三節 「勇者の責任」

 出発しかけていたバスへの焦りで整理券を撮り損ねそうになりつつ、由梨花は霞澄とバスに乗った。 何しろ、計画等を一切立てない旅だ。 当然と言えば当然ではあるけれど、由梨花は正直疲れていた。


 具体的にどこに行くかもわからず、ただただバスと電車に乗り、その辺の店で食事を摂り…。 いつもはポジティブ思考な由梨花も、慣れない行き当たりばったりの旅に不安を抱えずにはいられなかった。


 でも、少しだけ…いや、正直不安と同じくらいワクワクもしていた。 霞澄との旅は、全てが経験したことのない「初めて」だらけなのだ。 これからするらしい魚釣りでさえも、楽しみで仕方がない。


 「ねえ、霞澄くん。 結局、釣り竿とかってどうするんだっけ?」


  霞澄はゆっくりと振り向くと、少し嬉しそうに言った。


 「それがさ~、その辺の店でレンタルしてくれるっぽくって――」


 「…本当? それ、めっちゃラッキーじゃん!」


 由梨花は、釣りなんか詳しくもなければしたことすらほとんどない。 けれど、なんとなく釣り竿が高いことくらいは知っていた。 大義のためとはいえ、きっと今後使わないであろう釣り竿をわざわざ買わずに済んだのだ。


 …そういえば、この旅は金銭面的に大丈夫なのだろうか。 霞澄が持つとは言ってくれたものの、やはり申し訳ないものは申し訳ない。 けれど、払えと言われて払えるかどうかとなれば、話は別になる。




 「———あ、このバス停で降りるっぽいよ」


 あれからしばらく経ち、ようやく海に到着したようだ。 バスは小さなバス停に停まりかけているところだった。 周りには商店などが建ち並んでいるが、コンビニなどは見当たらない。


 「へぇ~、結構いい感じの所なんだね~」


 海沿いの小さな町…と聞くと、由梨花はもっとこう漁場と市場ばかりのものを想像していたけれど、思っていたより町らしい町だったのだ。 こんな所に住んでみるのも、案外楽しそうだとも思った。


 「…あれ、ここに来たことあるとか言ってなかったっけ?」


 「う~ん、来たことがあるのはあるんだけど…結構前の話だから、正直ほとんど憶えてないんだよね~」


 福井に釣りをしに来たのは、もうずいぶんと昔のことだ。 具体的にどれくらい前かは思い出せないものの、少なくとも5年以上は前だろうか。 何だかんだで家族三人でここに――


 「…あ、でもなんか、私たち以外にも誰かいたような気がする! ・・・かも?」


 「本当? ——それって、友達とか?」


 霞澄はまた少し間を置き、由梨花に尋ねた。


 「うん…確か、そうだった気がする!」


 そうは言ったものの、やはり誰だったかは思い出せない。 それに、つい最近会ったばかりな気がしてならない。 そんなはずは無いのに…。


 「その人と、連絡取れたりってしないの?」


 「え~っと、ねぇ…」


 由梨花は何の躊躇いもなく「多分取れる」と言い掛けた。 確かに、連絡先くらいは知っていたはず。 でも、まるっきり想い出せないような人と会って、どうすればいいのだろうか? 


 それになんだか、気まずくて仕方がない。 霞澄と一緒に知り合いに会うのはとても…。 幸代と会った時も、実は常にそわそわしていたのだ。


 「——多分、取れない、かなぁ」


 「…そっかぁ。 まあ、大丈夫。 何とかなるよ!」


 霞澄は少し残念そうに言った。 能天気な発言の裏に、由梨花は僅かな憂いを感じた。 やはり、二人だけでは心細いのだろうか。


 由梨花は段々と、自分が不甲斐なく思えてきた。 自ら望んだわけではないとは言っても、由梨花は勇者らしい…いや、勇者なのだ。 日本を救うことの出来る、ただ一人の人間なのだ。


 それが、たった今まで旅費の心配などをしていたのだ。 自分のしなければならないことを、少なからず躊躇ってもいる。 霞澄は、きっと霞澄なりに支えてくれているのに――。


 「由梨花ちゃん?」


 目の前で、霞澄が首を傾げている。 組んだ後ろ手は、少しもじもじしているように見える。 急に黙り込んだ由梨花を心配してくれているのか。


 「急に浮かない顔して、どうしたの? 何かあった?」


 「いや…大丈夫、なんでもないよ」


 「本当に?」


 霞澄は真っ直ぐ由梨花を見つめている。 その姿からは、揶揄やゆも、偽善も、これっぽっちも感じられなかった。 きっと純粋に、心から、心配してくれているのだ。


 「———…」


 もう、いっそのこと、打ち明けてしまおうか。 そう、由梨花は思えてきた。 旅をやめる訳ではないけれど、正直な気持ちを吐き出してしまえば、少しは気が楽になるかもしれないと思った。


 これまでの由梨花は、相談はいつも乗る側だった。 きっと、相手に迷惑を掛けてしまうだろう、余計な心配をさせてしまうだろうとずっと溜め込んでいた。


 けれど、霞澄のことだから。 いくらなんでも、話くらいは聞いてくれるはず。 沈黙が続けば続くほど、そう思えてきた。


 「———あのさ。」

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