第1章第4話

* * *



窓の向こうでは雷を伴った雨が降っている。


北斗はクッションに座り、片膝を立て、もう片方の足を床に伸ばして、眠る暁の枕として提供していた。


「……暁、起きてる? いい加減足痺れたし」


「……寝てる……」


それでも足から払いのけずにいる北斗は優しいのだろう。


北斗は黒い癖のある髪に睫毛が影を落とす黒い瞳が印象的な容姿をしている。


対して暁は金髪に茶色の明るい瞳が目を引く。


けれど、どちらも穏やかな雰囲気をしていた。かといって似た者同士ではなく、北斗が自分を隠すことを知った穏やかさだとしたら、暁はマイペースな穏やかさだった。


北斗は自分を隠している。それを気づかせないために、更に覆いをかけている。


その北斗が、珍しく暁の眠りを妨げて問いかけた。


「……お前、“MOTHER”って見たことある?」


「……だから、寝てるって……」


「いいから。……もう少し寝させといてやるから」


なぜ、北斗がこんなことを言い出したのか。


分からないまま、暁はぼんやりと目を開けた。


「もう目エ醒めたって。……声だけ。一度。……北斗は?」


「俺も。……なあ、」


そうして、北斗は何でもないような口調で言葉を繋ぐ。


「……あいつらは知ってるのかな、“MOTHER”」


あいつら──それが誰を指すのか、暁には見当もつかなかった。肘をついて身を起こし、北斗の表情を見上げる。そこには、いつもと変わらない穏やかな眼差しがあるばかりだった。


「……北斗?」


けれど、何かが違う。


「……何でかな……少なくとも昴と天之河は、絶対知ってる気がする」


──なぜ、北斗はそんなことを言うのか。暁は北斗の目を見つめた。何も分からない。瞳に自分が映っているのが見えて、でもそれだけだ。感情が附随していない。何も窺えない。


「……北斗、何……」


「……何でだろうね」


北斗が微笑む。何を考えているのか、掴ませないまま。


「お前は?……暁」


それは、記憶の奥底を掘り返そうとするような問いかけだった。暁は何も思い出せないなかで、北斗のことを微かに怖いと初めて感じた。


「……だから、声だけって──」


北斗は自分から何を引き出そうとしているのか。暁は床についた手を拳に握りしめ、それから口元をおさえて顔をそらした。逃げるように。


「……分かんねえよ。お前が何言いたいのか」


そのとき、稲光が照明を抑えた部屋を照らし、雷が近くに落ちる音が全てをかき消した。







──“MOTHER”は囁く。


『……主よ、あたしをつくった、ただひとりのひと』


──“MOTHER”は呼びかける。


『……ねえ、……どれだけ壊れたら、あたしをなおしてくれるの?』


それは切望。最後の希望。


──そして“MOTHER”は叫ぶ。


『もう何もできないなら、もう何もさせないで』









その頃、天之河が部屋を訪れた流星を招き入れ、安楽椅子に腰をおろして「──何? 話って」と訊ねた。


「……ん……」


流星にしては煮え切らない、言い淀んだ様子に、天之河は手を伸ばして──。


「……流星?」


触れようとして、明らかな拒絶で流星がびくりと身をすくませた。


「……あ……」


流星がうろたえたのは刹那の間──すぐに、真っ直ぐ天之河を見て真剣な面もちで切り出した。


「……天之河君は、昴を──殺さないよね?」


殺させはしない。言外に、そう言い放って。


天之河が目を見開いた。


流星は思い出してしまったのだと。それによって、つかの間止まっていた歯車は平穏を砕いて動きだしたのだと。


──“MOTHER”は願い、祈る。


『もう、これ以上、──何も』



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