二節 「頼れる幼馴染」
見慣れない街並みを走るバスの中で、由梨花は思いを巡らせていた。
湊翔は元気にしていただろうか。 どんな生活をしていたのだろうか。 自分のことは憶えていたのだろうか。 毎日のように湊翔と遊んでいた由梨花は、話したいことを考えていた。
ふと、隣に目を移すと、小さな子供と母親が向いに座っていた。 窓に両手を当てて景色を見る子供と、それを見ながら微笑んでいる親。 どこにでもありそうな、ありきたりで、当たり前な情景。 それがいつまでも続けばいいな。と、由梨花は
一番居心地がいいのは、“当たり前”だ。 特別や偶然も楽しいが、毎日がそれでは疲れてしまう。 居心地がいいから、当たり前だと思えるのだ。 当たり前だと思っているから、それを失った時、初めて不便さに気付ける。
そんな“当たり前”を奪った、今も奪い続けている想愁病を、由梨花は少しながら憎んでいた。 本当なら、今頃由梨花は、特に予定もなく、家でくつろいでいた。 特に何をするわけでもなくても、夏休みを自分なりに満喫しているはずだった。
想愁病を治すことができれば、きっと日常は元に戻る。 きっといつも通りの生活が戻る。 治すことができれば、きっと…。
眩しい日差しが窓から座席を照らす。 次のバス停が、待ち合わせの場所だ。
由梨花がバスから降りると、そこには少しがたいの良い少年が立っていた。 けれど、相手は由梨花には気付いていないようだ。 ただ、ずっとバスの中を眺めている。 それもそのはず、最後に会ったのはきっとずっと前のこと、顔が分からなくても不思議ではない。
「あの~…もしかして、湊翔くん?」
「——あ、由梨花?」
少し大人びていて、荒々しくて、懐かしい声だ。 由梨花は、思わず笑みを溢した。 徐々に上がっていく湊翔の口角が、返事が要らないことを感じさせる。 やっと、会えた。
「・・・」
「・・・」
――よくよく考えてみれば、ここに来た理由も、わざわざ呼び出した理由も、なんとなくに近いものだった。 特にこれといった理由や目的があった訳でもない。 始まってもいない話の話題が尽きてしまった。
「——なあ」
「…何?」
「海、行かね…?」
「・・・うん」
どうしても、返しがぎこちなくなってしまう。 緊張だろうか、それとも、何かに対しての不安だろうか。 次に話す言葉が見つからない。
昼前、街中を二人静かに歩いていた。 信号機の音がやけに目立って聞こえる。 車とすれ違い、追い越される度に、喉元の言の葉が解けてしまう。
湊翔は今、何を考えているのだろうか。 もしかしたら、急に呼び出した自分に対して怒っていたりするのか、案外何も考えていないのか。 手足の先まで少し強張っているようにも見える。
「——なあ、由梨花」
湊翔は、振り向きながら、少し照れくさそうに言った。
「…何?」
「昼飯、その辺で食ってから行こうぜ」
――やはり、昔と何一つ変わっていない。 いつも他人のことを気遣っていたあの頃の面影が、そっくりそのまま重なる。 やっぱり湊翔は、湊翔のままなんだ。
そんな嬉しさから、由梨花は頷くことしかできなかった。 けれど、きっと少し微笑みながら、静かに頷いた。 本当なら、あの頃のように、無邪気に返したかったけれど。
湊翔はそんなもどかしさを察したのか、微かににやけた後、どことなくさっきよりも軽い足取りで再び前を向いた。
それから間もなく、二人は店に着いた。 湊翔の行きつけらしい、老舗っぽい海鮮料理店だ。 なにしろ週三で通っているらしく、由梨花も言われるがまま湊翔がこれでもかというくらいに推してきた海鮮丼を頼んだ。
店内には海っぽい小物や絵などがあり、ゆったりとした音楽も流れていた。 海鮮丼が来るまでの間はやはり、想い出話に花が咲いた。 あれからこうしていた、こんなことがあったんだと、二人で交互に話した。
そうして、ちょうど想愁病の話を切り出そうとしていたところで、海鮮丼が来た。 丼からあふれんばかりの新鮮な刺身、見るからに美味しそうだ。
「——湊翔くんって、もしかして、こんなごちそう毎日食べてるの⁉」
「いや…まあな」
湊翔がまんざらでもなさそうに返す。 きっと当たり前すぎて、自覚などなかったのだろう。
「え~、いいなぁ~」
そう呟きながら、由梨花は箸を持った。 赤、白、橙と色とりどりに盛られた上に、夏の日差しを錯乱させ輝くイクラが散らばっていて、まさに…といった感じだった。
どうせ今から海に行くのだから、想愁病の話はそれからでもいいはず。 そう思った由梨花は一旦厄介事を忘れ、食事を楽しむことにした。
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