第39話 順番

      ◆


 タンゲが話を続けていたが、城のものがやってきてホタルを呼んだ。部屋の用意ができたという。

 俺もホタルと一緒にタンゲの前を辞した。

「父上にはお話ししておきます」

 そのタンゲの言葉に、ホタルは深く頭を下げていた。

 廊下へ出て、俺は迎えの剣士にホタルのための部屋の場所を聞き、自分が案内するから、とその剣士を帰した。

「こちらへ」

 先に立って歩くと、いつかも同じことがあったと思い出した。タンゲの怪我の見舞いにホタルが来た時だ。

「是非、お聞きしたいことがある」

 俺が足を止めずに声をかけると、背後で「何なりと」と返事がある。

 彼女に背中を向けるだけでも相当な重圧を感じている俺だったが、声はスルスルと出た。

「何故、カイリ殿を切ろうとするのだろう」

「仇、と申し上げました」

「それは勝手な理屈、破綻している理屈だ。アマギ殿を切ったのは、俺なんだから」

「そのオリバ様を負かしたのが、カイリ様」

「カイリ殿を切ってから、俺も切るというのは、本気で言っているのか?」

 おかしいですか、と声がしたので、俺は思わず足を止めた。

 振り返ると、ホタルは俺を見据えている。

「二人とも切れば、解決すると思いませんか」

 ホタルの静かな声には、やはり狂気が見え隠れした。

「確かに、解決するだろう。しかしそれで、どうなる」

「私が認められます」

 認められる?

 それはタンゲの前では出なかった言葉だった。

「認められるというのは、誰に?」

「誰でしょう」

 本当にわからないという口調でホタルは言う。

「死んだ父、ではないでしょうね。父はもう死んでいるわけですから、認めるも何もありません」

「ケイロウ様、というわけでもなさそうだ」

「ある意味では、ケイロウ様でしょう」

 なるほど。

 認められたいというのは、純粋に評価されたい、ということか。

 剣術指南役の娘としてではなく、一人の剣士として。

 それもお飾りではなく、確かな腕のものを切って、本物の剣士として。

 少しだけ、彼女の狂気の本質が見えた。

 それは剣士の狂気と同質なものだから。

「終わりのない道だな」

 俺がそう言葉にすると、ホタルは不思議そうな顔をした。わずかな変化だが、彼女は俺の言葉を理解できなかったのだとそれでわかる。

 仮に彼女がカイリを切り、俺を切ったとして、また次の誰かが現れるだろう。その誰かを切っても、また別の誰かがやってくる。

 カイリはともかく、俺を切るということは、三剣豪の一角のゼンキを切った剣士を切った存在になるのだ。そんな使い手を世に無数にいる腕に覚えのある剣士が捨てておくわけがない。

 俺を切ったホタルを切れば、名声が手に入る。

 世の中には、剣術それ自体より、地位のため、銭のために剣を取るものがはるかに多い。そういうものこそ、ホタルを放っておけないだろう。

 ホタルはきっと、いつまでも、刀を握り続けるだろう。カイリを切り、俺を切り、その次も、さらに次も、死ぬまで相手を切り続ける。

 終わりのない死闘を、この娘は望んでいるのだ。

 普通ではない。異質な気性、異常な思考だった。

 その極端さが、この娘の技を冴え渡らせる気もした。

 迷いのない剣、疑いのない剣はそれだけでも力を持つ。

「どうされましたか」

 ホタルから声を向けられて、いや、とだけ俺は応じた。

 考えたところで仕方がない。順番がどうであれ、俺も彼女と剣を向けあうことになりそうだった。

 負けないことだ。

 あるいは、殺すとしても。

 彼女に背中を向けようとした時、ホタルが思い出したように言った。

「剣の稽古を、したいのですが」

 動きを止め、「庭でいくらでもできるはずだ」と答えながら向き直ると、ホタルは俺の瞳を見据えた。

「オリバ様と稽古をしたいということです」

 稽古……。

 よかろう、と俺はそのまま、素足で庭へ降りた。ホタルは足袋を履いていたが、やはり自然と庭へ降りた。

 庭と言っても、廊下から降りると僅かな空間しかない。

 そこで俺とホタルは向かい合った。

 いざ、とホタルが囁くように口にすると、すらりと刀を抜いた。

 俺はゆっくりと鞘から抜いていく。鯉口に切っ先がたどり着いた時には、すでにホタルは構えをとっていた。

 俺だけが、緩慢に構えをとる。

 ホタルはやはり正眼。

 全く微動だにしない、時が止まっているような構え。

 光陰流に少し似ている。

 アマギの剣だ。

 お互いが動かないまま、時間だけが進む。

 圧迫感はさほど感じなくなった。いかに超一流の技を身につけ、超一流の感覚の持ち主でも、体の動きを常識はずれにすることはできない。剣が振られる速度は遅れさせることはできても、無限に早くはできない。打ち込みの力も、体に見合った力しか発揮されない。

 気迫には強いものがある。

 本当の殺気を、こうも惜しげもなく放射出来る剣士は稀だ。

 その殺気さえも、こうして身近においてみれば、過去に切り結んだ剣豪と共通するものがある。

 ホタルの殺気は真っ直ぐだった。

 俺を殺したい、という欲が含まれている。

 不思議なことに、策を弄する剣士はこのような気を放たない。

 ホタルはもし、切り掛かってくるなら正面から来るだろう。小細工なしの、正当な技で攻めてくる。

 この形だけの稽古は、それがわかっただけでも価値があったと言える。

 両者は長い間、動かないままで対峙し、どちらからともなく刀を下げ、鞘に戻した。

「ありがとうございます」

 ホタルが頭を下げる。俺も頭を下げたのは、剣の道の礼儀がそうさせたのであって、ほとんど無意識だった。

 頭の中にあったのは、ホタルの剣の片鱗を整理する思考だけだった。

 動きがなかったのだ。どこにもホタルの剣の要素はない。

 構えも基礎そのまま。

 どういう動きをしてくるだろう。わずかな重心、わずかな力みで推測するが、明確な像を結ばなかった。

 二人で廊下に上がり、そのまま先へ進んだ。もう言葉を交わすことはなかった。

 ホタルの部屋は俺に与えられている部屋と大差ない。庭は中庭に面しており、一人で刀を振るには十分な余地がある。部屋には城で働く少女が待っており、すぐにホタルと話を始めるが、明らかにホタルに怯えているようだった。

 ホタルは男装に近い服装で、腰に刀を帯びている。それに、手合わせに乱入したことも聞かされてるのだろう。そこに至るまでに、数人を打ち倒したことも。

 ホタルだけが平然としている。彼女は全く自然だった。

 俺は挨拶をして下がった。

 自分の部屋へ戻る途中で、ケイロウのそばについている剣士と鉢合わせをして「ケイロウ様がお呼びだ」と教えてくれた。その剣士とともに廊下を進み、部屋の一つに入る。

 狭い部屋で、ケイロウはすぐそばに火鉢を置いて、うつむいていた。

 俺に気づくと、身振りで座らせてから、険しい面持ちで声を発する。

「ホタルとカイリをぶつけてみる」

「無駄な殺生ではないですか」

 俺が即座に言葉にするのに、「必要な犠牲だ」とケイロウは口にした。

「勝った方を、ハバタ家の剣術指南役とする」

「タンゲ様は」

 俺は慎重に言葉にしたが、ケイロウは不快そうに見えた。

「ホタル殿に、殺さずに済ますように、求めておられました。ご存知ですか」

「聞いている」

 煩わしげで、苦々しげなケイロウの言葉には続きがあった。

「甘いことばかりは言ってられぬ」

 それは、タンゲを無視するということだろうか。

 カイリか、ホタルか、どちらかが死ぬのがケイロウの望みか。

 死で解決する問題があるのだと、暗にケイロウはタンゲに向けて示したいのかもしれない。

「お前の順番が来るかもしれん」

 ケイロウはそう言って立ち上がった。

 非情な眼差しが、俺に向けられる。

「もしもの時は、任せる」

 もしもの時。それはどんな時だろう。

 カイリを切れと? それとも、ホタルを切れと?

 ケイロウは足早に部屋を出ようとしており、そのまま俺を振り返ることもなかった。



(続く)

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