第28話 駆け引き
◆
「私を守れるのは、お前だ」
ケイロウはまだ俺を見ている。
俺も彼を見ていたが、思わず瞼を閉じた。
闇。かすかな明かりがあるようにも思える瞼の裏側で、俺はじっと耳に集中した。
「お前の技量はよく知っている。私の側にあって、守ってくれ」
「それは」
俺はまだ目を閉じていた。
「配下の兵を使えば、容易なこと」
「十人の兵より、一人が心強いこともある」
さすがに俺は口元に笑みを浮かべてしまった。
「そのようなことはありません。どれだけ優れた一人でも、数には勝てない。戦がまさにそれでしょう。ケイロウ様はよくご存知のはずだ」
「それでも一人が頼りになることもあるのだよ」
不意にケイロウの声に弱いものが混じったので、俺は瞼を上げた。
そこには不敵に微笑むケイロウがいる。どうやら誘いに乗ってしまったようだ。
はねつけるつもりで、首を左右に振る。
「私にはできません。私は万能ではないのです」
「ではもっと簡単なことを一つ、任せたい」
なんでしょう、とは聞かなかった。
わかっているのだ。
「カイリ殿を切る理由が、私にはない」
先回りして俺が指摘すると、嬉しそうにケイロウは破顔した。
「分かっているではないか。私はお前にはできると見ている。お前にしかできないと見てもいる」
「答えは先ほどと同じです。カイリ殿をどうしても切りたいのであれば、十人なりで押し包めばいい。違いますか」
口調を整えるのも難しいほど、俺は苛立っていた。
俺のことをなんだと思っている。刀を上手に振る人形とでも思っているのか。
「カイリは、実力で剣術指南役になったのだ」ケイロウが鋭い眼差しを見せる。「それを倒すには、実力をもって倒すという過程が絶対に必要だ。私が、自分に都合のいいものを集めているのは、裏向きのこと。表向きには、有能なもの、才あるものを取り立てているとしたい」
まったく、この男は実に正直だ。
カイリは自分にとって都合が悪く、俺はちょうど都合がいいと言っているのだ。
その俺だって、いつ都合が悪くなるか、知れたものではない。
そういう計算をされることを含んで、ケイロウは言葉を口にしている。それは間違いない。
甘く見られているのか、それとも認められているのか。
「ここまで身勝手な方はそうそう、見ることができないな」
思わずぞんざいな口調で応じていたが、ケイロウは動じたところがない。普段通りである。怒りもしない。
それどころか、鷹揚に頷いたものだ。
「身勝手なのは承知の上。ここは私が治める地であり、私の城だ。全てが私のものだ、と言ってしまえば、さすがに言い過ぎだろうが」
「よく道理をご存知だ」
「そのような嫌味はいらんよ。私が処断したものの中には、似たようなことを喚きながら首を打たれたものもいる」
「真実を口にして、首を打たれたのではたまりませんな」
違いない、とケイロウは笑っている。
俺は別に酒に酔っているわけではないが、この男の大胆さ、極端さを理解し始めて、同時に納得し始めていた。好きか嫌いかと問われれば、どちらでもない。味方になりたいか、敵になりたいかを問われれば、関わりたくない、と答えるだろう。
世間にはこのような男もいるのだ。
奸雄と呼ばれるほどではなく、小狡いと表現するよりは大きなものが好きな、変人、奇人だ。
「オリバ、お前を頼りにしている。いざという時には、頼む」
勝手に頭を下げる領主に、俺はじっと視線を注いだ。頭を下げるといっても、ちょっと首を垂れた程度だ。誠意という奴がだいぶ、というか、ほとんど見えなかった。
いざという時も何も、この城にいて、危険などあるものか。
それに俺はケイロウに張り付いているわけではない。
いや、俺を軟禁しておいて、しびれを切らしたところでまずは自分のそばに置くことから始めるのだろうか。そういう懐柔はありそうだ。もしかしたら解放の条件を口にしたりして、駆け引きを仕掛けてくるかもしれない。
困ったことに、俺はこの領主を守りたくもなんともないが、この領主の考え次第で、自由になるかどうかが変わってくる。目の前にいる男が、俺の首筋を抑えているに等しい。
最も手早い道筋は、理由を捏造してでもカイリを立ち合いの場に引きずり出し、一対一の剣術比べをすることだった。
もし俺が敗れればそれまでだし、俺が勝てば、もうハバタにいる理由はない。そのはずだ。いや、そうしよう。無理矢理に、強引にでも。
しかしカイリは容易な相手ではないし、勝手な理屈で騙し討ちするくらいなら、別の道を探りたい。
ケイロウは何故、俺を懐柔しようとするように、カイリを取り込もうとしないのだろう。
もしかして、実は別の場所でカイリに働きかけているのか。それがうまくいかないがために、より容易そうな相手として俺の方にも働きかけているのか。
それなら、俺とカイリが再び切り結ぶことがあるとすれば、それが単にカイリを排除するための場ではなく、カイリの立場を補強するために俺を死なせる場である、と言えるかもしれない。
俺などを殺しても箔がつくとは思えないが、俺はゼンキを殺し、アマギも殺している。あるいはその部分で、ちょっとした意味があるのだろうか。自分のことだから、よくわかっていない。
「そういえば昼間のことだが」
不意にケイロウの口調が変わった。
「タンゲがお前に切りかかったらしいな。どうだった」
どうだったも何もない。
「未熟ですな」
容赦ないな、とケイロウが失笑するが、今までの笑いとはそれはまるで違った。
父親の笑みだ。モモヨの笑い方と似ている、慈愛の微笑み。
俺が向けられたことのない笑みだった。
「どうだ、オリバ。しばらくタンゲに剣術を教えてやってくれないか」
意外な言葉だ。
「それは、剣術指南役のカイリ殿を無視してはできないのではありませんか?」
「無論、カイリのやっている稽古にも参加させる。それとは別に、お前が稽古をつければ問題あるまい」
それはまあ、形の上ではカイリの顔も立てているが、カイリとしては不快だろう。剣術の師弟関係は、よそのものの介入を嫌がる傾向にある。それは単純に、継承する技に余計なものが混ざるのを嫌うというより、もっと生々しい人間関係のようなものだった。師弟とは、血の繋がらない親子のようなものである。
慎重に言葉を選んだ。
「感心しませんね。カイリ殿に正直に打ち明けるべきです」
「カイリは承知しない。承知しないのなら、伝えても無駄だ」
そんな乱暴な、と言いたかったが、ケイロウの乱暴さはもうよく知っている俺だった。
「問題が起こることを望んでいる、というわけではない。そのことを明言していただきたい」
「問題が起こることは望まない」
あっさりとケイロウが口にするので、逆に疑ってしまう。この男の言葉ほど、信用するべきか、曖昧なものはない。何を考えているのやら、底が知れない。
どれだけ疑っても、どんな相手であろうとその真意などわからないのだが。
承知しました、と俺は頭を下げた。下げるよりない。
タンゲにどれだけの素質があるかはよく知らないが、身を守れる程度のことはできた方がいい。いずれはハバタ家を継ぐのは彼なのだ。継承に問題が起こった時にも、武芸がまるで役に立たないことはないだろう。
そのタンゲと俺に師弟のような関係を結ばせるのも、ケイロウの策かもしれない。それは想定しておくべきだ。そしてそこから、俺とカイリを誘導していく?
ともかく、心しておこう。
この夜は遅くまで二人で話したが、話題はそれぞれの昔話になり、血生臭く、悪意を披瀝するような形になった。ケイロウは終始、嬉しそうだったが、俺は正直なところ、うんざりした。
年をとると、どんな内容でも、昔というものを懐かしく感じるのかもしれない。そんな感想しかない。
ケイロウの面に、タンゲのことを話した時のような種類の笑みは、この夜は二度と現れなかった。
(続く)
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