第3章第1話
『Bless for The Children』
機械仕掛けの部屋にうずくまって心を寄せる。
優しい世界。永遠に午後の島。くるみこまれる。埋葬。
「どこにもいないものが生きてもいないものなら、まだ生きていないものはどこにいるのだろう?」
僕は息をひそめ。
「それが今ここではないのなら」
「ここは一体、何だと言うのか」
『目を醒ます』
*
* * *
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて誰かあの人を止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて 助けて。 止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めてあなたには見えているでしょう子
ども達が怯えた目をしてあたしを見てる
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
ねえきっとあたしを見つめてる子ども達
を見下ろす瞳はどこ駆け寄る脚はどこ髪
を撫でる指はどこ抱き締める腕はどこに
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
「誰より愛する君は誰もの母にすれば」
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて。嘘でしょう、それでもあなたは
満たされないでしょう、誰かもう止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて「君は僕の生きる間違った
世界を照らし出す、空に咲く花。世界中
の不幸を抱き締める聖母」止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めてねえあなたの不幸は可哀想
あなたに置き去りにされて今も迷子のま
ま立ち尽くす。だからもう止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて止めて止めて止めて
止めて止めて止めて、だって、私は、
*
*
*
「私は、貴方の“ママ”じゃない」
*
*
*
眠りのなか、一人きりの旅をする。
あてどなく彷徨うように流されるように笑い喚き擦れ違い触れあって別れる。
そうしてその終わりを告げる、唄が、聞こえる。
白い白い世界。
唄を轟かせる水槽。唄に合わせるのか唄を促すのか下の方から途切れることなく昇り消えてゆく気泡。
辿り着くまでの、ヒステリックなめまぐるしさを忘れさせる唄が、僕に白い朝の訪れを告げ、囁く。
──あなたはもう、行かないと。
どこへ。──そう訊ねる僕の声はいつだって幼子のようだ。
──行かないといけない。もう止まらない。私はここにいるんでしょう。もうずっといるんでしょう。
たたみかける声に頷く。そう、彼女はずっといる。ずっと、あの水槽のなかで──MOTHERとして。
──行っておいで。待っているから。最後に。
それは何のこと。待つのは誰。最後って何。何も分からない僕に声は囁く。最初で最後の願いを。
低く、けれどはっきりと。
「──止めて」
それは警鐘のように。
* * *
「……あ」
小さく声を上げ、暁は現実を知る。
白い夢の後に、最初は自分が目醒めたことにさえ気づけなかった。のしかかって残る余韻の気怠さは、白く──そう、白く、世界を染めて。
「……え? だって、……」
白く染まった世界で、凍りつく。
「何で……だって、今は」
夏、だろう?
その一言は、声にならずに。
呆然と、窓の外を見つめる。
白い白い嵐は、静かに世界を眠らせる。
育ちきった緑に、容赦なく痛いほどの結晶をのしかけて、氷漬けの、真夏の命を嘲笑っている。
一面の、──“雪景色”。
「ああ暁、起きたの?」
着替えもせずに、悪夢に捕らわれそうな自室の現実から飛び出して、階段を駆け降りると、リビングのソファで本を読んでいた北斗が落ち着き払って声をかけた。
「起きたのって……外見てないのかよ、雪だよ!」
「雪?……ああ、そういえばね」
道理で寒いと思った、さっき外に出た時も空が白かったしね。──抑揚のない口調で独白のように続ける北斗に、暁はうすら寒い何かを、一瞬感じた。
「……北斗。今は、夏、だよ?」
一言ずつ区切って言うのは、自分にそうと言い聞かせるためでもある。
「うん。そのはず、だね」
頷いて本を閉じ、北斗が立ち上がった。どこに行くんだよ。──暁が慌てがちに問いかけた。
「冬物、出さないと」
「何、そんな……」
北斗の言うことは、ある意味、あまりにも現実的で即物的なものだった。言っていることはもっともだ。頭では分かる。けれど。
「……季節感ってある?」
思わず、辛辣にもとれる言葉が口をついた。
北斗はそれにも構わないらしい。穏やかなまま、階段に向かった。
「だって雪降ってるし。風邪ひくよ?」
笑いがちに、そう言い残して。
……そういえば。
追うこともできずに立ち尽くしたまま、ぼんやりと思う。
他の三人は、どうしているのだろう?
あの雷の夜以来、ほとんどまともに顔を合わせていなかった。最後に会話を交わしたのは、いつだったか。
誰と、どんな会話を交わしただろう? 北斗以外の、誰かと。
最後に、ではなく、今までに。
「……え?」
記憶を手繰り寄せようとして、暁は愕然とする。
北斗と天之河と流星と……“兄”。
頭のなかで数えあげた。顔をも思い浮かべながら。
知っている。顔も声も姿も。
……どうして。けれど“それ”が事実なら、自分は──どうして“知っている”のか?
記憶が、なかった。
“兄”と会話を交わした、記憶が。
* * *
訝しむ暁を置いて、そのまま自室に戻り、コンピューターの電源を入れる。ディスプレイに起動時の記号が表示され流れてゆくのを、見るともなしに見ながら、北斗は白い空の下に見出だした天之河の背中を思い出す。
震えていた、背中。
「流星! 流星、いるんだろ?」
朝、流星の部屋の外から、昴が何度となく呼びかけていた。業を煮やして荒く捻ったドアノブは拒絶するように鍵がかかっていることだけを知らせる。
「──流星!」
「……何やってるの、アナタ」
怪訝そうな声をかけたのは、昴が苛立ちまぎれにドアを殴りつけた、その時だった。
「……何でもねえよ」
憮然として吐き捨てる。
「喧嘩でもした?」
その様子の、あからさまな不機嫌に、北斗が訊ねる。
「知ったことかよ。放っとけ」
にべもない昴の言い様に、怒るよりも相手にしない方がいいと判断した北斗は、そうですか。──それだけ言って、呆れたように立ち去った。昴は、ドアを睨みつけたままだった。あの様子なら、おそらく流星が出てくるまでは一日中でもそこに居座る気だろう。
キッチンに、とりあえず朝食を調達するべく向かう途中で、北斗はふと気づく。
そういえば、天之河の姿も見ていない。
朝から、正確にいえば昨日の夜中から姿を見なかった。また、地下室だろうか。見当をつけて訪れたそこは血腥く、どす黒い染みを残して、人影はなかった。
天之河は、“やってしまった”のか。
驚くでもなく、そう思った。驚けるだけの実感などは、この世界で味わわなくなって久しかった。
忌まわしい痕跡から目をそらして踵を返し、外に出る。地下室に入るまでは青く高く、ぎらついた日射しを投げかけていた空は、今、白く濁り、奇妙に静まり返っていた。
泪雨でも降るのか。そんなことを、その時は思いながら。木立のなかへと足を向ける。
天之河が他に行けるところはなかった。
“彼”を連れて、行けるはずのところは。
張り巡る木の根が、盛り上がり地表へはみ出して足元を掬う。それをよけながら、その木々の奥、遠くへと進んでゆく。
注視する足元に血痕を見つけた。
黒じみた赤。“あれ”にも血は流れていたんだ。誰にというのでもなく誰かに、訴える。
……生きていたんだ。
そうして、しゃがみこみ背を屈めた天之河を見つける。白いシャツに明るい髪の色が淡くて、濃く緑を誇示するこの世界に、浮き立ちながら儚かった。
その背中は震えていた。
「……天之河君」
不意にかけられた声に、背中が大きく揺れて、振り返る。
泣いているかと思った。けれどそうではなく、瞳は潤むような輝きを、剣呑にぎらつかせていた。
「……北斗」
その瞳が、今度は躊躇いをあらわにする。けれどすぐに逸らされ、顔が俯く。
「……お前は、知ってたんだよな」
“これ”を。
それは、最初からだった。最初から北斗は知っていた。知らされて、“ここ”へ送り込まれた。流星よりも暁よりも、早くから。
……あの時はまだ、“白い彼”と“黒い彼”が、同じ世界に生きていた。互いを知りながら、黙殺しあいながら、そこは危うい均衡を保っていた。
それが壊れた時のことを、北斗は克明に思い出す。
──あいつを、助けてくれ。
血相を変えて北斗の部屋に押しかけ、ちょうど交信していたディスプレイに向かって、迷いなく叫んだ天之河。
「あいつを、死なせないでくれ──MOTHER!」
MOTHERの、北斗を送り込んだ意図は知らされていないはずだった。けれど、いつしか天之河は気づいていた。気づいて、そのままにさせていたのだ。
いつから知っていたのか。それは、いまだに聞いていない。今さらだ。
“黒い彼”は数分後に訪れたアーマノイドに運ばれていった。そうして、季節一つ分の間を置いて流星が送り込まれ、“黒い彼”は暁が最後に送られてくる直前に、“今の姿”で還された。
天之河は、おそらく悔やんだことだろう。
死なせたくないという、初めて吐露した願いは、最も取り返しのつかないかたちで叶えられた。
上弦の月が地上を照らすこともなく見下ろすなか、無表情の“元人間”が、“彼”を運び込んだ。いつか“白い彼”がそうしたように、薄暗い地下室へ。お前に相応しい世界は“ここ”だと、いわんばかりに。
何の感情の働きもなく、変わり果てて“同種”となった彼を。
壊された均衡は、その亀裂を埋めるように新たに加えられた存在によって、すでに新種の均衡を培っていた。──少なくとも、表面上は。
天之河は白い彼を責めることも憎むこともしなかった。いや、憎めなかった。天之河にとって、白は白として“彼”だった。結局、あの日、MOTHERに救いを求め叫んで以来、天之河は外に対して口をつぐみ、そうして、内に籠めた。
そこで入れ代わり全てを塗り替えてゆく、現実という『育ちきった緑の世界』は、彼を排他することはせず、いわば迷子にしたようなものだった。
……けれど。
それは、自分だとて同罪なのだと北斗は苦く思い知らされていた。
強い風が、唸りをあげて枝葉を嬲る。その風は冷たかった。真夏とは思えないほどの冷気を孕んでいるそれは、北斗を我にかえらせ、そうして内の何かを諌めるようにさましてゆく。
「……死んだの」
見下ろし、呟いた声は低かった。
天之河の足元には、白いシーツにくるまれている何か小さからぬものがあった。そこからはみ出した金色の髪が、そのなかを教えていながら、けれどそんなことで確かめずとも、北斗には“それ”が何なのか知りぬかれていた。
「……言いつけ、だったから……?」
MOTHERのそれを、結局は破れなかったのか。言外の言葉に、天之河がかぶりを振る。唇を噛み締めて。
「俺が、昨夜行った時には、……もう」
最期だった。
それは、意外な事実だった。何それ。──思わず声に出してしまった北斗に、天之河がぽつりと漏らした。
「……俺には、何もできなかった。最後まで」
殺すことも救うことも連れ去ることも。
「……天之河、君」
「……行かなくていいのかよ? 北斗」
戸惑いがちに口を開きかけた時、天之河の声が遮った。微かに笑いを含んだそれは、自嘲だ。あまりにも悲しい笑みだった。
「……“知らせる”んだろ」
MOTHERに。
けれど北斗は頷かずに、隣に屈んだ。
「……手伝う」
埋葬。
「北斗、……流星は」
低く、言いづらそうに天之河が訊ねてきた。
その時、そのまま答えようとして──合点がいく。
閉じ籠もった流星。
死んでしまった黒い“彼”。
「……部屋に、いると思う。返事はないみたいだけど」
それだけを言った。
天之河には相変わらず、責める様子はなかった。全てに対して諦めたようなその表情は、澄みきって、そうして生色を失っていて、北斗に冷たい風でさまされた何かを、つかの間蘇らせた。
「……俺が、MOTHERの言いつけに従って、“昴”を殺してさえいれば、こんなかたちで……こんな風に、流星を追い詰めることはなかったのかな」
低く遠い空で風が吹き抜けてゆく。
「だけど、願わずにいられなかった」
罪を“神”の御元に告解する信者は、きっと今の天之河のように自白するに違いない。北斗はそう思った。
震える声で罪におののきながら、母に乞う子のように。
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