第47話 対面
◆
ハバタの街は静まり返っていた。蕎麦屋でさえも閉まっている。通りは無人だった。
不吉なものを感じながら俺は城の方へ歩いて行っていた。遠目に見ると、門が閉まっている。今まで、門が閉まっているところは見たことがない。その上、門には武装した足軽のようなものが集まっていた。
さりげなく物陰に隠れて様子を見たが、足軽たちの声が聞こえる距離ではない。
と、そこで門で動きがあり、細く門扉が開くと、役人の男が出てきた。俺も顔は知っているし、向こうも俺を知っているだろう。
彼はどこか怯えて様子でこちらへやってくる。
名前はなんだったか……、そう、ロウタだ。
彼が間近に来たところで「ロウタ殿」と声をかける。彼はギョッとしたように周囲を見て、俺を見つけると足早にやってきた。俺はそっと路地に入る。そこももちろん人の気配はない。
ロウタが睨むように俺を見る。咎める目つきだ。
「オリバ殿、こんなところで何をしている」
「俺を探していると聞いて、戻ってきた。何があったのです」
よく見るとロウタの顔は真っ青だった。
「城の中で働いているものが不意にタンゲ様を襲った」
「タンゲ様を? まさか……」
ロウタが細かく震えながら、しかし確かに頷いた。
「タンゲ様は亡くなられた。下手人はその場で切られたが、その前に、ホタル殿こそがこの地を治めるべきだということを、喚き散らした」
訳がわからなかった。
「それはどういう理屈です。誰がそれを支持するのです」
「わからぬ。皆目、わからぬ。しかしホタル殿の住む剣術指南役のための屋敷には、大勢の若いものが集合している。城内の道場にいたものたちらしい。不自然だが、謀反は謀反だ」
「ホタル殿が先頭に立っているのですか」
「それもわからぬ。今から私が、話を聞きに行くのだ。死ぬかもしれん。ああ、なんてことだ……」
ふらふらとロウタがよろめくので、俺は彼を支えた。
ホタルの配下にそれほど大勢がいることを、俺は全く知らなかった。俺自身が城内の道場で稽古を見たことさえあるのに、あの場にいたものに統一された思想は感じられなかった。
ホタルは担ぎ出されただけなのだろうか。
私は行かなくては、とロウタがやっとしっかりと立った。
「オリバ殿、悪いことは言わない、今のうちにこの地を離れるべきだ。貴殿にとっても面倒なこととなろう。とにかく遠くへ行き、何も知らないままで済ますべきだと思う。私だったらそうする」
いえ、と答えてから、思案したが、できることは限られている。
ケイロウと話すより、ホタルと話したほうが早い。
「ロウタ殿、時間をいただけますか」
「時間? どういうことだ」
「剣術指南役の屋敷に行ってみようと思います」
やめておけ、と言いかけたようだが、ロウタは黙った。黙って思考をめまぐるしく回転させたようで、唸り声を上げた。
「一人で行くのか。行ってどうなる」
「ホタル殿の真意を聞こうと思います」
「切り殺されるだけだ。すでにタンゲ殿は亡くなっている。ケイロウ様はホタル殿を許すことはない。その場にいるものも、みな、処断される。それが世の習いだ」
「だとしても」
俺の意思に触れたせいか、ロウタはまた口を閉じ、やはり唸った。
すぐに答えは出た。
「私もついていこう。オリバ殿の顛末を知っておきたい。死ねばそれまでだがな」
「よろしくお願いします。もしもの時は申し訳ないですが、お覚悟を」
「もう良い。勝手にさせてもらう」
二人で路地を出て、並んで剣術指南役の屋敷へ向かう。その道すがら、ロウタが質問を向けてきた。
「ホタル殿とその仲間と切り結んで、勝てるのか?」
「さあ、それは」
「自信がないのに行くとは、酔狂なことだ。もしや、ホタル殿を切ることが目的でここへ戻ってきたのか?」
そんなわけではないですよ、と答えたが、全くなかったかは、こうなってはわからなかった。
ここへ戻れば、誰かと刃を向けあうことは簡単に推測できる。
その推測を俺はわざと無視しようとしていたのかもしれない。自分の内にあり、明らかに存在するものを無視できるとは、どういうことだろう。
人間は見たいものしか見ず、聞きたいことしか聞かない。
同じように、心の内にあるものも、選別しているのだろうか。
通りは静かだ。二人のわらじの足音だけがする。
剣術指南役の屋敷が見えてくる。刀を帯びた若者が四人、その門に立っている。門扉は開かれていた。奥に人の気配がするが、数を推測することは難しかった。
四人が俺に気づき、それぞれに感情を見せてから、三人が刀を抜き、一人が奥へ走った。
間合いを取って三人と向かい合うが、もちろん、ロウタはさりげなく距離を取っていた。もし俺が無残に切り殺されたら必死に城へ走るのだろう。今の間合いなら、ロウタは無事に逃げおおせるはずだ。
「ホタル殿と」俺は声を発した。「話がしたい」
「オリバ殿とは無関係でござる」
剣士の一人が言いながら、わずかに間合いを詰める。
「どうか、立ち去っていただきたい。無駄な血を流したくはない」
大きく出たものだ。
俺は自分から一歩、前に出た。
「去る気はない。ホタル殿の真意を知りたい」
「お話しすることはない」
「話していただく」
さらに踏み出すと、三人は構えを変え、いつでも打ち込める姿勢をとった。
俺は構わなかった。
堂々と正面から間合いを詰めていく。
三人がわずかな間隔を開けて打ち込んでくる。
俺は前に進むのみ。
一人の手首を取り、捻り、勢いを逆用して投げる。
次の一人は手首を打って、足をかけ、胸を突いて背中から地面に叩きつける。
最後の一人の一撃は回避し、手元を掴み、引きずり、返し、捩じ伏せる。
あっという間に三人が地に這った。
「それくらいにしなさい」
静かな声とそれに続く足音。
門から進み出てきたのはホタルだった。それに若い剣士たちが十人ほど従っている。離れたところにいたロウタが悲鳴を上げて駈け去った。
俺はホタルをまっすぐに見る。
彼女はこうなっても、無表情のままでいた。
今も袴を履いており、腰に刀があった。
取り巻きが進み出ようとしたのを、ホタルが身振りで制する。そしてホタル一人で俺の前に歩を進める。俺が倒した三人は慌てて仲間の方へ逃げて行った。
「さすがの技量ですね、オリバ殿」
ホタルは何も気にしていない、普段通りの様子だった。
謀反を起こしたとされて、なぜ、ここまで落ち着けるのか。
彼女は今、生きるか死ぬかの境目に立っているのに。
まるで、それを感じさせなかった。
「問答は今更、必要ではあるまいよ」
俺はゆっくりと横へ移動する。ホタルも移動し、二人が円を描くように位置を変えていく。
「私を切るつもりですね」
ホタルの言葉が、俺の中に確信を生んだ。
俺は今まで見ようとしなかった、自分の中の感情に気づいた。
欲望と言ってもいい。
俺はホタルを切りたいのだ。
あの技を、打ち倒したい。
カイリを切った剣。
誰のためでもない。
ただの自分の、欲求。
愛するように、ホタルを切りたい。
「言葉は不要」
俺の言葉に、ホタルが顎を引く。
それぞれが柄に手を置き、鯉口を切る。
すらりと刀が解き放たれた。
昼過ぎの往来で、しかし今は、この空間は、時間は、俺とホタルだけのものになった。
刃が光を反射し、体は刃に隷属するだけの存在になる。
思考は刃のための思考となる。
感覚は刃に及び、本来の限界を超越する。
俺にはホタルしか見えなくなった。
音は聞こえず、空気は重く体にまとわりつく。
呼吸は浅くなり、全身が冷えるのと同時に、熱くなる。
全てが俺の支配下に置かれるのがわかる。
時が来たのだ。
雌雄を決する時だ。
強者との、生存競争。
勝利は生、敗北は死。
単純な原理だけが、二人の間にあった。
(続く)
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