第33話 問いかけ
◆
タンゲは熱は下がったが、腕は動かせないままだった。
それでもタンゲとチセは俺の元へ来て、話をしていく。もっとも、ケイロウとモモヨはこれを機にタンゲには体を動かすだけではなく、勉学の時間を多く取らせることにしたらしい。タンゲは半日も俺のそばにはいない。
それがタンゲには不服そうだったが、不服に見えるだけで、はっきりと言葉にしたことはない。チセの方が不満が露骨で、タンゲのことを代弁するように「父上も母上もわかっていない」と口にしたりする。
それにもタンゲは微笑むだけで、何度かに一度は「そのようなことを言うものではない」とチセをたしなめることもあった。
俺とチセの会話も、以前とは少し変わってきた。チセはタンゲの話ばかりをして、剣術というものに否定的になった。
「今の世はもう戦乱ではないのでしょう。剣術はすぐに時代遅れになるんじゃないかしら」
そんなことも言ったりする。
なるほど、いつかは剣術も時代遅れになるだろう、と俺は同意しておいたが、からかわれたと思ったらしいチセは、むっとした顔をして少し頬を膨らませていた。
時代遅れになるには、はるかに長い時間がかかるだろう。今日や明日のことではないし、一年後でもない。五年でも足りない。十年でも足りないだろう。俺が死に、チセが老婆になり、やがて死ぬ頃になれば、少しは変わるだろうか。
それくらいの時間が、剣術が時代遅れになるのに必要な時間だと俺は見ている。しかもその間に戦乱がなければ、だ。戦が起こる限り、その度に剣術は必要とされ、生き延びていくはずだ。
ある日、チセにせがまれるがままに都の風物について話していると、剣士がやってきた。ケイロウが呼んでいるというので、またカイリの件かと推測しながら、チセに断って部屋を出た。
しかし今度は廊下ではなく、部屋に通された。
座る位置に、さすがに緊張した。上座にいろというのだ。もちろん中央ではなく、横に控える位置である。普段はそこには、領主、つまりケイロウを守る剣士がついている。
俺にその役目を期待しているだけではなく、ケイロウのそばにいる俺の存在を示し、俺がそういう立場にいることを示したいのか。
誰にだろうか。
しばらく腰を落ち着けていると、部屋に女性が一人、案内されてきた。
見間違えることのない、よく知っている相手だった。
ホタルである。幼い少女を一人連れている。よく観察すれば、剣術指南役の屋敷で見た記憶があった。
座ったまま、ホタルはまっすぐに前を見ている。俺と視線を交わそうとはしない。
俺の方が彼女に視線を注ぐが、普段通り、全く落ち着いた様子だった。
しばらくすると、足音がしてホタルが頭を下げた。俺は自分の立場を意識して、軽く頭を下げる程度にした。
障子が開き、ケイロウが入ってきた。俺の前を抜け、上座の中央に腰を下ろす。
「楽にせよ、ホタル」
ケイロウの言葉に、ホタルが顔を上げるが、すぐに頭を下げる。
「タンゲ様のことを聞き、お見舞いに参りました」
そうか、とケイロウは唸るように言った。
「それで、カイリは大人しくしているか」
「一室にこもり、日々を過ごしております」
「さぞ不服であろうな」
「そのようなことはございません」
ケイロウは鼻で笑った。
「ホタル、お前とカイリを夫婦にすることも考えたが、実際にはもはや夫婦と見てよいか」
さすがに俺はホタルの表情に焦点を合わせていた。
ケイロウはカイリとホタルのつながりを気にしている。
俺は、ホタルから告げられたケイロウへの害意のようなものを、誰にも告げていない。しかしケイロウはどこかでそれを知ったのだろうか。ホタルとカイリが繋がっていれば、カイリを排除するのと同時に、ホタルも排除できる。
そんなことがあるだろうか。
ホタルは俺に、確かにケイロウを殺せと言った。だがその真意は俺にはわからなかった。ホタルが話さなかったからだ。ケイロウにはその真意が判ったのか。それは伝え聞いたからなのか、それとも俺がまだ知らない要素がどこかに存在するのか。
俺が見ている前でもホタルは表情を一切、変えなかった。いつも通りの、どこか感情が欠落したような、静かな表情をしている。
「カイリ殿は、しかるべき時が来れば、とお話でした」
「しかるべき時、とは」
「さあ、私には想像もつきませぬ。少なくともケイロウ様より謹慎を解かれて後の事かと、想像いたします」
「待ち遠しいかね?」
いえ、とホタルが頭を下げる。
沈黙。ケイロウが横目で俺を見たが、俺はどう反応することもできなかった。
ホタルは連れている少女に合図をし、見舞いの品をケイロウの前で押し出した。こういう時の役目で、俺が立ち上がってそれを手に取り、ケイロウの元へ運んだ。ケイロウは適当な礼をホタルに向け、ホタルは形の上では恐縮していた。
どこまでも、よくある有力者とそれに接するものの態度に、両者が徹していた。
どこにも不自然なものがない、筋書き通りの展開。
ケイロウは揺らがないように見える。一方、ホタルは無力に見えた。
ホタルの剣術のことは、考えないでもない。しかし今の彼女は、短刀さえも帯びていない。それでは剣術も何もないだろう。素手で剣を手にした俺の相手をできるわけもない。慢心ではなく、事実だ。刀を持つものと素手のものでは、圧倒的に有利と不利がある。埋められない、隔絶された差である。
「アマギの娘と」
ケイロウが見舞いの品の反物をおざなりに手に取りながら言葉を発する。
「カイリが結べば、悪くない血筋であろうな。武神が生まれるかもしれん」
「そのようなことがあれば、ハバタのお家は安泰でしょう」
平然とホタルが応じる。
「その武神とも呼ばれる方は、決してハバタのお家を裏切らず、身命を賭してお仕えするでしょう」
あけすけなお追従のようにも思えたが、このような場ではこれくらいへりくだった態度をとるものは珍しくない。
ケイロウは応じなかった。不愉快だ、ということをその無言で示した形だった。
失礼いたしました、とホタルが深く頭を下げる。
その瞬間にケイロウは俺の方に素早く視線を走らせた。はっきりと視線と視線がぶつかる。
油断するな、という様子に見えた。
「良い、気にするな」ケイロウがホタルに声をかける。「タンゲはアマギのことを慕っておるようだった。怪我をしたとはいえ、剣士への憧れは強いようだ。ホタルの口から、アマギ殿のことを語ってやれば、少しは慰めにもなろう。どうかな」
ぜひに、とホタルが頭を下げる。
「オリバ、案内してやれ」
言いながらケイロウが立ち上がる。案内というが、結局はホタルの真意を探っておけ、ということだ。
俺とホタルが頭を下げている間に、ケイロウは退室していった。廊下に控えていた本当の護衛とともに足音が離れていく。
静かになってから、俺は「こちらへ」と声をかけて立ち上がった。ホタルも音を立てずにすっと立ち上がる。それから付いてきていた少女に「先に帰っていなさい」と声をかけた。
ホタルが近づいてくると、俺の背筋がピリピリした。
緊張しているらしい。冷静さを意識して、悟られないように呼吸を整える。
決して容易ではないが、俺自身も知りたいことは多い。
カイリの真意、そしてホタルの真意。
俺が先に立つ形で廊下に出る。
どのような言葉を向ければいいか、足を送りながら考えた。
(続く)
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