第37話 気迫
◆
場のざわめきの中でも、ケイロウの声は落ち着いていた。
「仇とは何のことか。それよりもここへどのようにして入ったか。止めたものがいたはずだ」
「打ち倒して参りました」
さすがに場が水を打ったように静まり返った。
打ち倒した?
「殺してはおりませぬ。気を失っているだけで済ませました」
再び場に小さな声が漏れる。ホタルが剣術を修めていることを知る者がいないのだ。彼らからすればホタルが意味不明なこと、嘘を口にしていると思えただろう。
しかし俺はホタルの噂を聞いている。実際に一流の使い手なら、数人の剣士など容易に退けるだろう。
さりげなくカイリをうかがうが、彼も困惑しているようだった。
彼もホタルの剣術の件は知らないのか? いや、それよりもホタルの乱入は、カイリにも予想外なのか。ならこれは、ホタル自身からの行動?
何のために?
仇討ち?
「ホタル、控えよ」
家臣の一人がそう声をかけるが、ホタルは全く動こうとしなかった。
「私にはこの場にいる二人を切る権利がございます」
さすがに誰ももう言葉を返せなかった。
発狂した、と見ることもできないほど、ホタルは落ち着き払っていた。
しかしやっていることは狂人のそれである。
「私はそこにいるオリバ殿に父を殺されました。そのオリバ殿を制したのがカイリ殿なら、カイリ殿も切らねばなりません。二人共が父の仇なのです」
「戯言だ」
ケイロウがその一言で切って捨て、配下に合図をしようとした。俺とカイリの決闘を囲むように、三人の剣士がこの場にいたのだ。既に三人ともが立ち上がっていたが、状況が飲み込めずに動いていなかった。
ただ、ケイロウの指示よりもホタルの宣言の方が早かった。
「この場で二人共を切ってご覧にいれます」
言葉と同時に刀が抜かれた。
カイリが一歩、後ろへ下がる。
俺も危うく、足を下げそうになった。
こういうのを覇気と表現するのだろう。
刀を構えたホタルから発散される気配には、他を圧倒する気迫がある。
物理的な圧力さえ錯覚する、王者の構えだった。
カイリが俺ではなくホタルの方へ刀を向ける。俺はどちらにも対応できるようにした。
俺の立場はいよいよ難しくなった。
事前の計画では、可能ならカイリを殺さずに済ますはずだった。それが今では、そのカイリをホタルが切ると言い出している。俺としてはホタルを切るのも違う気がする。それに容易に切れる相手ではないと直感が告げているのもある。
となると、俺はカイリからホタルを守りつつ、ホタルからカイリを守りつつ、俺自身をそれぞれから守るという、複雑怪奇な状況になってしまう。
三竦みと表現される場面はこういうことを言うのか。感慨深いが、感慨にふけっている余裕はない。
ケイロウはどう判断するのか。
ホタルはケイロウの言葉を聞かない姿勢を示している。どのような言葉もホタルを止められないかもしれない。
カイリはその分、まだ冷静さがある。しかしその冷静さが、ホタルを切るべきかどうか、迷わせているようでもあった。おそらく同じ屋敷で起居していたのだ、いきなり敵対する状況になるとは想像していまい。
ホタルは俺の助勢を必要としているようではない。まずカイリ、次に俺という姿勢のようだ。では俺がカイリの側につけばどうなるか。それでもホタルは向かってくるだろうか。
一人で二人を相手にすることはままあるが、三人ともがそれなりの使い手となると、犠牲が出るかどうか、判然としない。
俺は誰も殺したくないが、ホタルは間違い無く殺しにくる。カイリとの協力が生じるとすれば、ホタルを生かしたままにしたい、という一点でだろうが、まさかここで相談はできない。
ホタルの姿勢がわずかに変わる。足の位置を定めたようだ。
攻めが来る。
カイリを守るべきか。
そのためにはどうするべきか。
ホタルを逆に攻めるべきか。
それでどうなる?
必死に答えを探したが、答えなど出ない。
ホタルの体が動きだし。
無限にも思える刹那が始まり。
「控えよ!」
甲高い声に、全てが停止した。
カイリが跳ぶようにして、俺ともホタルとも十分な距離を取る。
ホタルは姿勢をもう一度、整え直したが、すぐに刀を鞘に戻し、片膝をついた。
俺も刀を鞘に戻し、建物の側へ向き直って片膝をつく。
「タンゲ様」
声を漏らしたのは家臣の誰かだった。
裂帛の声で三人の剣士を留めたのは、いつの間にか姿を現したタンゲだった。片腕には添え木がまだあるが、決して弱々しい雰囲気ではない。むしろ気迫が漲り、本来よりもひとまわりもふたまわりも大きく見えた。
「ホタル殿、無意味なことはやめられよ。ここはカイリ殿とオリバ殿の正当な手合わせの場。踏み込むとは何事か」
「失礼いたしました」
「仇というが、アマギ殿を切ったのはオリバ殿であることは承知しているな」
「はい」
「では何故、カイリ殿を切る必要がある。そもそも、何故、人を切らねばなぬのだ? 切らなくては済まないのか?」
短い沈黙の後、ホタルは聞こえるか聞こえないかの声で返答をした。声こそ小さかったが、そこには気が込められていた。決して臆してはいない、決して負けてはいない、という声だった。
「剣士とは、そういうものだからです」
タンゲはすぐに答えなかった。
「父上」
まっすぐに立っていたタンゲが背後を振り返り、膝を折るとケイロウの方へ頭を下げた。
「仕切り直しとしていただけませぬか。無駄な血が流れるのは、父上も望むところではないはず」
ケイロウはタンゲが現れてから、一言も発していなかった。
この時も、すぐには言葉を口にしない。何かを測っているようであり、何かを思案しているようでもある。
「父上、ホタル殿と話をしたいと存じます」
このタンゲの言葉にもケイロウは答えない。家臣たちも今では揃って口を閉じ、父と子の様子を注視していた。それは俺もカイリも同じだ。ホタルだけが、わずかに表を伏せていた。
「タンゲ」
やっとケイロウが言葉にする。
「お前に任せてみよう。しかし、何もかもを任せる気はない。ホタルの話を聞いて後、どのように沙汰するか、私に説明することを命ずる」
ありがとうございます、とタンゲが頭を下げる。
それからケイロウは、混乱を避けるためにホタルを城に留めると決め、カイリは再び、剣術指南役の屋敷で沙汰を待つことになった。
ホタルは刀を取り上げられそうになったが、タンゲが「そのままで良い」と声をかけていた。俺はとっさにケイロウの様子を盗み見たが、彼は苦い顔をしているだけで、タンゲに異は唱えなかった。
カイリは屋敷へ下がっていき、ホタルは建物に上がろうとする。俺だけが庭に残る形になった。
ケイロウの意見を聞きたかったのだが、その俺にタンゲが「オリバ殿も参られよ」と声をかけてくる。果たしてケイロウは無言のままだった。ただ俺の視線にわずかに顎を引いた。
様子を見聞きし、報告せよ、ということかもしれない。
俺は返事をして、タンゲに従った。ケイロウと家臣たちは黙ってまだ座についている。これから彼らだけで情報を共有し、議論するのだろう。
先頭にタンゲ、次にホタル、最後に俺という順番で、その場を離れて城の奥へ向かった。
血を見るかもしれなかった手合わせは、予想外の形で流れてしまった。
しかし、なくなったわけではない。
先送りになっただけだった。
それも、舞台に上がったものが一人増えた形で。
(続く)
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