第4章第9話

* * *



昇りつめた日射しのなか、木立を分け入って歩くうちに北斗は問わず語りのようにMOTHERについて話した。


暴かれる事実。


まだ、ここに正常に機能しうる国家が存在していた時のことから始まったそれを、暁は言葉もなく聞いた。






その頃に、その国家が着手した、全ての国営・私営のシステムを包括するマザーコンピュータの開発。


そして、マスターとしてそれに携わっていた人物が、隠密裡に手を出していた、研究。


両親を亡くし親戚や友人もおらず、孤独な境涯にあった彼にとって、唯一の家族といえた『妹』の存在。


彼は妹を愛していたのだと、北斗は言った。家族ならばそれであっても当然だろうに、低く、おぞましさを抑えるような声だった。


「……彼女だって、『兄』を憎んでいるはずはなかった。普遍的にね。大事な家族だったんだろうけど。……問題なのは、彼が、『妹』を唯一の拠りどころとして──自分が生きていることの拠りどころとして、自分の世界に閉じ籠もりながら、その“社会”に生きていたこと、それが、社会でまかり通ってしまったこと、だった」


両親は彼が十代のうちに離婚、成人する前には他界していたらしかった。彼は離婚の際に、妹と共に父親に引き取られていて、母親の死去さえ知らされたのは全ての葬儀が終わった後だった。親権は母親側に有利なその国家では、表面的には珍しい事例ともとれるが、かつての家父長制の名残を有する限られた家や地方では珍しいことでもなかった。




「それでも、少女は成長する。社会は成長した人間に、外界へ出ることを促す。──だけど彼は、“出る”ことを拒むままにある」


少女──『妹』が外に出てゆくことは、拒むままに遣り過ごされた彼のありようを根底から揺るがすことでもあった。


それでも少女は人として伸びやかにあったのだろう。外の世界で、人に触れ、恋を知る。




そして、時を追うように、彼の“研究”も終局を迎える。








彼は、少女を昏睡状態にした上で、それを実行した。




少女──MOTHERが、『MOTHER』であるために。








「彼女には、恋人がいた。……死んだけどね」


恋人、について北斗が知るのはその事実だけなのだろう。そこで言葉を切り、話を変えた。




彼の研究室には、数名のスタッフの他に、側近的な助手が二人いた。


「父だったんだ。天之河君と、──俺の」


その一言を告げる時、北斗が足を止めた。暁も立ち止まり、隣に並ぶ北斗の横顔を見つめる。


眉のひそめられた表情。瞳は睫毛が影を落とし、暝く光っていた。




彼らは、“それ”が果たされた直後にその“事実”を知った。


知って、けれど告発することはできなかった。


彼の『異常』と『狂気』を知り、それに息を呑んで口をつぐんだ。


彼にとって『妹』が掛け替えのない存在であったのとは別に、彼らにとってもまた、掛け替えのない家族はあった。


研究室という、ある種閉鎖された世界で、そこを包括する社会に力を持った者に叛くことは、そのまま、その社会における死を意味していた。


けれど事態は、それだけでは理由として不十分なところにまで追い詰められていた。


知ってしまった彼らは、そのために脅やかされ、そして巻き込まれていった。




「……彼の異常に気づいて、けれどそこから踏み出せなかった二人は、代わりに詳細な記録を残した。手記っていう方が正しいのかもしれない。見つかることを恐れて、ノートに手書きで綴られた」


それによると、少女──MOTHERの『作成』は、彼が一人で行なったらしかった。


「そのノートは、ずっと天之河君が持ってたらしくて。俺がその存在を知ったのは、初めて読んだのは、つい昨日のことだった。……吐いたよ」


だってそうだろう。北斗は声に出さず訴える。


眠る少女から生きる全てを奪い、死さえ奪った。




「──国家が開発を急がせたマザーコンピュータが一応の完成をみせて、それから一年と経たないうちに昴は生み出された。その後に助手の二人の家庭でそれぞれ、天之河君と俺が。次に流星が施設から引き取られて、……そして、最後に暁が」


「……そのこと、なんだけど。前に北斗、兄ちゃんと俺が何で“兄弟として”って言ってたろ」


そこで初めて、躊躇いがちに暁が口を挟んだ。


北斗は少し考える様子をみせた。記憶を辿っていたのか、ややあって「ああ、あの時の」と受けた。


「あの時は、まだ手記の存在も知らなかったから。そのことも、書いてあった。……暁と昴は、間違いなく兄弟だよ。……子ども、だよ。──MOTHERの」


「……子ども、って」


言われて、にわかには信じられなかった。


『少女』が、子どもを? 恋人との間に、なのか。


どうしてか、暁にはその自分の想像が違う気がした。得体の知れない、嫌な予感があった。


『父親』が、誰なのか。どうしても訊けなかった。


「……二人の、お父さんは?」


代わりに訊ねた声は、自分自身驚くほど弱々しく固かった。


「……死んだよ。俺がまだ、ごく小さいうちに」


単調に答える北斗の声もまた、全ての感情を、忌まわしさを抑え込んだように固い。


「殺されたんだと、俺は思ってる」






再び、半ば無意識に歩いてゆくうちに、暁にとっては通い慣れた場所に出た。


誰が眠るかも分からない『墓』だった。


北斗がその前に立ち止まり、盛り上がった土の面をじっと見下ろす。


「……昨日、昴に会ったんだよな?」


「あ、……うん」


数歩離れたところに暁が立ち止まる。


北斗がおもむろに顔を上げ、そこから向き直った。


「……じゃあ、この『昴』にも挨拶してあげたら」


「……え?」


「昴、だよ。昨日、暁が会った昴から“作り出された昴”が、ここに眠ってる」


「……何だよ、それ……」


暁の唇からこぼれた呟きは息が漏れているかのように力なく掠れていた。


もう一人の『兄』が? “作り出された”?


頭のなかで、昨日向き合った昴が巡る。顔。声。温もり。それが、目の前の“誰のものとも知れない”墓に吸い寄せられてゆく。これが“彼”なのか。違う、“彼はここじゃない”。


けれど、ならばここに眠るという『兄』は何なのか。






“黒い”彼は、“白い”彼のクローンだった。それがために、二重人格の少女『イヴ』にちなみ、“黒い”彼と呼ばれていた。


「……誤作動だったんだ」


その北斗の言葉は、凝然と立ち尽くす暁の耳には届いていなかった。





* * *



言葉もなく“そこ”を見下ろしていた暁が、不意に歩み寄り、その場に跪いた。


極まった混乱は静寂にも似て、目を閉じても何も考えられなかった。ただ、そこに向き合った。


今は何も、伝えられる言葉は出ない。暁はそう思う。けれど、いつか──時が経ってゆくうちに、いつか。


「……行こう、北斗」


「この先は、俺には知らされてない。暁、お前は憶えてるはずだよ」


立ち上がった暁に、北斗が先を促した。


「……俺が?」


「そう。MOTHERは、『止めて』くれるお前には、何らかの形で道を教えたはずだよ」


確信をもって断言する北斗に対し、暁は再び黙った。


何らかの、形。MOTHERの言いつけ。語りかけてきた、あの時の彼女の言葉。


その終わりを告げる、いつもの『水槽の唄』は。




導かれるように、暁が呟いた。


──“太陽に、背を向けて”。


「……真っ直ぐ、──北に」



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