第50話 言葉

      ◆


 モモヨが去っていき、俺は一人で素早く食事をすると、廊下へ出た。

 そこでは剣士が一人、待っている。俺を案内する役目のものだ。

 部屋を出ると、廊下の寒さがよくわかった。夜ということもある。息を吸うと背筋が震えそうになる。旅に快適な時期では当然ないが、もう構っている理由はない。

 廊下を剣士の先導で進む。遠くでまだ読経が聞こえる。

 不意に剣士が立ち止まったので、俺も足を止めた。剣士が膝を折って、すぐそばに隠れていた人物が俺にも見えた。

 チセである。

 こんなところで何をしているのか。

 まるで俺を待ち構えているようだった。

「何の責任も取らないのですね」

 チセの声は、今までに聞いたことがないほどひび割れていた。

 絶望と憎悪が吹きつけてくるようだった。

 俺はわずかに頭を下げる。しかし言葉にするべき事柄はない。

 俺は責任を取らないし、ここから逃げるのだ。卑怯と思われるのは当然のこと。勝手と思われるのも当然のこと。

「剣に生きることを、恥ずかしいと思うことはありませんか?」

「いいえ」

 答えはすんなりと出た。

 剣の道を恥じることはない。

 それだけは間違いない。

「人を倒してきたからですか」

 チセの瞳が俺を見据える。

 その瞳には地獄の業火が宿っていた。

「人を殺したことが、後ろめたいんでしょう。違いますか」

「後ろめたくはない。それは同意の上だ」

 チセの口元が震える。

「アマギ殿も、カイリ殿も、ホタル殿も、兄上も、父上も、みな同意していた、というのですか」

 彼女には理解できないだろう。

 誰もがどこかで、何かに同意している。拒絶することは許されず、同意しないことは選べないものが、この世に確かにある。

 生まれた時にはそんなものは一つも抱えていないのかもしれない。

 しかし、もう俺も、チセも、倒れたものも、多くのものを抱え込んでいるのだ。

 深く深く沈むような、重いものを抱え込んでいる。

 俺が答えずにいるからだろう、チセの瞳で炎が揺れ、もう言葉はなく、彼女はすっと場所を空けた。

 黙っていた剣士がすっくと立ち上がり歩き出す。俺はチセに一礼して、彼女の前を抜けた。

 深夜に俺は城の門を出て、通りへ出たが、もちろん人気はない。

 上着の前を合わせながら、俺は歩き出した。

 ハバタで過ごしたことで、何が得られたのか、それはわからない。

 いつか、俺の命をアマギの剣やカイリの剣、ホタルの剣が救うかもしれない。

 それはそれで、意味がある。

 倒れた剣の数だけ、俺は重荷を背負っている。それはある時には足枷になるか。

 それはそれで、試練としては意味があるのかもしれない。

 死を遠ざけ、死に近付き、その繰り返しだ。

 俺はさらに旅を続けた。

 銭はハバタのものから受け取ったもので、十分にある。

 冬も終わろうかという暖かい日、俺はとある町にたどり着いていた。それを聞いたのは、食堂のような場所に入り、座敷で鍋料理をつついている時だった。

 ハバタという家で、剣術指南役を探している。

 そんなように聞こえたが、一瞬のことだったし、聞き間違えかもしれない。

 俺は聞き流して、鍋に箸を伸ばした。

 あの娘は、自分を縛り付ける負の感情を、克服しただろうか。

 それともいつまでも治らない傷のように、彼女を苛み続けているのか。

 剣を否定しながら、剣を無視することはできないのか。

 通りを見ると、もう冬の気配は薄くなっていた。

 ぬくもりというものが、不意に恋しく感じられた。

 刃には宿らない、暖かさが。



(了)

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狂気共鳴 和泉茉樹 @idumimaki

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