六節 「静かな駆け引き」

 堤防に着いた二人は、各々の荷物を置き、ふちに腰掛けた。 ザラザラとしたコンクリートの下には、テトラポットが並んでいる。 もし落ちてしまえば、ひとたまりもなさそうだ。


 「それじゃ、まず、釣り竿を持ってみて」


 霞澄が手渡しながら言った。 釣り竿を持っている方の手つきからは、ぎこちなさは感じられない。 よほど、慣れているのだろうか。


 「こう…かな」


 言われるがまま、とりあえず持ってみる。 根元の方に、グリップのようなものがあるけれど、ここが持ち手なのだろうか。 でも、くっついている棒のようなものが邪魔で、上手く持てない。


 「由梨花ちゃん、リールを右手で回すなら、右に持ってきた方が良いよ~」


 そう言って、霞澄は由梨花の釣り竿を回した。 すると、さっきまで持ちづらかった釣り竿が、手に完璧にフィットしたのだ。 やはり、分からないことは人に訊くべきだなと心の中で思った。


 「次は、この釣り餌を付けて…」


 「——霞澄くん、もしかして、釣り餌ってミミズとかじゃないよね…?」


 釣りと言えばミミズ。 けれど、虫が大の苦手な由梨花にとっては、虫を触るなど到底無理だった。 それがミミズなら尚更のこと。


 「…由梨花ちゃん、もしかして虫苦手?」


 「うん・・・」


 「まぁ、そんなこともあろうかと、フライフィッシングにしたんだけどね~」


 「…フライフィッシング?」


 フライフィッシングと聞いた由梨花は、どうしても頭からエビフライが離れなくなってしまった。 きっと天と地がひっくり返ってもエビフライでは魚は釣らないとは思いつつも、それ以外のものを連想できない。 そんな由梨花を気に掛ける様子もなく、霞澄は続ける。


 「フライフィッシングってのは、簡単に言うと、偽物の餌で魚を釣ることでね――」


 「じゃあ、エビフライは?」


 頭の中がエビフライでいっぱいになった由梨花は、つい意味不明なことを言ってしまった。 途端に、霞澄の口が止まった。 それもそうだ。 しかし、霞澄は苦笑いをしながら続けた。


 「フライフィッシングのフライは、そっちのフライじゃないと思うな・・・」


 「…だよね。 なんとなく、知ってた」


 「———気を取り直して。 餌付けよっか」


 そう言うと、霞澄はプラスチックの透明な箱から、カラフルな魚の模型のようなものを取り出した。 しかし、それのお腹には変わった形の針が付いていた。 それに、よくよく見て見れば、釣り糸の先に針が付いていないのだ。


 「なんか…イメージしてたやつと、だいぶ違うんだね」


 「そりゃまあ、餌釣りじゃないからね~」


 そんな会話を交わしている内に、いつの間にか糸の先に針付きの魚が付いていた。 話しながら、霞澄が由梨花の分まで付けていてくれたのだ。 淡い紫色の小魚は、空を泳いでいる。


 「さて。 準備も終わったことだし、さっそく釣ろ~」


 霞澄は腰に手を当て、少し格好を付けながら言った。 ようやく、魚釣りに入れるのだ。 …しかし、本当に魚は簡単に釣れるものなのか。


 「ねぇ、霞澄くん。 今から釣る魚って、どんな魚なの?」


 「——餌に喰いついたその辺の魚!」


 自信満々に霞澄は言った。 水平線を眺めながら、やけに堂々としている。 …が、つまりは、やはり無計画ということだ。 由梨花は苦笑いの溜息を吐いた。


 「まぁ、投げてみればそのうち釣れるんじゃない?」


 「…わかった、とりあえずやってみるね!」


 由梨花はそう言うと、釣り竿を海に向かって大きく振り被った。 疑似餌は弧を描きながら飛んで行き、やがて海面に着水した。 小さな波紋が穏やかな日差しを乱反射させる。


 由梨花は霞澄に言われるがままリールを巻き、手を止め、また巻いてを繰り返した。 そうして糸を全て巻き終えると、また海に向かって餌を放った。 動きが段々と手に染み着いてくる。


 けれど、それと同時に少しずつ退屈に蝕まれていく感覚にもなった。 巻けども巻けども、魚は揚がって来ない。 おまけに、景色も変わり映えしないのだ。




 ———ふと、指先の感触に違和感を感じた。 リールを巻いてみても、糸が戻らない。 何かに引っ張られているのだ。


 「…もしかして、魚?」


 釣り竿を引いたり戻したりしている由梨花を不思議に思ったのか、霞澄が立ち上がった。 先程まではボーっと海を眺めていたが、ようやく手伝ってくれるらしい。 由梨花は少しはにかみ気味で言った。


 「うん――多分、そうかもしれない…」


 「なら、ちょっと貸してみて~」


 言いながら歩いてきた霞澄は、由梨花の手の上から釣り竿を持った。 そして、何やら色々な方向に引っ張ったり戻したりしている。 そして、少し黙った後、少し残念そうに言った。


 「これ…多分、アレだね」

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