三節 「旅は忙しなく」

 ターミナル駅のひとつである大宮駅はとても賑わっていた。 建物に入ると、右に左に雑貨屋や飲食店などが建ち並んでいて、どこを見ても人集りができている。 


 「うわぁ~、めっちゃいっぱい人いるじゃん! あまり来たことなかったけど、ここってこんな都会だったんだね~」


 由梨花はそう言いながら、辺りを見回してお土産屋を探した。 どこを見ても目を惹く物ばかりが並んでいる。 その中でも一際由梨花を引き寄せる店が由梨花の目に留まった。


 「あ、あったあった! 霞澄くん、このお店見てかない?」


 そう言って、返事も待たずに一人で小走りで店へ入った。 その店にはクッキーや饅頭など、いかにも観光客が買い漁りそうなものばかり並んでいる。 けれど、目当ての品はその向こう。


 「見て見て、バターサブレあるよ! これ、この前朝のニュース番組で見たんだよ! ねぇ、買お買お!」


 そう言って、由梨花は箱を霞澄に押し付けた。 


 「…買えばいいんじゃない?」


 「…そっか。 そうだね」


 由梨花は、何事もなかったかのようにサブレをレジへ持って行った。 どうやら霞澄には“ノリ”という概念はないらしい。 霞澄に返す言葉もなかった。


 レジは二か所設置されていたが、なにしろ人が多く、どちらも四組ほどずつ並んでいた。 けれど由梨花は、そんなことなど気にも掛けず、上機嫌で箱の裏面を眺めていた。


 お洒落な装飾の施された紙箱は、白いシールが浮いてしまうほどに綺麗に見える。 このまま捨ててしまうのは実に勿体無もったいない。 家に帰ったら何かに使えないだろうかと想像が膨らむ。


 「次の方、どうぞ~」


 「は~い、すみませ~ん!」


 由梨花はすぐに振り向き、レジへと向かって行った。


 「バターサブレがおひとつで、862円になります」


 「は~い。 えっと…じゃあ、これで」


 そう言って、由梨花は千円札を二枚、トレーに置いた。 霞澄はやはり、その辺をうろついている。


 「1000円お預かりします。 138円のお返しです。 ありがとうございました~」


 店員は定型文を淡々と述べている。 それなのに、素敵な笑顔だけは欠かさず振り撒いていた。 そんな単調なレジにレシートだけを残して、由梨花は霞澄を探しに行った。




  売店の外には、未だあちこちに人だかりができていた。 お洒落なカフェにも、日用雑貨店にも。 それだけ多くの人が電車というものをよく使っているのだろう。


 しかし、その人混みの中でも、霞澄はすぐに見つけられた。 理由は言うまでもないが、一言で言うと、とても目立っていたのだ。


 「あっ、いたいた~」


 由梨花は、辺りを見回しながら、霞澄に走り寄った。 しかし、ここは売店群のど真ん中。 少しでも気を抜けば、雑踏に飲まれてしまいそうだった。


 「どうしたの?」


 「それがさ~、なんか、どこ見ても時計が無くって~」


 「スマホは?」


 霞澄は声色一つ変えずに返した。


 「——え? …あ」



 由梨花は黙ってリュックからスマホを取り出した。 時刻は2時30分過ぎだ。


 「新幹線の出発って、いつ?」


 「二時四十一分。 あと七分くらいだね」


 「そっかぁ~。 ——え、全然時間ないじゃん! 急ごう!」


 「僕は由梨花ちゃんを待ってたんだけど――」


 霞澄が言い切る前に、由梨花はもう走り出していた。 今日だけでも急ぐのは何度目なのかと思いながら、人混みを掻き分ける。 電車に乗り遅れて次の電車を待つなど、まっぴらごめんだ。




 細いエスカレーターに乗りながら、由梨花は既に足踏みをしていた。 そして、ホームに着いた瞬間、黄色い線上にできた人垣を見るや否や、富山とは反対の端っこに向かって駆け出した。


 点示ブロックの内側には、既に人が連なっていた。 けれど、地方の駅でもないせいか、そこまで通路も狭まってはいなかった。


 由梨花が走るほど車両の数字は大きくなっていき、由梨花の息遣いも荒くなっていった。 そして、由梨花たちが12号車の印を通り過ぎる頃には、もう車体が向こうに見えていた。


 新幹線の減速と共に、由梨花は一層足を速めた。 そして、新幹線の停車と、由梨花たちが足を止めるのもまた、ほぼ同時であった。




 「ふぅ~…何とか間に合ったぁ」


 そう言いながら座席に腰掛ける由梨花の手は、もう既に紙袋に伸びていた。


 「…由梨花ちゃん、今度は寝るんじゃなかったの?」


 「だいじょぶだいじょぶ、これ一個食べたら寝るからさ」


 そう言いつつ、バターサブレを一つ頬張った。


 「霞澄くんも一個いる?」


 そう言うと霞澄は振り向き、浅く頷いた。 霞澄に手渡した由梨花は個包装を開け、口に頬張った。 サクサクの生地を噛みしめると、そこからバターの香りが溢れ出て来て、まさに禁断の味、とでも言うべきお菓子だ。


 そのバターサブレをおかわりしようとする自分の右手を自制した由梨花は、背もたれに寄り掛かった途端に襲ってきた今までの疲労と睡魔で、瞬く間に眠りに落ちてしまった。

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