第38話 狂気

      ◆


 タンゲは俺とホタルを小さな座敷に招いた。

 二人共が刀を帯びているのに、タンゲは短刀を帯びているだけ。本来なら許可なく城に刀は持ち込めないが、どうもタンゲは俺が刀を持つことで、ホタルを抑えられると思っているようだ。

 先ほどのホタルの発した気迫からして、俺にはさほど自信がなかった。

 ましてや、とっさにホタルを制するのは至難だろう。

 ただ、すぐに後を追ってきた剣士が二人、廊下に控えているのは知っている。仮にタンゲが切られ、俺も切られれば、あるいはホタルも切られるだろう。そういう計算をホタルがしていれば、無駄に剣を抜くことはない。

 そのはずだが、庭に乱入したことを考えれば、確信は持ちようもない。

 タンゲが全く落ち着いているのは、豪胆なのか、腹を括っているのか、さて、どちらだろう。

「ホタル殿は、アマギ殿から剣を習われたのですか」

 真っ先にタンゲが確認したのはそれだった。

 対するホタルは、普段通りの冷静を通り越して冷淡なほどの表情で、頷いた。

「全く知りませんでした。いつから習われたのでしょうか」

 そう問いかけるタンゲの口調には、場を和まそうとする意思が垣間見えたが、ホタルは全くそれに乗らず、淡々と応じる。

「幼い頃です、物心ついた時には竹刀を振っていました」

 それは俺も聞いたことのない話だったが、興味はなかった。

 何歳から稽古をしようと意味はない。問題はたった今、身につけている技だ。

 俺はさりげなくホタルの様子を観察し続けていた。力んだところはなく、落ち着いて見える。もし彼女が何か、害意を見せた時には俺が割って入らなくてはいけない。

 どれだけタンゲが柔らかい口調や言葉を選んでも、俺だけは気を抜くわけにはいかなかった。

「普段はどのような稽古を?」

「いえ、これといったことはしておりません」

「稽古をしないのですか」

「ささやかなものです」

 やはりホタルは乗り気ではないようだ。

 自分の行動を考えているようでもあるが、その表情から内心はうかがえない。表情が乏しいのだ。この時も、まるで何かの面のように見えるほど、変化がない。

「アマギ殿とは、何度かお会いしています」

 そうですか、とホタルが応じるのに、タンゲは気にした様子もない。

「人徳がありそうな方に見えました。無欲で、剣のために生きているような」

 不意にホタルの表情が強張ったのを、俺は見逃さなかった。

 しかし彼女は緊張したのではない、顔を歪めかけたようだった。

 怒り、が覗いた気がした、

「父は父で、剣に全てを捧げていました」

 ホタルがそう応じるのに、タンゲの表情が明るくなる。

「父は父で、ということは、ホタル殿はホタル殿で、剣を究めようとお考えですか?」

 ホタルはすぐには答えず、十分に沈黙を挟んでから「女の身では、難しいですが」と答える。その時には怒りの気配は霧散し、普段通りの表情に戻っている。

「女でも剣を使って悪いことはありません」

 擁護しているタンゲに、しかしホタルは無言だった。

「オリバ殿」

 不意にタンゲが俺の方を見た。俺は軽く頭をさげる。

「なんでしょう」

「ホタル殿の腕前は、オリバ殿から見てどのようなものですか」

 答えづらい質問だった。

 しかし、俺は思っている事をそのままに伝えた。

「私ともカイリ殿とも、大差ない腕前かと」

 そこまでですか、とタンゲが感嘆の声を漏らし、彼も何かを考え始めた。

 ホタルはただ座ったまま沈黙。俺は彼女を観察し続けている。タンゲは俯いていた。

「ホタル殿」

 顔を上げたタンゲに、ホタルが視線を返す。

「一つ、約束していただけますか」

「なんでございますか」

「カイリ殿も、オリバ殿も切らない。そう約束していただきたい」

 思い切った発言だった。俺はタンゲの様子を横目に、まだホタルを見ていた。

 意外だったのは、ホタルが不快感も示さず、「承知しました」と頭を下げたことだ。

 先ほどとは真逆のことを口にしている。

 ただ彼女が口にしたのはそれだけではなかった。

「その代わり、私の技量を示す場を設けていただきたい」

「どのような場が良いと思う?」

「剣術指南役と、手合わせをしたいと存じます」

 ついさっきまで、仇討ちを叫んでいたものが、やはりまるで違うことを言っている。

 俺が不可解に感じるように、タンゲも理解できないようだった。

 ただホタルだけが話を先へ進めていく。

「今、お約束いたしました通り、切ることは致しません。ですから、剣術指南役との手合わせを、ぜひ、設けていただきたい」

「切らずに勝てる、その自信がホタル殿にはおありなのか」

 タンゲの問いかけに、無言で深くホタルが頭を下げる。

 答えに困ったのだろう、タンゲが俺の方に視線を向けた。俺は首を左右に振るしかできなかった。下手なことを言ってはいけない。この娘のことを、俺は完全には信用していなかった。

 カイリと手合わせをして、これを負かせて、それでホタルにどんな利があるのか、俺には見当がつかなかった。あるいは本当に彼女なりの仇討ちなのかもしれないが、殺さないと約束している。殺さない仇討ちなど、あり得るのか。

 俺が黙っているのにタンゲは不服そうだった。意見をはっきりせよ、とその眼差しは告げているが、俺は口を閉ざした。

 タンゲが決めるとしても、後にはケイロウの沙汰が必要になる。

 だったらケイロウとタンゲで話し合えばいい。ここでホタルの言い分を認めるのは危険に思えた。ケイロウがどう判断するかも、俺には予想できない要素だった。ケイロウ自身の考えも、タンゲの意見をどこまで容れるか、それとも容れないのか、不規則だった。

「ホタル殿のお考えは、父に伝えておきます」

 結局、タンゲそう言うだけに留めた。

 それからタンゲはホタルに剣術について質問し始めた。俺に向けた問いかけに似たものが多かったが、ホタルはほとんど答えらしい答えをしなかった。これまでの経緯など、話す価値がないと言いたげな様子である。そういう態度の剣士がこの世にいないではない。

 俺が一番、興味を惹かれた問いかけは、もっとも素朴で、現実的なものだった。

「ホタル殿は、人を切ったことがおありですか」

 俺が見ている前で、ホタルは簡単に答えた。

「ございません」

 ない、か。

 当然のようだが、しかしそれでは、あの刀を抜いた時の気迫とはどこか食い違う。

 ホタルの発した気は、人を切っていてもおかしくないものだった。

 人を切ることへの躊躇いのない、強い気だったからだ。

「とてもそうとは見えませんでした」

 俺と同じことを感じていたのだろう、タンゲがそう言うが、やはりホタルは反応しない。

 嘘をつく理由はない。

 それ以上に、俺が感じているのはホタルの中にあるはっきりとした意志だった。

 もう切るとか切らないとかを話す段階ではなく、切ると決めており、決める以前に、もはやそれが定めだと思い込んでいるように見える。

 ホタルの技量は構えを見ただけでもわかる。

 そして人を切った経験の有無を測らせない不自然な気迫も、やはり明白。

 異常な使い手でありながら、その精神さえもやはり逸脱している。

 狂気に限りなく近いものが、目の前にいる女の中にあることを、やっと俺は理解し始めた。

 まともな人間ではない。そう見るべきかもしれない。

 タンゲは気にした様子もなく、話を再開している。一方のホタルは冷ややかと言える。

 俺はただ目の前の女を観察した。

 今は知ることだった。

 技だけでは不足。

 その心気さえも知らなければ、遅れを取るかもしれない。

 ホタルは少しも、そんな俺に注意を向けなかった。

 肩が微かに痛む。しかし血はもう止まったらしい。



(続く)

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