五節 「仕返しの行方」
あれから幾分か経った後、由梨花は釣り竿二本を抱え、海岸へと向かっていた。 今頃、霞澄は何をして待っているのかな。 いずれにしても、呑気にしていそうだ。
「——それにしてもこれ、持ちにくいなぁ」
重さだけで言うと、釣り餌を合わせてもペットボトル一、二本分くらいなのだけれど、なにしろ長いのだ。 下を持つと安定しないが、上を持ったらきっと引き摺ってしまう。 そして、水平に持つと今度は辺りの建物にぶつかってしまいそうだ。
「せめて自分の分くらいは持ってくれればいいのに、なんで付いて来すらしなかったんだろうな」
しかし、そうは言ってももはや後の祭りだ。 それに元はと言えば、押しに負けたのは由梨花の方である。 仕方がないから、優しく清い心を持った由梨花が持ってあげることにした。
そんな由梨花が海に着いた頃には、とっくにへとへとに疲れていた。 額は汗ばみ、掌も少し赤くなっていて、すぐにでも砂浜に座り込みたかった。 けれど、先に霞澄を探さなければ。
水面が夏陽に煌めいている。 そんな海を横目に歩くと、寄っては引く波に心を洗われるようで、とても穏やかな気分になる。 波が波を追い越す音はまるで、生き物の吐息のようだ。
——ふと、向こうに目をやると、人影が見える。 どうやら砂浜にしゃがみ込んでいるようだ。 あれは霞澄だろうか、遠くからではよく見えない。
十歩歩くと、手に何かを持っているのが分かった。 また十歩歩くと、しゃがんでは立ち、少し歩いてまたしゃがんでいるのが見えた。 そして、またさらに十歩歩いたところで、相手がこちらに気付いたようだった。
「お~い、こっちだよ~!」
波と距離に搔き消され、半分くらいしか聞こえなかったけれど、大袈裟な身振りと、声特徴のギャップから霞澄だとすぐに分かった。 それにしても、周りなど一切気にせずに大声で名前を呼んで。 まったく、無邪気なものだ。
「霞澄くん? 良かった~、やっと見つけた~!」
前のめりになりながら、精一杯の声を張り上げ、由梨花も返した。 すると、どうやら霞澄は、こちらに向かって走り出したようだ。 手を振りながら、こちらへ近付いて来る。
由梨花も歩き出したけれど、10mも歩かないうちに霞澄と合流できた。 でも、あれだけの距離を走っていたはずなのに、霞澄はまるで息が乱れていない。 実は陸上部にでも入っていたりするのだろうか。
「——あれ、霞澄くん、その袋どうしたの?」
先程までは気にもしていなかったが、そういえば片手に白いレジ袋を提げている。 袋には何か入っているようだったけれど、中身までは分からなかった。 すると、霞澄は袋を開きながら答えた。
「これさ~…この辺、結構ゴミ落ちてるから、さっきまで拾ってたんだよね~」
「・・・えぇ⁉」
霞澄には失礼だが、てっきり昼寝でもしているものだと思っていたのだ。 それが、如何にも「善行」らしいことをしていたのだから、驚くのも無理はない。 しかも、暇つぶしで、なのだ。
「…そんな驚くこともなくない? ただゴミ拾ってただけだし――」
「いや、霞澄くん十分偉いと思うよ?」
「———本当に?」
霞澄の声色が変わった。 動揺でもしているのだろうか。 それならば…。
「うん、めっちゃすごいと思う!」
「そうかなぁ~」
「暇つぶしでゴミ拾いする人なんて、そうそういないよ~」
「…やっぱり、僕、偉いのかなぁ」
「うん!」
「やった~」
由梨花は、霞澄に気付かれないように、静かに笑った。 そして、会話の流れを保ったまま、
「はい、これ持って!」
「いいよ~!」
「やった~」
「・・・あれ、今なんて?」
由梨花は、言うが早いが、ここぞとばかりに、半分無理矢理に釣り竿を霞澄に押し付けた。 すると、されるがままに受け取ってくれたのだ。 その滑稽さと、重荷を降ろした解放感とで、笑いながらへなへなと砂浜に座り込んでしまった。
「ありがとうね、優しい霞澄くん!」
「うん――けど、重いなら重いって言ってくれれば、普通に持ったんだけどね。 …ま、いっかぁ」
「…え、そうだったの?」
平然と言う霞澄に、由梨花は食い気味で言った。 せっかく霞澄を陥れて、勝ち誇ったつもりでいたのに、あっさりとそれが実質的に無に帰したのだ。 今度は反対に、自分が恥ずかしく思えてきた。
「——まぁ、とりあえずさ、早く魚釣らない?」
「うん…そうだね」
霞澄はケロッとして、もう堤防へと向かっている。 こう見えても、案外温厚で優しいのだろうか。 そう思いつつ、霞澄のビニール袋をちょっとだけ強引に引き取り、由梨花もゆっくり歩き出した。
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