第1章第2話

夜になって、雷鳴が轟いている。嵐がくるのだろうか。


昴は流星の部屋を覗き、クッションに凭れて眠りこんでいる姿を見た。


よく眠っているところを起こすのは忍びないが、このまま放っておいて風邪をひかれても後味が悪い。仕方なく流星の傍らに近づいて、声をかけることにした。


「……流星。──起きろって流星!」


しかし流星は気づく様子もなく安眠している。しん、と静まりかえった部屋に、流星の健やかな寝息だけが聞こえる。


「……」


昴はしばしの沈黙の後、そっと流星の頬に手をあてた。触れて、わずかに離して──。


「起きな」


「──!?」


ばしん、と勢いよく流星の頬をはたいた。室内にいい音が響く。これには、さすがに流星も飛び起きた。


「鬼だよアンタ! ひでーよいきなり! 何すんだよ何したんだよ俺が!」


赤らんだ頬をおさえて流星が猛抗議するが、昴は流星の目の前にしゃがんで平然と却下した。


「呼んでも起きないのが悪い。ンなトコで寝たら風邪ひくだろうが」


「……雨のなかに突っ立ってたヒトに言われたくない……」


「何か言ったか?」


「……何も言ってません……」


流星のせめてもの反論を封じると、昴は満足したらしい。「ほら、寝るならベッド行けって」と促した。


言うだけ言って立ち上がる昴の背中を見て、流星は少しの寂しさと説明できない不安に心が駆り立てられた。


昴の背中はいつだって遠い。一人きりで完結している。


だから、呼びかけて振り向かせずにいられない。


「……あ、……昴!」


膝をついて半身を起こしながら、部屋を出ていこうとする昴を呼び止める。遠ざかろうとしていた昴が、振り返って向き合う。


「何だよ」


「……あの、」


言葉を探し、手を伸ばす。温かい。


──『夢を見るんだ。近くて遠い夢。欲しくない景色。大嫌いな声』


話したら──たかが夢だと笑うだろうか?


わけもなく手を伸ばして、触れても拒まない昴は。


「……一緒に寝よ?」


真っ直ぐに見上げて、存在をねだる。


「……流星、お前……雷怖いの?」


天之河じゃあるまいし。──そう言う声は少し呆れているのか、冗談にすり替えようとしているのか。


「違うよ」


ひどいヒトだよアンタ。──だから、流星も憮然として言い返し、うまく乗れない冗談に応える代わりに抱きついた。昴の匂い、昴の体温、手触り、固さと柔らかさ。感じて目を閉じる。


「……何」


「もういい、黙って。──頼むから」


拒絶と線引きの言葉が昴の口から発せられてしまう前に。


──『それでも、夜が来て、夢が来る』


記憶の奥底に沈澱して手繰り寄せられないような、正体の掴めない夢ならいいのに。ただの夢だと、やり過ごせるのに。


昴が、流星の頬に触れる。今度は優しく。その手に流星は自分の手を重ねた。


「……怖いね、昴。何か分かんないけど、──怖い」


昴には、どう伝わったのだろうか?


昴が流星の頭を撫でて、肩に手を置き、額に口づける。これこそが夢だと錯覚させようとする淡さで。──けれど、本当に錯覚してしまうのは。




──怖い。怖い夢は全部夢なら、どうして僕は思い出せるだろう?


──どうして僕は、現実のように錯覚さえ起こすのか。


……窓の向こうで、ひときわ眩しい稲光が落ちた。近づく嵐は、夜の間中、苛烈に現実を責め立てるだろう。


「……流星……だから、このまま寝たら駄目だって」


昴の声が対照的に静かで優しいとさえ感じてしまうのを、流星は目を閉じて味わった。


──今夜も、きっと来る。


あの夢は逃がしてくれはしないと、現実の何かが分かっている。


だけど、昴の声を耳に脳に染み渡らせている今だけは。雷よりも近くに感じている今だけは。


「……駄目だって、──流星」


──あのおしゃべりが始まる、そのときまでは。



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