四節 「想い出の欠片」

 霞澄は例の日本地図を机に広げた。 近くで見ると、その辺に売っているものとは少しデザインが違うことに気が付いた。 ただのインテリアだと思っていたけれど、どうやら重要な資料か何からしい。


 「この地図に、マークが八つ付いてるよね?」


 「うん。 …でも、それがどうしたの?」


 霞澄は、白く細いその華奢な指で差しながら、由梨花に説明した。 指先が地形をなぞり、するすると滑っていくように見える。


 「人間の感情は、大きく分けると八つあるんだ」


 「八つ? そんなにあるんだね。 …例えば、『喜び』とか、『怒り』とかかな」


 「そう。 その他にも、何かに希望を抱く気持ち、嫌悪感を抱く気持ち、悲しい気持ち、驚いている気持ち、怖がっている気持ち。 そして、何かを信じる気持ち」


 指を折りながら、色とりどりのピンを一つずつ指差して霞澄は続ける。


 「そしてその欠片が、日本中に飛び散ったんだ」


 「…でも、実体もないのにどうやって回収するの?」


 「欠片がある場所では、それらの感情に関する何かしらの出来事が過去に起きてるんだ。 だから、その記憶をどうにかして呼び戻す。 そうすれば、欠片を取り戻すことが出来るんだよ」


 「へぇ~…」


 由梨花は全く理解が追い付いていなかった。 それもそのはず、霞澄が今話しているのは、今まで交わる事のなかった、そして、交わらないはずだった世界線のことだった。


 それでも、今はそんなことを言っている場合ではない。 想愁病は、きっと今でも広がっている。 そして今では、その全日本の命運が由梨花たちに懸かっているんだ。



 「それで、まずはどこに行くの?」


 霞澄は再び指で日本地図をなぞりながら答えた。 指先は現在地から左上に動く。


 「まずは、“喜びの感情”の欠片がある…っぽい、富山県に行こう」


 由梨花は地図に目線を落とし、再び霞澄を見つめ、上目遣いで尋ねた。


 「———富山県? …え、というか、なんでそもそもどこにあるかが分かるの?」


 「それはね…この“想い出の欠片”は、“選ばれし者”の過去の記憶の中で、とても大きな出来事が起こった場所にあるからだよ」


 「選ばれし者…」


 「由梨花ちゃん。 富山県に、何か思い当たることがあるんじゃない?」


 「富山県は、私の実家がある場所。 そして…私が生まれた場所?」


 一瞬にして、背筋が凍ったような気分になった。 出任せだと薄々思っていた霞澄の言葉が、まるで自分の全てを把握しているかのように聞こえた。 それでも、由梨花は動揺を抑えながら訊いた。


 「…で、でもさ。 どうして私が選ばれたの?」


 霞澄は少し困った顔をして…いるかどうかは分からないけれど、少し間を置いて言った。 きっと、霞澄も想愁病の全てを知り尽くしている訳ではないはず。 そうでなければ、わざわざ由梨花を呼んだ説明が付かない。


 「どうしてって…そんなの、ただ一億分の一が偶然由梨花ちゃんだったってだけだと思うけど」


 「…そっか。 いや、そうだよね。 ――まぁどっちにしても、今さらやっぱりやめるなんて言うつもりはないよ」


 「それじゃ、富山県に行こうか」


 「うん!」



  ・・・数秒間、一帯の時が静止フリーズした。


 「———霞澄くん、どうやって富山まで行くの?」


 「新幹線で行こうと思ってるけど」


 「なるほどね。 …でも、電車代は?」


 「その辺は僕が何とかするから」


 「えっ、でも・・・」


 「いいよ、気にしないで」


 由梨花の遠慮を、霞澄は一歩も引かずに撥ね退けた。 けれど、あの言い方だとたった今思いつきで言ったようにしか聞こえない。 割と冷静そうに見えて、案外能天気なのか。


 「とりあえず、駅に行こう。 そうすれば、多分どうにかなるから」


 霞澄は立ち上がりながら言った。 途端に少し風が吹き、カーテンをすり抜け窓から射し込む陽の光がちりで反射し、どこか神秘的なベールが霞澄を包む。 そのせいか、少しだけ霞澄が頼もしく見えた。


 「どうにかなるって…まぁ、しょうがないか。 四の五の言ってったって、しょうがないもんね」


 「じゃ、早速、レッツゴー」


 間髪入れずに霞澄が棒読みで言った。 しかも、右手を高く挙げて。 偏見だらけの率直な感想をあえて言うなら、由梨花には霞澄が子供っぽく見えた。


 「お~。 …一応聞くけど、霞澄くん、なんでそんな軽いの?」 


 そんな性格なのか、もしかしたら由梨花の心配を吹っ切ろうとしてくれているのか。 後者だと思い込むことにしようとは思いつつも、由梨花は一応訊いてみた。


 「え? ・・・そういう性格だから」


 やはり、霞澄の心遣いだと思い込むことにした。




 こうして、二人による日本を救う旅が、今始まったのである。 …けれど、この時既に時針は正午を周ろうとしていた――。

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