第五章 ~嫌悪の断片~
一節 「中途半端なら生半可でも」
伊勢神宮を後にした二人は、早速次の場所へと向かっていた。 ホテルを出発したのは早朝、正午までまだ時間は十分にある。 想愁病が消えて無くなるのは当然早ければ早いほどいいのだから、実質的に他に選択肢などなかった。
「ところで霞澄くん、次はどこに行くの?」
「次はね~、山梨とか静岡とかそこら辺なんだけどさ~…」
ため息を吐いて霞澄が続ける。
「そこってドンピシャ富士山なんだよね~」
「・・・え? それっ——」
「お察しの通りでございます」
「・・・えぇ~?」
確か、これまた小さかった頃に、富士山に登ったことがあったはずだ。 そして、欠片は確か嫌悪?だった。 ・・・つまり、そういうことなのだろう。
「それって…さ、他の方法で代用とか――」
「急がば回れ、って言うでしょ?」
渋る余地も無く霞澄は即答した。 正直なところ、これまで滅茶苦茶なスケジュールで旅を続けていて、今更こんな事を言うのは気が引けるけれど。 3000mと幾つを登ると言うのだから、いくら由梨花でも後ろめたい気持ちにもなるのだ。
「まさかとは思うけど、山頂まで登らなきゃいけないわけじゃないよね…?」
「そりゃあもちろん――—」
霞澄は立ち止まって振り返り、真っ直ぐ由梨花を見つめながら、堂々と言い放った。 通行車の風を受けて、霞澄の少し長い髪が靡く。 おまけに両手を腰に当て、猛暑日をも凌ぐ晴れ晴れしい声で言い切ったのだから、まずホラは吹いていないだろう。
「——だって、さすがに素人の僕らだけで登頂は無理でしょ~」
「だよね・・・え、今なんて?」
「いや、だからさ。 僕らだけじゃ登頂なんて無理だから、もちろんちょっと登るだけだってば」
「——なぁんだ、びっくりした。 …はぁ~、日本語って難しい」
「え?」
「何でもないよー」
なんとか棒読みで流したはいいものの、まったく日本語とは厄介なものだ。 完全に同一の言葉が、時に正反対の意味をはらむというのだから、たまったものではない。 でもそれはそうと、どうやら頂上までは登らなくてもいいらしい。
そう考えると、由梨花は段々と気が楽になってきた。 ただちょっと山を登るだけで欠片が集まるというのだから、かえって浮かれてしまうような感覚さえ感じた。 きっと効率や手軽さを求めてはいけないとは思ったけれど、楽であるのに越したことはなかった。
三重県から静岡県までは、電車を何本か乗り継いだ。 数日前からずっとこの調子だから、特に
…でも、強いてこれまでとは違うことがあったとすれば、地平線を望む度に山影が濃く、大きくなっていったことだ。 遠くからでも鮮明な群青。 まるで由梨花を誘っているかのように、町の向こうに鎮座していた。
「———で、霞澄くん。 結局富士山ってどの辺まで登るの?」
「そうだね~…」
山麓へ歩きながら由梨花が訊くと、霞澄はいつものように両腕を組み、斜め上を見上げながら考え込んだ。 富士山は既に目の前に聳え立ち、太陽は登り切ろうとしている。 眩しい日差しとは太陽的な涼しい風が心地よく髪を揺らした。
「目的は欠片の回収だから、正直欠片が見つかり次第さっさと下山したいんだけど…まぁ、せっかく来たんだし。 景色くらいは見ていきたいよね~」
「確かに、富士山になんてめったに行かないもんね~」
元々由梨花はあまり家から出ない方だから、ましてや富士山など、きっと当分行く機会などないのだ。 せっかくの登山だ。 きっと素でいた方が、想い出の欠片も見つかりやすいはずだ。
「——ってことで、早速登ろう~!」
登山口に着くと、霞澄はハイテンションで言った。 なにやら先程より荷物が増えているような気もするが、だからといって登山客にはまるで見えない。 本当にこれで大丈夫なのだろうか。
「・・・なんか、僕のこと信用してないでしょ」
「え!? い、いや、別に…」
とっさに誤魔化すが、しどろもどろになってしまう。 それにしても、何も言っていないのに察するなんて、勘のいいものだ。 すると、軽く溜息を吐きながら、霞澄が続けた。
「いくら富士山でも、たかがちょっとの登山だよ? 最低限の物があれば大丈夫でしょ」
軽い口調のせいか納得できる気はしないけれど、確かに道理は通っている。 欠片が見つかる基準はやっぱり、なんとなく分かるかも知れない程度だが、さすがに山頂まで辿り着くことはないはず。 由梨花はそんなことを考えながら、いつの間にか歩き出していた霞澄を小走りで追い掛けた。
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