第3章第2話









『降りしきる雪。

 凍りついた全ての音は何も響きを伝えずに耳鳴りを喚ぶ

 白い白い世界

 青白い光の幽けいた世界はひどく厳かで、子ども達は息をひそめ、変わり果てた世界を見つめている。かじかむ互いを隠しあい、声を殺しながら』











* * *



……どれぐらい、こうしているだろうか。


ブラインドを閉ざした薄暗い部屋の片隅に、座り込み膝を抱えて、流星はふと思う。


さっき、昴の声がしていた。何度も何度も、自分の名を呼んで、ドアを叩いていた。


だけど、そんなはずはないのに。


「……昴っ……」


震えの止まらない指を、髪に埋ずめる。


あれは昴のはずがない。だって、昴は。




この手で、殺したのだから。




──その時。


ごう、と窓の外で風が唸った。


空を切る空気の音が、窓を打ち叩き怒鳴る。


その激しさに、流星はブラインドをずらして窓の外を、見た。



「……あ、」



広がるのは、一面の、白。



流星の、見開かれた瞳が瞬きさえできずに釘付けになる。笑いのように形造られ、声の凍った口元が、微かに震えた。


意識を奪い取り連れてゆく、どこまでも白い世界。あの白い白い、記憶。



──昴を、守って。



そう告げた、MOTHERの声。


だけど自分は“昴を殺した”。




その“事実”に打たれた刹那、流星は撥ねるように立ち上がり、ドアに向かっていた。


ただ、逃げたかった。


色濃く育った緑の世界は今、白い眠りに墜とされて、もう還らない時を思い知らせている。


これがお前の仕出かした現実だと、責めながら。




そうして、耐えかねて開いたドアの脇に、流星は信じられない“もの”を、見た。


つい先ほどまでの自分と同じように蹲り、抱えた膝に顔を埋ずめて、じっとしている──それは。



「……昴……?」




昴。恐る恐る声をかけてみたけれど、それは微動だにしなかった。“死んでいるのかもしれない”。


「昴……昴!」


肩を掴み、揺さぶる。温かい肩。だけど。


「起きろよ、──昴!」


叫びながら、そんなはずはないと思う。


だって昴なら昨夜、この手で。



「……、流星?」



口のなかでぼやきながら、“彼”が目を開く。


「流星、お前何やってたんだよ……」


いるなら返事しろっての。──口早に呟いて、眼差しを向けてくる。真っ直ぐに。


「昴……よかった、生きてた……」


「……んだよ。……心配させんな、莫迦」


ああこれは昴だ。


何すんだよまだ怒ってんだぞ俺は。──そう言って抗う動きを無視して、両手で肩を包み腕を撫で下ろし、再び手を上げて頬を包んで、その温もりを確かめて。


「……何で“生きてる”の、昴……?」


「──流星、お前なあ、」


「俺が、殺したのに」



* * *



「……何、言ってんだよ、お前……」


寝惚けてんのか。──そう叱りつけようとして、けれどできずに、辛うじてそれだけを言う。


できなかったのは、流星のなかに感じる違和感のせいだ。


何を、言っているのか。何に、そこまで確信をもって、──こいつは。


「……あ、」


不意に、よぎる記憶。


この間もそうだった。“アレ”を見たらしい、あの夜も、流星は自分に対しておかしな態度をとった。


──……昴、だよな?


そう言って、怯えを含んだ瞳で。


今のように。


「流星、……お前」


流星の肩を掴み、見据える。途端に流星の体が撥ねて、声にならない悲鳴が上がった。


「お前、……“アレ”に、何か」


されたのか。


そう言おうとしたその時、流星の表情が歪み、首が小刻みに何度も振られた。それは、こちらの言わんとしていることを否定するというよりはむしろ、子どもがぐずるような、そんな仕種だった。


「……流星」


「……なあ、どうしよう?」


ゆらりと、頬を包む手から力が抜け落ちてゆく。昴は咄嗟に手を伸ばし、その指を支えるように取っていた。


重なった手と手から、ひどい震えが伝わる。


そうして、ぼろぼろに震えた声が。


「何か今、自分のことがすごく憎いんだよ」


流星。──咎める声音で名を呼び、昴は重ねた手を握った。それに対する流星の反応はない。


「……殺してやりたいくらいに」


彼を殺したように。思いつく限り、一番ひどいやり方で、いっそ殺してしまえたら。


──けれど、そんなことを思いながら、心からは渇望できないのだ。


「……どうしよう? どうしたらいい?……昴」


「……流星、それは」


お前の罪じゃない。許されるなら、そう言ってやりたいと昴は踏み出す勇気を試される。


けれど言えず息を呑んだ瞬間、流星の目が伏せられ、震えが走るほど固く閉じられる。


「……死にたくなんかないのに……」


──卑怯者だ。だって殺したのに。


掠れた声で吐き出された言葉に、違う。──昴がたまらずに叫んだ。


「違う──流星、殺したのはお前じゃない!」


昴が、握りしめた手を引いて流星の肩を抱き寄せると、流星はその言葉に縋るまいとする自責に身を強張らせながら、それでも伸ばされた、その腕に縋りつかずにはいられなかった。それが救いを求めてなのか、償う、その償いようを求めてなのかは分からないまま。


「……昴、俺はっ……!」


「もういい。もう何も言うな。考えるな」


昴が抱き締めた腕に力を籠め、流星の肩口に顔を埋ずめる。


流星は引き攣れるような声をもらし、昴の背中に腕を回した。


力任せに何かを握り締めることで、こみ上げる震えを抑えようとするかのように。


それは同時に、殺したはずの昴が生きているという現実と、にも拘らず殺したはずだという事実を、重なる昴の体温から、鼓動から感じとろうとしているようにもとれた。


そして、昴は自らの罪を暴く。



「“あいつ”を殺したのは──俺だ、流星!」



* * *



「ええ、雪、ですよ。四時間くらい経つか」


訊かれるままに答える。連絡の遅さを責めるボキャブラリーはどうせないだろう。そう嵩を括って。


「もう、ニ十センチは積もってる。気象管理システムの方で何か……思い当たることなんて、こちらにはないに決まっているでしょう。あなたの、統括するモノに対して」


介入する力なんて、持っていたら、とっくに。


その一言を呑み込んで、北斗は機械音声の対応を待った。今さら、原因を調べているらしい。本来ならば、この類いの異常はMOTHERの管轄だった、はずだ。


窓の外では勢いを緩めることなく雪が降りしきっている。この分だと“止まる頃”には膝くらいまで積もるかもしれない。


そういえば、暁はあの後どうしただろうか。リビングに放置してきてしまった。天之河も、埋葬の後に彼の部屋の前で別れてからは話していないし、あとの二人も──彼らはむしろ、そっとしておいた方がいいのか。今は。


MOTHERからの返答は、どうやら少し時間がかかりそうに思えた。なら、その間に本当に冬物でも出した方が賢明かもしれない。


「──MOTHER、すぐには返答が出ないなら、」


一度通話を切る。そう告げて、いつも通り通信を切ろうとして──不意に、向こうから声が聞こえた。


「……どういうことだよ、それは?」


合成された声は、こちらには異常はない。──それだけをはじき出し、管理されている“世界”の異常を問いかけていた。




「──じゃあ、“世界は狂っている”とでも?」




吐き出す言葉が、笑うように口元を歪めるのを北斗は感じた。


だってそうだろう。頭のなかで全てがギイギイと軋みながら廻りだす。壊れた世界。壊れた彼。壊された彼の体。──“壊された”、“あの人”の。


「この、世界の。異常だけなら大したことじゃない。そうだろう?」


機械が言葉を拾いかね、再送を促す。それに構わずに一方的に続けた。止められなかった。


空が風をうねらせて、窓を白く染める。


外はどうなっているのか。ここからは晴れていてさえ見えない木立の奥、遠くでは。


「狂っているのは、確かに、システム云々じゃない。──この世界、そのものだ」


通信にエラーが起きたらしい。この天候では電波が悪くても当然だろう。ノイズが割り込んでくる。


「昨夜、“黒い彼”が、“死んだ”。──あんたが造り出した、“複製”が」


ぶつぶつと、ノイズだけが鼓膜を打つ。それはどちらのエラーだろうと、思う。


リレーヤーか、彼女か、それとも。


「……MOTHER、あんたが生み出したのは何か? 俺たちか?」


全て、“間違い”に造られたものなら。


──どうして。


「なら、どうして暁“だけ”が昴の“弟として”ここに送られてきた?」


一体、何を望んでいるのか。その、最初から。


壊れた全てに、何か意図があるというのなら。


「MOTHER……!」



ノイズが、一瞬、嵐のような音を立てて通信が一方的に切られる。


途切れた通話の向こうに、彼女を呼んだ。





「……MOTHER……って」





ディスプレイを前に、デスクに肘をついて俯いた頭にぐしゃぐしゃと前髪を手で乱した北斗の耳に、明らかな生身の、声が聞こえた。


「どういうことだよ、──北斗」


弾かれたように、北斗が顔を上げ振り返る。


真っ直ぐに視線がぶつかる。


ドアを開け放ち、ゆっくりと、おそらくは拗れきった疑問に引き摺られながら、近づいてくる、姿。




「……説明、してくれよ」




壊されたもの、狂った世界。造られた子どもたち。




送り込まれた、願い。






「俺だけが、“弟として”って、……どういうことだよ」




彼は問いかける。


そんなのは、こちらが訊きたいのに。




「そもそも、MOTHERって何だよ」






知らない。


知らないからって、何でそんなことが訊けるんだ。



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