第40話 一撃

       ◆


 数日と空けずに、手合わせが行われることになった。

 俺にはカイリが拒絶しないのが不思議だった。これだけの揉め事の中で、ハバタ家の剣術指南役に固執する必要は、どれくらいあっただろう。もう手をひくとして、城下を出て行けばそれで済むのだ。

 しかしカイリは城の庭に姿を見せた。

 俺は軒に近い場所で膝を折っている。何の立場もない俺が館の中から庭を見ることはできなかった。

 むしろにはすでにホタルが座っている。カイリは一礼し、ホタルも礼を返す。

 時間をかけて家臣が揃い、最後にケイロウがやってきた。

「剣技の真髄を見れるものと期待する」

 それがケイロウの言葉で、やや滑稽ではあったが、笑えるような空気ではなかった。

 これから誰かが死ぬのを、誰もが予感し、その予感を悲観だと拭い去ることはできずにいた。

 俺はタンゲがホタルに告げたことを知っている。二人の間の約束を、だ。

 しかしホタルが約束を守ることができるかは、判然としなかった。

 ケイロウはタンゲがホタルに約束させたことを、「甘い」と表現した。

 殺さずに勝つのは、容易なことではない。むしろより一層、勝負を難しくしている。

 この勝負は、終わってみなければわからない類の勝負だった。

 始めよ、とケイロウは低い声で言う。

 悠然とホタルが立ち上がり、カイリもそれに続く。

 いや、カイリは白い砂利の下に手を入れ、手のひらに土をつけた。それを両手で揉むようにしている。以前も見せた動きだ。しかし俺との二度目の手合わせでは見せなかった。カイリも今は決して余裕はないということか。

 むしろが下げられ、カイリとホタルが間合いを取って向かい合う。

 両者がほとんど同時に抜刀し、構えをとった。

 二人共が正眼だった。

 お互いがお互いに対策を練っただろうか。それとも、自分の技でねじ伏せに行くのか。

 俺にできることは見ているだけだった。

 見ているだけだったが、都合はいい。危険に身をさらすことなく、二人の技を見ることができる。やはり知識があるかないかは、きわどい勝負では大きな要素だ。

 ジリッとカイリが足の位置を変える。左へ足を送り、ホタルの側面へ。

 俺が見ている前で、しかしホタルはほとんど動かなかった。

 ホタルの右側へカイリが進む途中で、やっとホタルが姿勢を変える。

 これには俺だけではなく、カイリも瞠目した。

 ホタルは構えを解き、右手だけで持った刀を真横へ伸ばしたのだ。

 構えとも言えないような、不規則な姿勢だった。

 カイリの足が止まる。

 その瞬間に、ホタルが仕掛けるのが俺にははっきりと見て取れた。

 滑るような踏み込み。

 全く力みのない、流れるような動きだった。

 カイリがそれを迎え撃つ。

 ホタルの刀は動きの中で手元へ引きつけられているが、俺には見たこともない構えである。

 間合いが消える。

 カイリがまっすぐに刀を打ち下ろしていくのに、ホタルは変則的に半身になった。

 刃をすれすれで回避すると、さらに間合いを詰める。

 瞬間、下からすくい上げる軌道でホタルの刀が走った。

 この時にも彼女は右手だけで刀を取っている。細い腕のどこにそれだけの力があるのか、想像もできなかったが、事実は事実だ。

 カイリがさっと離れるが、宙を何かが飛ぶ。

 距離ができ、二人が構えを取り直す。

 宙を舞ったのは、カイリの左手の人差し指を中指だったと後でわかった。

 カイリの顔からパッと血が飛ぶと、その左頬に深い傷が走る。

 あっとう間に彼の顔の半分が赤く染まる。

 誰もが息を詰めていた。

 カイリは指を失い、技が制限される。

 しかし死んでいない以上、彼は降りないだろう。

 次の一撃に、カイリが賭けてくるのは間違いない。

 死ぬか、倒すか、その二つに一つの技だ。

 ホタルには余裕があるように見えた。カイリは手傷を負って、状況もまたホタル有利に傾いている。

 二人が改めて間合いを計り始める。

 やはりホタルは変則的な構え。基礎を大きく逸脱した、不自然な姿勢だ。

 タンゲの願いは、聞き届けられるかもしれない。

 俺はそう思いながら、様子を見ていた。

 先ほどの攻防でも、ホタルの技の冴えはカイリのそれを上回っている。

 不意にカイリが姿勢を変え、上段に構えた。わずかに重心を落とし、呼吸が浅くなる。

 攻めを待つ構えだった。わずかにでもホタルが攻めを見せれば、そこを打ち砕くつもりだ。

 手傷を負っている側が取る戦法ではない。

 しかしカイリは、ホタルが攻めると確信があるのだろう。

 不思議と俺にもその確信があった。ホタルはカイリが衰弱するのを待ったりはしない。力で、攻め潰そうとするだろう。俺がカイリの立場でも、ホタルの攻めを逆用する戦法を選んだかもしれない。

 場の空気が引き締まっていく。

 もはやカイリは動こうとしない。神経を集中し、わずかなものも見逃さない姿勢のまま、待ち構える。

 ホタルはわずかに手首をひねり、やはり右手側へ横へ刀を向ける。

 今度はホタルが足を送り、カイリの側面に回ろうとする。これにはカイリが足を送り、ホタルを正面に置き続ける。

 無駄だと悟ったのだろう、ホタルは足を止め、わずかに背筋を逸らした。

 余裕が露骨だった。挑発としても、露骨。

 カイリはしかし、反応しない。ホタルもその様子に、嘆息したようだった。

 ホタルが苛立てば苛立つほど、カイリには目が出てくる。

 その駆け引きは、カイリが死線をくぐってここに達している分、カイリに有利だった。

 不用意なほど、ホタルが一歩を踏み出したのを見たとき、俺は勝敗が決したと思った。

 ホタルの踏み込みはあまりに弱く、ただ一歩、前に出ただけにしか見えない。

 カイリが揺れる。

 今までにない強い踏み込みで、彼の剣の間合いにホタルが取り込まれる。

 頭上から、落雷のような打ち込み。

 受けることはできない。ホタルの姿勢では、回避もできない。

 そのはずだった。

 ホタルが体を捻るようにして、その一撃を避けたのは、悪い冗談のようだった。

 カイリの刀が地面を打つより先に、ホタルの刀が走って彼の右腕を切り飛ばした。肘から先が刀を握ったまま、庭の隅へすっ飛んでいく。

 よろめいたカイリが、足を送ることができず、尻餅をつくようにして倒れこんだ。腕の断面からは血が噴き出す。悲鳴を上げないカイリだが、すぐに汗まみれになった。右腕を脇に抱えるようにして、彼はホタルを見上げていた。

 ホタルはまっすぐに立っている。

 決着はついた。

 ホタルの勝ちだ。

 それまで、と誰かが言おうとした気配に合わせるように、ホタルが剣を振り上げた。

 俺は刀の柄に手を置いて、砂利を蹴りつけようとした。

 間に合わない。

 確信した。

 ホタルには躊躇いがない。

 刀がカイリに落ちていく。

 声よりも、俺よりも、彼女の刀が早かった。

 切っ先がカイリの額に食い込み、抵抗もなく眼球、鼻梁、唇、首、胸と引き裂いていった。

 最後までカイリは悲鳴どころか声も発さなかった。

 力を失った体が背中から地面に倒れる。

 気づくと庭に敷き詰められた白い砂利はところどころが赤く染まっていた。その赤い染みが、ホタルが刀を払ったことでさらに一条、追加される。

 俺は立ち上がりかけた姿勢のまま、ホタルを睨んでいた。

 彼女は全く動揺せず、平然と立っている。俺を見ていない。カイリだったものも見ていない。ケイロウの方も見ていなかった。

 彼女は空を見上げるようにしていた。

 まるで、人など切っていないようだ。

 ただ光を浴びるように、そこにいる。

 風を感じようとするかのように。

「それまでだ」

 家臣の一人が掠れた声で言ったが、決着からあまりにも時間が過ぎていた。

 ホタルが刀を鞘に戻し、広間の方を振り返り、片膝をついて頭を下げた。

「沙汰は追ってする」

 普段より覇気を欠くケイロウの言葉に、ホタルは何事もなかったかのように短く返事をする。ケイロウが席を立ち、足早に広間を出て行った。頭を下げてそれを見送った家臣たちも下がった。

 俺が見ている前で、ホタルは剣士とともに下がっていった。

 カイリの遺体が片付けられるのを、俺はその場に残って見ていた。

 殺さない約束だったはずだ。

 何故、彼は死ななければいけなかった?

 わからなかった。

 自分が今まで、多くの人の死を生んできたにもかかわらず、俺にはわからなかった。



(続く)

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