二節 「雲外蒼天」
山を登り始めた二人が歩いているのは、緑の
山頂はすぐ近くにあるようで、まるで辿り着かない。 そのまた上に浮かぶ太陽は、草木を活き〱と輝かせる。 そんな自然の中にいると、傾斜を歩く疲れさえも忘れてしまいそうだ。
「霞澄くん、やっぱりこのまま頂上まで行けそう――」
「だめ」
「…どうして?」
霞澄は迷いもなく即答した。 いつもノリが軽い霞澄だから、尚更由梨花は戸惑った。 そんなに突飛なことでも言ったのだろうか。
「世では弾丸登山だとか言うけど、山を軽視したら本当に危険なんだよ?」
「そんなに?」
「そんなに」
「へぇ~…」
けれど、言われてみれば遭難事故などは頻繁にニュースになっている。 油断をした時こそ、本当に危ないのだろう。 でも、せっかく来たのだから、羽目は外さずとも楽しまずにはいられないのだ。
「——あっ、ねえねぇ、あっちにお花咲いてるよ!」
そう言いながら、由梨花は小走りで霞澄を追い越した。 目線の先には、白くふわふわした不思議な形の花が咲いている。 こんな標高の高いところにも花は咲くものなのかと感心していると、追い付いた霞澄が隣にしゃがみ込んで言った。
「あ~、それオンダテだね」
「おんだて…?」
少なくとも、そんな花は聞いたこともない。 何かに似通っている訳でもないから、見当もつかない。 …そもそも、霞澄は何故そんな花を知っているのか。
「オンダテって確か高山植物で、この辺に生えてるんだよ~」
「へぇ~、初めて聞いた~」
「それはそうと、由梨花ちゃん。 あんまり走ったりしたら、後から知らないよ?」
「いやいや、大丈夫だよ、そこまで傾斜がきついわけでもないし!」
いくら空気が薄いとは言えど、山頂まで登る訳ではないのだから。 それに、由梨花は特別体力が無いといったこともない。 きっと後悔なんてしようがない。
―――そう思っていた頃もあったけれど、その数分後には既に先程のツケが回ってきていた。 息は上がり、足にも力が入らなくなってきている。 日頃の運動不足が祟ったのだろうか。
「・・・もしかして由梨花ちゃん、もう疲れたの?」
「うん、もうへとへと~」
「ほらぁ、だから言わんこっちゃない…」
・・・思い返してみれば、確かに霞澄はあまり体力を消耗しない方がいいと言っていた。 標高の高いところは決まって空気が薄いから、余計に疲れやすいのだろう。 どっちにしても、これ以上登るのは厳しそうだ。
「霞澄くん、もう疲れたから降りようよ~」
「えぇ~、もう降りるの? まだちょっとしか歩いてないのに?」
「だって、疲れちゃったんだからしょうがないじゃん」
「・・・うーん、しょうがないか~」
立ち止まった霞澄は少し不満そうだったが、一応渋らずに受け入れてくれた。 若干申し訳ないけれど、疲れてしまったものは仕方がない。 すると、霞澄が隣に来ながら勿体振るように言った。
「由梨花ちゃん、後ろ、振り向いてみて」
「…後ろ? いいけど――」
言われるままに由梨花が振り向くと、少し冷たい爽やかな風が由梨花の顔を吹き抜けた。 そして、いつもより眩しい日差しに眩んだ目をゆっくりと開くと、そこに広がっていたのは、低い雲で霞んだ山並みと遮る物ひとつもない碧天だった。
荘厳な静寂が由梨花を包む中で、山と空と雲のコントラストが目を刺激する。 身ごと吸い込まれてしまいそうな自然の大渦を肌で感じていると、不可抗力からか、気付けば鳥肌が立っていた。 言葉にできない絶景に由梨花が圧巻されていると、霞澄が諭すような口調で言った。
「———どう? 苦労して登ってきた甲斐はあった?」
「うん・・・なんだか、さっきまでの苦労が報われたんだって感じがする」
口に出してみるとあからさまだが、由梨花は心からそう感じていたのだ。 実際はほとんど登っていなかったのだろうとは思うけれど、それでも由梨花は確かに負の感情を抱いていた。 しかし、それでも、だからこそ。 登り切った後の景色が心に響き、沁み渡るのだと思えた。
「…そっかぁ。 まあ、由梨花ちゃんがそう思えたなら、ここに来た意味もあったって言えるんじゃないかな――」
霞澄はそう言うと、大きく背伸びをした。 由梨花とは違いほとんど疲れていないように見えるけれど、首元は少し汗ばんでいた。 そんな霞澄を眺めていると、あっと声を出して由梨花の方を振り向いた。
「そういえば、欠片見つかったよ~」
「本当? やった~! それじゃ、あと何個かな?」
思わず
「あと3つだよっ!」
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