第29話 論理

       ◆


 タンゲに剣術を教えることを受け入れたのは、ある意味ではケイロウへの義理であり、ある意味ではタンゲへの情だっただろう。

 どちらにせよ、中途半端で、結論の先送りに他ならない。

 まず朝からカイリの稽古を受け、午後になると俺の稽古を受けるのがタンゲの日課になった。

 俺は城にいるものの、カイリの稽古を眺めたり、参加することはない。ケイロウにも釘を刺されたし、そもそも興味がない。それにさすがに俺でも、カイリの前に姿を見せれば余計な疑念、疑心が生じるのは想像できる。

 タンゲがやってくるまでの昼までの時間、俺が何をしているかといえば、チセの話し相手をしていることが多かった。

 彼女の興味は尽きるところがなく、俺が旅してきてこれまでに見聞きしたことを、ほとんど全て話させようと企んでいるようだった。

 様々な街のこと、都のこと、有名な寺社の話、各地の食べ物、人々の服装、旅の中での危険な場面などなど。

「私もオリバみたいに生きられたらいいのに」

 チセはそのようなことを表現こそ違うが、頻繁に口にした。それが彼女の本心なのだろう。

 ハバタの領主の娘に生まれた以上、彼女には俺のような自由は到底、望めない。あるいは家がなくなれば、彼女は何のしがらみもなく、自由になれるかもしれないが、確実ではない。そもそも家がなくなれば、後ろ盾もなく、支援者もなくなり、追われる身になることもあるだろうし、やがては銭に困り、惨めな思いをすることは間違いない。

 その境遇にチセが耐えられるかといえば、無理だろうと俺には見えた。

「オリバはどこを目指しているの?」

 そんな質問も繰り返された。

 その質問は、俺がちょっとした旨い料理に出会った話をした時や、都の祭りで人々が騒いでいるのを眺めた話をした時、そして北の地で大雪に遭遇して死にかけた話をした時、そういう場面でチセの口から出てくる。

 彼女は、俺の旅のことを質問しているわけではない。

 俺が料理人を目指しているわけでもなく、遊び人になりたいわけでもなく、ただ死のうとしているわけではない、とチセは感じ取り、では何者になりたいのか、と俺に問いかけているのだ。

 難しい質問だ。

 俺は剣の道に生きている。強い剣士を探し、その技を学び、場合によっては相手を倒し、そうして研鑽するのが生きる意味である。

 ただこれは、理解しやすいものではない。

 言葉を探せば、強い剣士を探す理由は、俺の個人的な好奇心のようなものだし、技を学ぶのも剣術が面白いからだ。相手を倒すのは、実際に自分の技量を確認するわけで、誰でもいいから切り殺したいわけではない。そして自分の技が仮に高まったとしても、それがいきなり銭に化けたりはしない。

 そう、剣を究めることは、全く個人的な欲求から欲し、個人に帰結し、何も生み出すことがない。

 それは商人や農民とはまるで違う。探してみれば、かろうじて博打打ちが一番近い立場になるかもしれない。

 チセには、俺が何のために剣を手に取り、何のために旅をしているのかは、想像できまい。

 俺自身にすら、自分がどこへ向かい、どこで旅を終えるか、想像できなかった。

 明日とは言わないが、何かの折に、ほんのちょっとした失敗で死ぬかもしれない。

 全てが無駄になり、後には何も残さず、綺麗さっぱり、消えて、失せる。

「オリバは自由なのね」

 俺が返答に困る様子を見せると、チセはそう言って無邪気に笑う。

 実に寛容で、おおらかな少女である。

 そんな具合で、俺は少女の相手をして、その兄が戻ってくるのを待つ。

 昼になると「お稽古があるから」とチセが下がっていき、やっと一人の時間になる。俺は借りたままになっている書籍を開いて、時間を潰した。旅籠で寝起きしていれば、この時間に何かを食いに出掛けることもできたが、城の中ではそんなことはできない。

 ケイロウからは、欲しいものがあれば好きに言ってくれ、と言われているが、まさか毎日、昼間に蕎麦をすすりたいなどとは言えない。

 昼間なので、日に当たっているとそこそこに暖かい。なので俺は部屋ではなく、庭に面した廊下の日向に横になって書籍を読んでいた。

 たまに城のものが通りかかると、怪訝そうな顔をしたり、何か変な生き物を見たように俺の方へ視線を送り、無言で通り過ぎていく。

 何も言われないあたり、俺は城のものには得体の知れない客人、ということだ。

 あるいは野良猫のようなものと思われているのかもしれなかった。

 そうこうすると、タンゲが二本の木刀を持ってやってくる。

 竹刀でも良かったが、竹刀はいかんせん、軽すぎる。別に打ち合うわけでもないので、竹刀よりはわずかに重い木刀を選ばせたのだ。

「よろしくお願いいたします」

 タンゲは最初の時とは別人のように、丁寧な口調で言って頭を下げ、俺は無言で頷くだけ。

 庭へ降りて、タンゲは木刀を構えると、基礎的な型を始める。

 俺が教えた、鳴海流の基礎の基礎だった。これは流派の色が出ない、どの流派にもありそうな動きである。素人向けというより、初心者がまず身につける動きだ。

 しばらくタンゲの様子を見てから、俺は静かに、いくつかの動きを言葉で修正する。

 俺の言葉を聞いて、タンゲはその動きを理解しようとしながら木刀を振るう。手探りの動きで、やはりズレている。修正できないと見たら俺は少ししてから、また言葉で、ズレを指摘する。

 型には大きな意味があるとする流派と、型には意味はないとする流派がある。これはそれぞれの流派のそれなりの使い手が、自分の経験則で語っているわけで、どちらも間違っていて、どちらも正解だ。

 俺はタンゲに最初に型を教えた時、一つだけ伝えておいた。

「相手が型通りに打ち込んでくることはありえない。とにかく、自分が狙う筋へ、ピタリと剣を繰り出せるようにするんだ」

 これは俺の理屈だが、剣術における理想形は、相手の隙を正確に攻めることだ。

 そのためにはまず目が必要になる。相手の動きを読み取り、即座に先を読む力。視力とは少し違う、観察力、洞察力のようなものだ。

 次の段階で、読み取った相手の弱点を、正確に攻める技術が必要になる。大きな隙はもちろん、小さな隙でもそこから崩して行けば、勝ちを拾える。

 これを実際にするために、ここだと思った場所へ、正確に刃を送り込める技が意味を持つ。

 もっともある程の使い手になるには、長い努力と同時に、高い資質が必要である。経験が意味を持つ場面もあるが、実戦というのは無意識の領域、本能の領域、そして霊感の領域でもある。

 タンゲにはまず努力させる。その中で自分の資質に気づくだろう。

 資質があるか、ないか。あるとしても、ないとしても、その先を決めるのは本人になる。

 冷え込んでいる季節だというのに、庭で木刀を振るう丹下はすぐに汗をかいて、着物の色が湿り気で変わっていく。

 俺は時折、タンゲの体の動きを実際に手を添えてやり、修正した。言葉では修正できないものは、こうするよりない。

 言葉は少なく、手を貸すのも最低限で、とにかくタンゲ自身に考えさせる。

 剣術は誰にでも扱えるようで、部分的にどうしても使えない型が存在する。

 理由は単純で、体の作りが一人一人、違うからだ。例えば一人一人を見ていくと、腕の長さや足の長さが違う。関節の柔らかさも違うし、筋肉のつき方だって違う。

 それでも剣術の理屈は、大勢の実際的な経験を経た合理性に拠っているので、否定はできない。

 必要なのは、自分が生きる筋を模索することで、極論すれば自分が不利になる型を身につける必要はない。自分に不利になる型を有利な型に変えるには、自分を理解し、技を理解した上で、発見するしかない。

 これは一朝一夕ではできないし、俺自身も究めているわけではない。旅の中でそういう理想を語るものが多くあり、俺も体感してきた要素であるだけのことだ。

 自分の理想は、自分との対話からしか生まれない。

 自分との対話とは、言語に置き換えることだった。

 心に刻まれた理屈が無意識に理屈ではない形で表出するのが、俺が感じる剣の技の一側面である。

 ともかく、俺はタンゲが木刀を振り続けるのを眺めて午後の時間を過ごす。

 タンゲのそばに仕えるものがやってくるのは二時間ほど後の事。その時にはタンゲは息が上がって肩で呼吸している。

「ありがとうございました」

 いかにも爽やかに、礼儀正しくタンゲは頭を下げて、木刀を回収して去っていく。

 残された俺は廊下に一人で座り込み、庭を眺めることになる。

 若いものは元気だ。身も心も。

 俺のように、窮屈ではない。

 薄日の中、遠くでカラスが鳴き、俺は憂鬱になるのだった。



(続く)

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