第31話 詰問

      ◆


 ある朝、いつものようにチセがやってきて質問をまさに向けようとした時だった。

 廊下で激しく忙しない足音がすると、姿を見せた若い剣士がいつになく真剣な様子で「ケイロウ様がお呼びです」と口にした。表情は色めきだっている。

 俺とチセは顔を見合わせ、チセが「今、参ります」と立ち上がろうとした。

 いえ、と剣士が素早く制止すると、俺を真っ直ぐに見た。

「オリバ殿をお呼びです」

「俺を? 何故?」

「ご案内します。お早く」

 何かが起こったらしいが、さて、何が起こったのか。

 俺は素早く立ち上がり、チセに一礼してから先を行く剣士の後に続いた。

 廊下を足早に進んでいくが、どんどん表の方、つまりケイロウの私的な空間ではなく、公的な空間の方へ向かっていくので、緊張せざるをえなかった。

 何か重大な話があるのだろうか。

 一つの広間のそばで、不意に剣士が足を止めた。その広間に入れということか、と追い越そうとすると剣士が振り返り、「こちらで」と身振りで今の場所を示す。

 解せないでいる俺に、囁き声で指示がある。

「ケイロウ様はここで、オリバ殿に一部始終を聞いていていただきたい、とのことです。そうか、ここにいてください」

 一部始終……?

 剣士が離れていく。仕方なく俺はその場で膝を折って座った。

 少し待つと気配が近づいてきて、その密やかな気配が広間へ入っていく。少し遅れて、今度は大きな足音を立てて誰かがやってくる。足音からしてケイロウだろうと思っていたが、まさにケイロウだった。

 俺が控える廊下に入ってくるので、正面からに向かい合う形になった。

 俺は頭を下げるが、その寸前に、ケイロウが真っ赤な顔をしているのがわかった。声をかけることもなく、彼は俺の目の前にある障子を開けて、部屋に入っていった。

 ケイロウが座る気配の後、彼が「楽にせよ」と声にするのが俺にはよく聞こえた。

 こうやって室内の様子を聞いておけ、とケイロウは俺に求めているらしい。しかし、何故? 話をする相手は誰だ?

「事故だったとか」

 ケイロウの言葉は強張っている。

 その通りでございます。

 返事の声を聞いて、俺は思わず唸りそうになった。

 声は、間違いなくカイリだった。

「どのような事故か、説明せよ、カイリ」

「稽古の中の、わずかな手違いによるものです」

「どのような稽古だ」

「竹刀での乱取りでございます」

 話の内容からして、ケイロウはカイリの何かを咎め立てしているようだ。事故、稽古、乱取り、という言葉が出たから、おそらくカイリが剣術指南役として城の道場でやっているだろう稽古のことだ。そこで、何か問題があったのかもしれない。

「乱取りで何故、怪我をする?」

「不運としか、言えませぬ。誰にも咎はないかと存じます」

「タンゲに怪我を負わせただけでも咎ではないか」

 ケイロウの声が冷ややかだっただけではなく、何か冷たい空気が俺の胸に吹き込んできた。

 タンゲが怪我をした?

 いつ? いや、いつも何もない、今日のことだろう。今朝もタンゲはカイリの稽古を受けたはずだ。

 そこで事故があったのか。

「どこの道場でも、怪我をするものはおります」

 カイリは抗弁するというようでもなく、淡々と言葉にしていた。それにケイロウは怒りを滲ませているようだが、口調はあくまで冷淡だった。

「稽古の責任を取るのが、剣術指南役である、そなたであろう」

「私の責任に相違ありません。タンゲ様の怪我は、無念です」

 無念?

 その一言で俺は自分が激発しそうになるのを感じ、そのことで自分が話を聞いているだけで激しい怒りを掻き立てられていることに気づいた。気付きさえすれば、冷静になれる。同じように、ケイロウも冷静さを保っているのだろう。

「責任は取ってもらうぞ、カイリ」

「首を打たれますか」

 カイリの口調は不自然なほど静かだった。

 何かもが織り込み済みのような。

 どういう質のものであれ、覚悟の上でこの場にいるのがわかった。

 そしてカイリはきっと、ケイロウが自分の首を打たないと確信しながら、わざと首を打つかと迫っている。

 ケイロウがカイリの首を打つ可能性がまったくないわけではない。

 しかしカイリは、自分はケイロウが見出した剣士であり、その自分はケイロウにとって得がたい存在とも見ている。そうカイリ自身は想像し、ここに臨んでいるはずだ。ただし、ケイロウが俺をけしかけているのを知らないのだから、当然、自分が処分される可能性を議論されているとは思うまい。

 ここでケイロウは、カイリを処断するだろうか。それとも見送るのか。

 ケイロウにとってはカイリを放り出す格好の理由であり、大義名分として不足はない。

 切るか、切らないか。

「謹慎せよ」

 ケイロウの決断は、先送りだった。

 は、と短く返事をして、部屋の中で誰かが動く気配がした。その気配が静かに遠ざかり、やがて消えていった。ケイロウは俺とカイリが鉢合わせしない場所を選んで、俺を配置したのだ。タンゲが怪我を負ったことで怒りに駆られても、その程度の冷静さがあったということだ。

 そもそも俺に様子を知らせることも、冷静さの表れだ。

 障子が開き、ケイロウが姿を現した。俺は頭を下げるが「ついてこい」と彼はぶっきらぼうに口にして、横を抜けていく。俺はゆっくりと立ち上がり、彼の後に続いた。

 ケイロウは城の奥へ進み、一つの部屋を選んでそこに入った。俺も続く。ケイロウが歩きながらそばに置くものを遠ざけたため、いつの間にか二人だけになっていた。

 腰を下ろしたケイロウが、獣が威嚇するような声で「座れ」と口にするので、俺は彼の正面に腰を下ろした。

「今朝、事故があった」

 ケイロウの声はもう、静かなそれになっている。聞き取りやすく、明瞭な発音だ。

「剣術指南役の指導を受けている中で、タンゲが腕を打たれ、怪我を負った。腕は腫れ上がり、ものは持てないようだ。医者を呼んだが、骨が折れているようだという」

 それは、といいかけて、俺はその先を口にできなかった。

 タンゲの怪我は治るのか、医者はなんと言っているのか。

 その事故は、本当に事故なのか。誰かによる意図的な行為ではないのか。

 俺が言葉に詰まっている間に、「私も知らん」とケイロウが唸る。

「本当に事故なのか、それとも誰かの悪意なのか。しかし、もしかしたらカイリの悪意かもしれん」

「いえ、それよりも」

 俺はケイロウの考えに、冷淡なものを感じた。

 彼は息子の怪我よりも、その背景が気になるのか。

「タンゲ様の怪我はどの程度ですか」

「それは、医者が知っている」

 ケイロウは顎に手をやり、じっと床を見据えている。

「ケイロウ様」

 俺の言葉に彼は視線だけをこちらに向けた。

「タンゲ様と話をしたいと存じます。お許しいただけますか」

「好きにせよ。できるなら、タンゲから何が起こったか、聞いてくれ」

 は、と頭を下げ、俺は立ち上がった。

 俺は部屋を出る時に後ろを振り返ったが、ケイロウはまだ床を睨みつけていた。

 城の奥へ進む途中で場所を聞き、タンゲのいる部屋の前に着いた。踏み込んだことのない場所だった。城に軟禁されているという立場を考えて、歩き回ることを控えていたせいだ。

 さて、着いたが、入る前に、廊下に座り込んでいるチセが目に入った。彼女も俺の気配に気づき、こちらを見やる。

 歩み寄る中で、彼女が今まで泣いていたことが、目が赤く、まぶたが腫れていることでわかった。

 そのチセが立ち上がりながら最初はゆっくりと、それからすぐに走り出し、真っ直ぐに俺に飛びついてきた。

「お兄様が、怪我をしたのよ、オリバ、怪我をして……」

 落ち着きなさい、と声をかけると、チセはハッとしたように目を見開き、声を飲み込むと俺から距離をとった。それでも堪えきれず、消沈した様子でチセは俯いた。

「中に入ってもよろしいですか」

 できるだけ冷静さを見せ、チセを落ち着かせることを願いながら問いかけると、「お母様とお医者様が中にいます」と答えがあった。

 俺は一礼し、襖の前に立つと「オリバです」と声をかけた。

 どうぞ、と答えたのはタンゲではなくモモヨの声だった。

 俺はゆっくりと襖に手を伸ばし、そっと開けた。



(続く)

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