四節 「“やっぱり”」

「私、本当はね。 これから…が、不安で仕方がないの」


 上手く言えず、やはり言葉が詰まってしまう。 由梨花が自分の弱みを口に出すのなんて、本当にいつ振りだろうか。 無意識に、体が段々と縮こまる。


 「ふぅ~ん…」


 霞澄は何と言うだろうか。 『何甘えてるんだ』なんて叱ったりは流石にしないとは思うけれど。 もしかしたら、お節介を焼かれるかもしれない。


 でも、あの霞澄だ。 案外、興味などないのかも知れない。 素っ気なく、無かったことにされてしまいそうな気もする。


 …むしろ、そっちの方が有り難いと、由梨花は思ってしまった。 不安なのは不安だけれど、結局どうしても迷惑は掛けたくない。 やっぱり、無かったことにしてもらおうか。


 『やっぱり――』


 二人の、言い掛けた言葉が、重なった。 それぞれ違った意味をはらんだ二つの言葉が、それぞれにぶつかって引っ込む。 そのせいで、霞澄の文脈が掴めない。


 「…やっぱりって、どういう意味?」


 あまりの動揺に、質問が露骨になってしまった。 由梨花に圧し掛かる気まずさが、眩しい日差しでより一層重くなる。 今すぐにでも、どこかへ逃げ出してしまいたいとさえ思ってしまう。


 「えっと…やっぱり、そうだったんだなぁ、って」


 「そうだった…?」


 思わず訊き返す由梨花に、口調も変えず霞澄は答えた。


 「不安だったんでしょ? 色々とさぁ」


 道端をぐるぐると歩きながら言う霞澄は、本当はちゃんと気付いてくれていたのだ。 きっと、ずっと気に掛けてくれていたのだ。 胸の奥から、嬉しさのような、悔しさのような、言葉にできない想いが込み上げてきた。


 下唇を噛み、何も言い出せずにいる由梨花を背に、霞澄は黙り込んでいる。 気を遣ってくれているのか、由梨花と同じように言葉を探しているのか。 そんなことを考えていると、霞澄がこちらを向いた。


 「——とりあえず、海、行こう」


 「え、でも…」


 意に反して、言葉が勝手に躊躇ためらってしまう。 舌足らずが言うことを聞かず、会話がまた滞る。 そんな、やるせなさに左腕を抓る由梨花を見て、霞澄は続けた。


 「…大丈夫だよ。 多分なんとか――いや、もし何かあっても、僕が助けてあげるから」


 そう言った霞澄は、静かに、微笑んだ。 見えてはいない。 しかし、きっと微笑んでいた。 何の飾り気もない一言に釣られ、由梨花は少しだけ頷いた。



 「——と、いうことで。 僕は良い感じの釣り場探してくるから、由梨花ちゃんは釣り竿貸レンタルしに行ってくれない?」


 「・・・え、私⁉ 自分で行けば良いじゃん!」


 「えぇ~、どうしても駄目?」


 「…いや、どうしてもかって言われると――」


 「じゃ、お願いしますっ!」


 つい今朝まで棒読みだったことが信じられないくらい全力でふざける霞澄に、由梨花の頬が自然と緩んでしまった。 いずれにせよ、面倒事を押し付けられたことに変わりはない。 けれど、相変わらず子供っぽい霞澄が愛らしくてたまらないのだ。


 「もう、しょうがないなぁ」


 そうは言ったものの、やられてばかりでは気が済まない。 由梨花は、少しだけ霞澄をからかってやりたくなった。 でも、どんなからかい方をしようか。


 普段の由梨花はこんなことをしようとも思わない。 名案などそうそう思い付くものではないのだ。 霞澄に仕返しが出来そうなこと…。


 その時、ある考えが頭に浮かんだ。 しかし、その先の展開は考えるだけでも面白く、一人で俯いて笑い出した。 そんな由梨花を不思議そうに見つめながら、霞澄が口を開いた。


 「———どうかしたの?」


 「いや、別になんでもないよ? それよりさぁ…」


 わざとらしくとぼけながら、由梨花は霞澄に歩み寄った。 始めはそのまま硬直していた霞澄だったけれど、2、3歩の距離まで近づくと、少し引いたようだった。 それでも歩みを止めず、霞澄の目の前で止まって言った。


 「なんか、色々、ありがとう」


 そう言って、霞澄の頭を撫でた。 霞澄の背は由梨花より少し高いけれど、手を伸ばせば届かないこともなかった。 子供っぽい霞澄も、きっと恥ずかしがって仰け反るはず。



 由梨花は、何の疑いもなくそう思っていたけれど、期待とは裏腹に霞澄は一切動揺していない。 …というよりも、反応すら見せていない。 まるで予想もしていなかった状況に、苦笑いをしながらそっと手を下ろす由梨花に、霞澄が落ち着いて言った。


 「———僕の方こそ、色々ありがとう」


 「…うん」


 無邪気に返した霞澄を前に、つまらないことを考えていた自分がとてもちっぽけに見えた。 それに、やけに霞澄の声が心に沁みる。 心が込められたありがとうなんて、そうそう聞かない気がした。


 そんな気持ちを噛み締めていたけれど、頼まれごとを思い出した。 きっと霞澄でなければ断っていただろうな。 そう思いながら、由梨花は釣具店へ向かった。

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