第一章 ~喜びの断片~

一節 「腹が減っては…」

 陽が南に上るころ、二人は街の中を歩いていた。 天気は目が眩むほどの快晴。 行き交う人は皆夏らしい格好で、道沿いのファストフード店も活気に溢れていた。


 「ところでさ、霞澄くん」


 由梨花は、足を止めた。


 「なんでそんなフードなんか被ってるの? 暑…いよね?」


 霞澄は頷いた。


 「じゃあ、何でそんなもの被ってるの?」


 「なんでって…だって、何でか知らないけど、周りから冷たい目で見られるから」


 「あはは、そうなんだー」


 周りから引かれる理由に、狐のお面以外にいったい何があろうか。


 「それより、お腹空かない?」


 「空いた空いた! ねぇ、どっかでなんか食べよ!」


 そういって、由梨花は白いリュックサックからスマホを出した。


 「え~と、この辺で美味しい料理屋さんは~っと」


 霞澄は路地に逸れ、由梨花を手招きした。 よくよく考えてみれば、ここは路地のど真ん中。 こんなところで立ち止まっていては、邪魔以外の何者でもなかった。


 「あ、ごめんごめん ———あ、いいとこあったよ! こことかどう?」


 画面には、いかにもという感じの中華料理の写った写真と、黄色い星が四つ映っていた。


 「ここって、どのくらいで着く?」


 霞澄は画面を覗き込みながら尋ねる。


 「え~とね…あ、徒歩で一分だって! もうすぐそこじゃん! ほら、行こ行こ!」


 そう言って霞澄の手を引き、由梨花は人混みの中を早足で歩いた。 蜃気楼が浮かぶ中、歩行者用信号機の音が街に響く。




 「こんにちは~!」


 そう言って、二人が暖簾をくぐったのは、あれからすぐ後だった。


 「ん~…何にしようかなぁ~。 ラーメンも美味しそうだけど、チャーハンもいいし~。 あ、天津飯もあるじゃん!」


 机を挟んだ向かいでは、霞澄がメニュー表に見入っている。 他の席は、全て満席になっているようだ。


 「ねぇ、霞澄くん」


 霞澄は顔を上げた。


 「それ、多分ずっと外さないんでしょ?」


 メニューの奥で首を縦に振る。


 「じゃあ…どうやって食べるの?」


 「普通に」


 「付けたまま?」


 「付けたまま」


 霞澄は平然と答える。 もう、付けていることに慣れているんだろうな、と由梨花は思った。




 「ご注文は、お決まりでしょうか?」


 待ちかねた店員が、二人の席まで注文票を持ってきた。 見た感じ、由梨花の六つくらい年上だ。 胸元には、『研修中』の名札が付いている。


 由梨花は、ふと我に返ったかのように、慌てて答えた。


 「———あ、はいっ! すみません! えーと…じゃあ、醤油ラーメン一つと、チャーハンを一つ、お願いしますっ!」


 「…かしこまりました」


 店員は少し怪訝けげんそうに返した。 何か変なことでも言ったのか。 由梨花は必死に心当たりを探したけれど、そんなものなど見つかるはずもなかった。


 注文を繰り返した店員は、足早に厨房へと戻って行った。 きっと、それほど忙しいのだろう。 それもそのはず、未だに満席の店内に、接客担当はパッと見2人程度。


 人手が足りないのか、店の方針なのか…もしくは、今日は格別に客が多いだけなのか。 見るからに大変そうだ。


 厨房では、炎が上がっている。 窓の外も、焼けるように暑そうだ。 もうすぐで八月も半分を切る。 もうすぐ、夏は終わるんだ。




 「———あのさ」


 霞澄は、沈黙を破って言った。


 「何?」


 「えっと…その———」


 「お待たせしました、醤油ラーメンとチャーハンです!」


 「は~い。 あ、これ、霞澄くんの」


 「え? あ、うん…」


 「ご注文は、これでよろしいでしょうか?」


 「はい、ありがとうございま~す。 ———それで、霞澄くん、なんだっけ」


 由梨花は箸を割りながら訊いた。


 「…いや、やっぱりいいや。 それより、早く食べよ」


 「うん・・・分かった。 じゃ、いただきま~す!」


 透明感のある赤みがかった黄金色のスープには、厚切りの焼豚とたっぷりのメンマ、そして白いネギが載っていた。 金色の縮れ麺には、スープがこれでもかというくらいに絡み付いている。


 霞澄のチャーハンにも焼豚が入っていて、ネギに卵、そして他ではあまり見ないカニカマが入っていた。 霞澄は、チャーハンをすくったレンゲを狐面の下から入れ、器用に食べていた。


 「おぉ~…」


 由梨花は一瞬感心したけれど、やはりお面を付ける意味が分からなかった。 わざわざ不便になって、何のメリットがあるのか。 そして二人が食べ終わる頃には、店の空席もちらほら見られるようになっていた。

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