番外編「しあわせのあと」
番外編「しあわせのあと」
* * *
それは、昴と流星が外の世界に出て旅を始めてから一ヶ月が経った頃のことだった。
情報と寝床を求めて立ち寄ったコミュニティで、長を務める壮年の男性が二人をじっと見ながら言ったのだ。
「……ここに泊まりたいのなら、ソウダの娘の家に泊まればいい。あそこなら今は部屋があいている」
「……いいんですか?」
昴が問い返す。今までに寝床を求めてきたコミュニティでは、そんな恵まれた場所を提示してくれたことはなかった。
「ああ。あそこには娘が一人で住んでいるが、お前さん達なら大丈夫だろう。──郁也、この二人を案内してやりなさい」
郁也と呼ばれた少年は、険しい表情を垣間見させ、それからすぐに背を向けて「ついて来いよ」と促した。その一瞬の表情の影も昴は気になったが、流星は気づいていないようだった。
「……なあ、昴。こんなに親切なコミュニティって初めてだよな」
「親切、な……」
「昴?」
郁也の数歩後について歩きながら、ここでは流星に疑念を話すわけにもいかないなと昴は考える。
狭いコミュニティ。周囲にも人がいる。よそ者の自分達を怪訝そうに見ている。一言で表すなら、「敵か味方か分からない闖入者」といったところか。
流星に説明するのは後にするとして、昴はコミュニティを観察した。
田畑は少ない。人の身なりも良いとはいえず、ただ、それにしてはまともな『家』が散見される。ほとんどは木造だが、間に合わせのものではない。
それに、長の言ったことも引っかかる。
ソウダの家──娘が一人で住んでいると言っていたが、「今は」とも言った。いくらコミュニティに守られているとはいえ、一軒の家に『娘』が一人で暮らせるものなのか?
「……昴? さっきから難しい顔してるけど……」
「……黙ってろ。後で話す」
「何か、気になることでも──」
「──ここだよ」
流星が問いかけようとして昴に脇腹を小突かれたとき、郁也が立ち止まり、木造の家屋の一軒を顎で示した。
「──おい、カンナ! いるんだろ」
玄関には立たず、木枠の雨戸に向かって声を張り上げる。カンナというのが一人で住んでいる娘のことなのだろう。ややあって、雨戸ががたりと音をたてて僅かに開いた。
「……郁也……何?」
澄んだソプラノの声はまだ少女のものだ。ひどく控えめで、震えているかと感じさせた。まるで、何かに怯えているかのような──そうして家に閉じ籠もっているかのような。
「客だよ、長がお前の家に泊めろって。──じゃあな」
「え?……あ、郁……」
郁也は必要最低限のことだけ伝えると、昴達の方に挨拶もなしに駈け去ってゆく。長居は無用だといわんばかりに。
「……あの、俺達はこのコミュニティに立ち寄らせてもらいましたが、貴女が困るなら泊めてもらおうとは思いません」
まだ困惑しているであろう『カンナ』に昴が声をかける。雨戸の向こうからは動く気配がない。
「……でも昴、この辺り野宿できそうな場所も……」
「いいから。……『カンナ』さん、貴女に迷惑をかけるつもりは──」
「……いえ、違うんです……長がおっしゃったのでしたら、どうか泊まってください。何もありませんが……」
「いいんですか?」
「はい。……玄関に回ってください。鍵を開けます」
そこで、立て付けの悪くなった雨戸の僅かな隙間が軋みながら閉ざされた。内部からは音が漏れてこない。昴は様子を窺おうとしたが、諦めて流星の腕に手をかけて玄関に向かった。──小声で一言、口にして。
「……油断するなよ、何かがある」
「何か?……人間関係よくなさそうではあったけど……」
「──そこだよ、おかしいのは」
「昴、おかしいって……」
流星が訊ねようとしたとき、玄関のドアが遠慮がちに開かれた。
「あの……どうぞ、中に入ってください」
カンナと呼ばれていた少女は、十代半ばくらいだろうか。痩せているが美しい顔立ちをしていて、質素な半袖のワンピースから覗く手足がすらりと伸びていた。
「……本当にいいんですか?」
「……はい。部屋に案内しますので、夕食まで休んでいてください」
「いえ、食事は結構です。泊めて頂けるだけで十分ですので」
昴が固辞する。すると、カンナはふるふると首を振った。
「いえ、たいしたおもてなしもできませんが食べてください。長はそのつもりで、ここに案内させたのですから」
「そのつもり……?」
「どうぞ、とにかく入ってください。玄関を長く開けておくのは……」
カンナの言葉はところどころおかしい。長は何のつもりなのか? 玄関を開けておくことの何が悪いのか? 昴は嫌な予感がしてきた。流星は気づいていないのか、「じゃあ、お邪魔します」と素直に入ってしまった。
「あの……あなたも早く入ってください」
「……じゃあ、失礼します」
昴は迷ったが、とりあえずカンナに従った。いつでも逃げられるよう、今夜は流星と交代しながら起きていようと思いながら。
「あの……この部屋です。好きに使ってください」
カンナが案内した部屋には、簡素なベッドが二つ並んでいた。
「……失礼ですが、この部屋は誰の部屋ですか?」
「あ……父と母の……」
「両親は今はいないの? 出稼ぎとか?」
流星が無邪気に訊ね、昴に再び脇腹を小突かれたとき、カンナが僅かに俯いて薄幸そうな表情をさらに翳らせた。
「……両親は亡くなりました」
「あ、……ごめん」
「いえ……では、休んでいてください。夕食の支度をしてきます」
「──カンナさん、やっぱり夕食は必要ありません。携帯用の保存食もありますから」
昴が再び断る。すると、カンナが胸元で両手を握り合わせながら、「いえ、食べてください。でないと、私、長に……」と言い募った。
ますます怪しい。用意される食事には、なるべく口をつけない方がいい。残せばいいのだ。豊かには見えないコミュニティの、貴重であろう食料を無駄にするのは申し訳ないが、昴は一応頷くことにして彼女がこの場を去るのを待って、流星に話しかけた。
「──流星、今すぐ出る」
「え、でも夕食を用意してくれるって……」
「その夕食には絶対に何かが仕込まれてる。こんな痩せたコミュニティが、何でこんなにまともな家を構えていられる?」
しかも一軒や二軒ではない。そこで、流星も察したらしい。緊張した面持ちで頷いた。
二人で、カンナという少女に気づかれないように玄関へ向かい、なるべく音を立てないように扉を開いて素早く抜け出す。──と、そこで少女に気づかれた。
「待って……! 待って、私は産まなきゃ! 高く売れる子どもが……」
少女が駆け寄って来る。様子が気になっていたのか、見張っていたのか、郁也と呼ばれた少年が姿を現して少女を羽交い締めにして押さえた。
「離して、こうするしか……でなきゃ私がここに住まわせてもらえなく……!」
「カンナ、外からの子種を無理に取るのはやめろ! 俺じゃ駄目なのか?!」
「だって……長旅が出来るほどの優れた子種が……!」
「それで今まで一度でも子どもを孕めたか? 無理なんだよ、気づけよ、こんなに痩せて……生理も止まってるんだろ?!」
「あ……あああ……」
少女が頽れる。少年は屈んで寄り添いながら、言葉を失っていた昴と流星に「今なら逃げられる、早く」と短く告げた。
* * *
「……おそらく、人身売買だな」
「うん……あの女の子、逃げてきたけど大丈夫かな……」
流星は心配そうに呟いた。けれど、昴には飛び出してきた少年──郁也だったか、彼がいるならば少女を守るような気がしていた。もうこれ以上見ていられない、放ってはおけない、そうした気持ちを強く感じとっていた。
「大丈夫だろ、流星も見たよな。彼女が独りじゃないところ」
暗に郁也の存在を指してみせる。
「あー……そうだよね」
「そうだよ。──それにさ」
独りきりじゃなければ、何とかなるんだよ。俺たちみたいに。──面映ゆくて早口なうえに小声になったが、流星には伝わったようだ。
「うん、俺、昴がいて良かった」
臆面もなく笑う流星の後ろでは、夕陽が射していて、眩しいのはそのせいだと昴は誤魔化す事にした。
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