第34話 感情
◆
会話をして情報を聞き出すのは慣れていないが、外堀からか。
「ホタル殿」
後ろを進むホタルは無言。聞いてはいるだろう。
「カイリ殿は落ち着いておられますか」
「この程度で取り乱したりはしません」
そっけないお返事。
「しかし、事故だったのでしょう。何かを罵ったり、怒りを見せることがあるのでは」
「稽古の中での事故なのです、カイリ様も気にはしておりません。怪我をしたのがたまたまタンゲ様だっただけのことで、それは不運というよりありません」
「故意ではないのですか」
背後でホタルが苛立った気配がした。
「故意にタンゲ様を傷つけても、カイリ様の立場は良くなることはありません。むしろ悪い方向へ転がってしまう事こそが自明。そのようなことをカイリ様はなさりません」
「あくまで事故だと」
「オリバ様」
低い声にも、俺は足を止めなかった。止めなかったが、ホタルが足を止めたので、俺も足を止めざるをえなかった。
振り返ると、ホタルは廊下に立ち尽くしている。庭に面している廊下なので、風がかすかに感じられた。冬の空気はより澄んでいるように感じられる。
「オリバ様は、何か勘違いをしていらっしゃいます」
「勘違いとは?」
「カイリ様は野心のあるお方。しかし、卑怯な手段などとも縁のないお方です。事実、あなたに勝つことで、正当に剣術指南役の役目を与えられたのです。それともオリバ様には、カイリ様が何か、間違ったことをしたと感じているのですか」
「いいえ、そうは申しておりません」
二人で向き合ったまま、短い沈黙が過ぎた。
「案内を」
ホタルの言葉に、俺は彼女に背を向ける。
タンゲがいる部屋にはすぐに着いた。俺は気を使ってホタルだけを中に入れ、自分は廊下に控える。障子が閉まり、声はくぐもっていて聞き取れない。
しばらくすると、障子が開き、ホタルが一人で出てきた。部屋の中に一礼し、障子を閉めたホタルが歩き出す。俺がついていこうとすると、彼女はこちらに向き直り、「経路は記憶してますので」と頭を下げられた。
「いえ、門まで送りましょう」
俺はそう言って、彼女の先に立った。
来た時とは違い、話すべきことはない。正確には、誰が聞いているかわからないところでは、話せないことしかない。
廊下を抜け、玄関から表へ出た。門へと進むとき、やっと俺とホタルの二人だけになれた。
「ホタル殿」
ホタルの返事はない。
「ホタル殿は、俺に告げたのと同じことを、カイリ殿に伝えたのか?」
「何のことでしょう」
「ケイロウ様を切る、ということだ」
俺が足を止めると、ホタルも足を止める。先ほどとは逆だった。
俺が振り返ると、彼女はどこかうっすらと笑みのようなものを浮かべながら、こちらを見ている。
「そのようなこと、お忘れください。戯言にございます」
「カイリ殿にも口にしたのだな」
「さあ、どうでしょう」
ここで踏み込んでおくのは、必要なことだった。
「ホタル殿は何故、ケイロウ様を害そうとするのだ? 何があった」
「何もございません。それに、私などに何ができますか」
女一人にできることは限られる。
ただ、彼女の今の発言、そこに含まれた言外の意味は不吉だった。
ホタルは、私には何ができるのか、と言っている。しかし私でなければ何かができる、と言っているようにも聞こえる。ホタルが一人きりではなく、協力者がいるような響きでもあった。
「俺にケイロウ様を殺せとけしかけたことは、忘れることはできない」
「忘れていただかなくても結構です」
やはり不吉だった。
俺が覚えていようと忘れようと、ことは動き出している、という意味が含まれているように思われた。
「カイリ殿と夫婦になるとか」
話題を変えてみるが、ホタルは「そのようなお話もありますね」とまともに取り合おうとしない。
問答はこれ以上、成果を出せそうにない。
俺がホタルに背を向けて足を踏み出すと、自然、二人共が歩みを再開し、門へと近づく。
「オリバ様」
門に着く寸前に、低い声でホタルが不意に言葉を口にした。
「私の父を殺したものを、私は許すことはありません」
俺は呼吸が乱れそうになるのを素早く整える。
「アマギ殿を切ったのは、俺だ」
「切ったのはあなたです。しかしそう仕向けたものがいる」
仕向けた。
ケイロウが仕向けたのだ。
「それは違う」
思わず言葉にしたが、何が違うだろう。ホタルの観察は間違っていない。
間違っているとすれば、ケイロウが仮にアマギを死なせた責任を負うとすれば、その時には俺も実際に刀を振った人間として背負い込むことが生じることだ。そしてちぐはぐなのは、ホタルが俺の立場に触れないことだ。
「切ったのは、俺だ」
「存じています」
ホタルはどこまでも冷静だった。
「私の中にある感情を、ご存知?」
俺が足を完全に止めて振り返ると、足を止めなかったホタルが横を抜けていく。
「憎悪というものよ」
彼女を視線で追う。
すでに門のところまで来ているが、俺は今、そこから外へ出ることは許されてない。
ホタルはしずしずと門を抜けていく。
声が届かない距離になっても、俺は彼女の背中を見ていた。
思わず溜息を吐いて、俺を身を翻した。
憎悪。ホタルは確かにそういった。
ホタルだけの憎悪だろうか。それとも、もっと大きなものか。
この世はまだ、戦乱の影を引きずっている。
あの混乱と闘争の中で、様々な人間が、いろいろな理由で倒れていった。不条理なことがまかり通り、残酷なことが通常でもあった。
そういう間違いの一つが、ケイロウによる、アマギと俺の立ち合いだっただろう。
死ぬ必要のないものが死んだ。
俺が恨まれるのは当然。
ケイロウが恨まれるのも当然。
しかしカイリがその恨みを晴らす行為を代行するようでは、この連鎖は終わることがない。
ホタルも、ケイロウを害することなどない。
もっと直接に、アマギを切った俺の命を狙いに来ればいいのだ。
タンゲの怪我は、事故か、故意か。
故意だとすれば、あまりにも非情だった。
彼とは何も関係ないところで、勝手な都合が構築され、怪我を負わされたのだ。
俺はもう一度、ため息をついて城へ戻った。
自分の部屋へ向かおうとすると、城のものと顔を合わせ、「ケイロウ様がお呼びだ」と教えてくれた。どちらにいるかを確認すると、丁寧に教えてくれる。奥の私的な座敷にいるらしい。
廊下を進む途中で、タンゲの部屋が近いのに気づいた。少し声をかける余裕はあるだろう。
方向を変えて進むと、向かいからケイロウがやってきたのに鉢合わせした。足を止めて、俺は頭を下げる。ケイロウは悠然とやってくる。そして俺の前で足を止めた。
「タンゲの様子を見てきた。気丈に振舞っているが、だいぶ焦っているな」
そうですか、と答えるしかなかった。
俺はケイロウがタンゲを気にしていることに、わずかに安堵していた。彼の中にも情があることがわかった。非情なだけのものは、人間には見えないものだ。
ケイロウは人間だ。間違い無く。
ではホタルは。
彼女は人間だろうか。
「行こう、オリバ。話がある」
返事をして、オリバの後についていく。
廊下を進み、城館の奥へ行き、小さな座敷に入った。
ケイロウが上座に、俺が下座に座る。
ケイロウはなかなか喋り出さなかった。手元で扇子で拍子を刻むようなことをしていた。
「オリバ」
ケイロウがこちらを見ずに言う。
「切ろうと思う」
俺はじっと、ケイロウを見た。
彼は斜め下に視線を注いで、俺の視線を無視していた。
(続く)
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