第2章第2話

* * *



「あ……どうも」


「コンニチハ」


屋上のヘリポートから幾つかのケースを積んだ台車を誘導しながら降りてきた人物に、とりあえず北斗は挨拶をする。


でもそれだけだ。ここに移されてから何度となく繰り返された光景は、それ以上の接触の無意味を教えていた。


あとは放っておけばいい。彼らは勝手に物資を運び入れ、勝手に戻ってゆく。


MOTHERの元に。


北斗は、機械的に作業を進めるソレを一瞥すると、何も言わずに自室に戻った。



日常生活に必要な物資は、MOTHERからアーマノイドを使って送られてくる。


大脳皮質を支配された、──かつての“罪人”。


……まだ、MOTHERが自分たちを送り出す以前、人間が、社会という形態でこきおろしうる国家を持っていた頃、犯罪の凶悪化に伴い、民間には長期受刑者の釈放に対する不安と拒絶が広がっていた。ここにあった国家の刑法では懲役の年数にはヒトの寿命に見合った制限が設けられていたため、受刑者はせいぜい三十年以内には釈放されることになっていたのが、“一般人”の間に波紋を投げかけたのだ。


それだけのことを仕出かした者と隣り合わせに生活することへの不安。そこからくる拒絶は釈放された者から生きる術を奪った。──そうして、“戻る”ための再犯という悪循環が渦を巻く。


当時、釈放された者に生きる場所はなかった。情報システムと社会の電子化・多様化・細分化、そして未熟な統合化は皮肉にも“社会の複雑化”“人間の不透明化”という、本来の目的とは逆の状況を生んだ。進み倦んだ形態が先祖返りをみせる、生命界の常のまま、あるいは歴史というタームに逆らわず、人は末世思想に似た倦怠感と不安をもよおした。混沌としたそれは先に挙げた状況の悪化をさらに加速させた。そのなかで、“国家”は元受刑者に“仕事”を供給するという名目の元、年齢・健康状態・釈放後の引き取り先の有無を選別の条件として内密裡に彼らをアーマノイド化の実験体に使った。


どのみち、彼らに生きる場も術もない。そう認識するからこそできたことだった。国は、釈放された者が居場所──刑務所を求めてつまらなく凶悪な再犯を繰り返し、末世思想という混沌を煽り立てることよりも、“温厚な措置と政策”というクリーンなイメージを望んだ。それは“表”を現す“社会”という大多数に対して“イメージ”だけで十分だった。裏は所詮、裏でしかないのだ。結果として安全を保ちさえすれば、“表”が“裏”の内実を問う必要に迫られることはない。


それは、力を与えられた子どもたちが矯められることも抑えることも弁えることなく力を振り回すのに似通っていた。



──不意に、上の方からバラバラと物資ヘリの飛び立つ音が聞こえ、北斗は“彼”が去ったことを知る。


これでまた、当分はアレを見ずにすむ。そう思うのは残酷なことなのか。


自分のなかの、処理し難い不快感をもてあつかいながら、彼らを思い出す。


何も映そうとはしない瞳。表情の無意味。肉体が、使える間の猶予。


こんなものでも、彼らは死ぬよりましだったといえるのか。


「気持ち悪い……」


振り払うように舌打ちをして、口元に手を運ぶ。


ただ、気持ち悪かった。人の間に還れなくなったものの、こんな“利用法”を思いついた者も、それを受け容れざるを得なかった、その果ても。


挨拶をすれば、決められた挨拶が返ってくる。元は“人”だったものが、今も人の“姿”をしているだけに、どうしても“人”として見てしまい、そうして尚のこと気持ち悪くなる。


……彼らの、胡乱な目付きを見るともなしに見ているなかで、ふと思う。


もし、──これを“壊して”しまったら。


MOTHERは、叱るだろうか?


……何と言って?




* * *



「……何やってんの」


「……あ、暁」


キッチンに降りようとして部屋を出たところで北斗の部屋のドアが開いているのが見えて、──ついでに、北斗がベッドに腰掛けながら、窓の方を向いて日の光に手をかざしているという何とはなしに不思議な光景まで見えてしまったので、思わず声をかけてみた。


北斗は別段気まずいとも邪魔とも思わないらしい、手を掲げたまま──視線さえ外さずに、声だけで返事をしてきた。


「……北斗?」


拒絶されていないことに安堵しつつも、放置されているようで微かな不満は残る。とりあえず、北斗に倣うようにベッドに腰をおろしたものの、落ち着かない。


そんな言外の声は通じていたのか。北斗は至ってマイペースな横顔を見せながら呟くように言う。


「……透けて見える」


「……何が」


「血管」


「……あー……いい天気だよな、今日」


楽しそうでもつまらなさそうでもない様子に、それ以上答えようもなく口ごもる。


外は本当にいい天気だ。空調の整えられた室内でさえ、窓越しの陽射しが暑かった。外に出ていたら、三分と経たないうちに汗だくになりそうなくらい、眩しくて。


「……ねえ、暁」


あくまでもだけど穏やかに、北斗が口を開いた。手のひらも視線もそのままで。


「……何」


「血管の標本って知ってる?」


「知らねえよ。……何、いきなり」


「ずっと前に、何かで読んだんだけど」


──いきなり何を言い出すんだろう。というより、何で自分はここにいるんだろう。


そんな、暁の混乱をよそに、問わず語りを紡ぎだす。


「悪趣味な話なんだけどね」


そう前置きした彼の横顔は、けれど何も表していなかった。嫌悪も、好奇心も。


「古代エジプトのミイラ。生体を、利用して。何か金属を含んだものを血管に注入してあるらしいんだけど。ちゃんと、静脈と動脈も青と赤に色分けされてるらしくて」


なるほど、それで“血管”か。


「……何千年も昔に、そんなコトができたんだ?」


確かに、前置き通り悪趣味だ。何よりも、“生体を利用”──そう、淡々と語ってみせた、その口調が。


引き気味になっている様子に、北斗も気づいたらしい。薄く愛想笑いを浮かべて、話を纏めた。



「……生きながらにモノに変えられてゆくっていうのは、どんなものなんだろうね」



そうして、暁は更に言葉を失う。


……何が、言いたいのか。この前から、ずっと。


自分が一緒にいるとき──二人きりの時ばかり、よく分からないことを。


「……北斗?」


「そういえば暁、何か用あったの」


「……」


思い出したように、勝手に話をすり替える。別に、いたのが見えたから。──それだけを何とか言い返すと、何、構って欲しかった?──しれっとして、そんなことを言ってきて。


「コドモ扱いすんなって」


「してないよ。おいで? 構ったげるし」


「だから、それが……」


言いかけて、どつぼに嵌まりそうで止める。いつの間にか手のひらは下りていて、視線も真っ直ぐにこちらを向いていた。じゃれつくように。いつもの、顔で。


「……キッチン。行くとこだったんだけど」


「一人じゃ寂しいんだ?」


「──だからっ、何でそうなるんだって」


「俺も少し喉渇いた」


はぐらかしているのか彼なりに受けとめているのか分からない笑顔で立ち上がる北斗に、暁もつられるようにして立ち上がり、一緒に部屋を出た。


──生きながらに、モノに。


ドアを抜ける刹那、聞いたばかりの言葉が脳裡を掠める。


あれは、──何のことを言ったのか?





* * *



「……天之河。さっき、来たのって」


「ああ……ごめんな、……昴の方こそ、話あるんじゃないの?」


「……」


「やっぱり、ね」


微かに、自嘲気味に呟いた天之河に、切り出す言葉がすぐには浮かばずに少し黙る。


窓際に安楽椅子を引き寄せて凭れている天之河が、適当に座って、──そう促してくるのにとりあえず従って、ベッドの端に腰をおろした。それを僅かに見やり、天之河から口を開く。


「今朝、流星が裏庭に向かうところ、見て」


いつもと、強いて変わらない穏やかな口調で。


「多分……気づいてるよね。アナタも。……流星も」



「天之河……お前」


凝然と見つめながら掠れた声を洩らす昴に、ごめん、──そう前置いて。



取り返しようのない事実は告げられる。



「俺は……あれを、死なせられなかった」



ごめん。──もう一度繰り返す天之河に、昴は何も言えなかった。


壊したくない。壊れて欲しくない。もう、──これ以上。


そう思う天之河は動いた。ただ、それだけのことなのだ。


その果てに生み出されるものは、誰一人として知らずに。



……不意に。


昴は、軋む音を聞いた気がした。


歪んで軋む歯車の、ギイギイと甲高く笑いながら廻り続ける、音を。



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