも滝に近付き、遭難から遠ざかりたいという一心が由梨花の足を動かしていた。


 隣に視線を向けると、霞澄も同じことを考えているようだった。 少し細身の色白の脚はいつもより早足で、頭に乗った落ち葉にも気付いていない様子だ。 そんな霞澄を横目に進んでいる由梨花は、段々と既視感に覆われる感覚に陥っていた。


 「——ここ、さっきも通らなかった?」


 「うん、通った」


 「やっぱり・・・え、通ったってどういうこと!?」


 あまりに突飛なことを平然と言うのだから、由梨花は立ち止まって、目を見開いたまま立ち尽くしてしまった。 霞澄は二、三歩先で立ち止まりこちらを振り向いたものの、聵由瞪きょとんとした様子でこちらを眺めている。 しばらくの間そうしていると、霞澄がペットボトルを取り出しながら言った。


 「どういうことって言われても、道が入り組んでるから同じところを回ってるとしか言いようがないというか・・・」


 霞澄はそう言い終えると、外方そっぽうを向いて面を逸らし、辛うじて残っていた水を飲み干した。 故意ではないことは分かっているけれど、このままではらちが明かない。 既に正午も過ぎていて、このままでは滝にすらくらくなる前に辿り着けないかも知れなかった。


 けれど、もはや頼りになる物が何一つ残っていない以上、歩いてみる他ない。 どの道を通りどの道を通っていないのかなど憶えている訳もないものの、どんな迷宮でも出口が無いはずがない。 そう自分を鼓舞すると、由梨花は量産された複製物のような森の中を、霞澄の左手首を強く引きながら再び歩き出した。

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