第27話 昔語り

      ◆


 食事は狭い部屋でだった。

 いかにも、私的な空間という趣である。

 部屋には俺とケイロウだけ。廊下にも誰もいないようだ。そもそもこの部屋自体が離れのような作りになっている。通じている廊下は一本だけである。障子が二枚あるが、どうも開かないようである。

 膳はすでに用意されていて、ケイロウは俺を待つことなく、食事をしていた。

 俺が入ると、座れ座れ、と差し招く。あまりにも無防備なので、俺は逆に自分の腰にある刀を意識した。罠かもしれないと思ったのだ。俺を油断させ、隙を見て槍か何かで刺し殺せばいい。

 もっとも、空間自体が狭く、外部は見えず、構造も知らない。

 俺には有利な点は一つもなく、あるのは不利だけだった。

 怪しまれないように身構えながら腰を下ろし、膳を前にする。自然、刀を鞘ごと腰から抜いたが、ケイロウは少しも気にした様子はない。雰囲気もだが、視線がまったく俺に集中していない。

「そう構えるな、オリバ。ここには私しかおらん」

 はい、と答えたが、さて、事実かどうか。

 フゥム、とケイロウがこちらを斜めに見る。

「そこまで私は信用できないか」

「……いいえ、滅相もない」

「ここは冗談を言うところだぞ。信じていない、とな」

 勝手に笑い始めるケイロウを前にして、俺もこれが罠ではないとおおよそ決めつけることができた。もし罠だったら、その時だ。

 ほら、とケイロウが徳利を持ち上げるので、俺は盃で酌を受けた。徳利など、あまりにも不釣り合いだったが、盃を口につけてみると暖かい。そうか、燗をつけるような季節なのだ。

「昔語りを聞く気はあるか、オリバ。酒の肴の足しになる」

 断る必要もないので、「ぜひ」と答えた。その答えが気に入ったようでもない表情で、しかしケイロウは話し始めた。

 元は兵士を束ねる立場だったケイロウは、武功を立てて、とある有力者の側近になった。

 並び立つものとの激しい競争の後、有力者の懐刀として認められ、その有力者が急死すると、今度は後継者争いを戦い抜き、結果、ハバタの領地を治めることになる。

 そんなどこにでもありそうな話だった。

「戦さ場にいる時は、斬り合いをしている方が楽だった。相手を切れば切るほど、出世するのだからな。しかし戦が終わると、心底から斬り合いはごめんだと思ったものだ。他のものも似たような心情だっただろう」

 盃を揺らしながら、ケイロウは言葉にしていく。

「敵の将校の首をはね、それを腰にぶら下げてさらに戦った。場合によっては腰に首が三つもぶら下がったりしてな、刀が振りにくいほどだった。戦が終わって、いざ首実検になるのだが、何度か、将校ではないとされて褒美をもらい損ねたこともあった。オリバは戦を経験しているか?」

「はい、一度」

 もう十年近く前のことだった。

 この世で最も大きな戦と呼ばれることになる戦、その戦場を俺は実際に駆け回った。

 褒美や仕官が目当てではなかった。

 ただ自分の腕を知りたかっただけだ。

 そのために浪人を求めている有力者の元へ行き、他の流れ者とともに傭兵として雇われ、隊を作り、戦場へ出た。

 結果としては、収穫があったかはわからない。

 少なくとも俺は、自分に人を切る能力があるのは知った。どこまでも非情に、冷酷に、残酷に、刃を振り続けることができる。

 それは例えば敵だけに及ばず、味方も含めてだ。

 俺が引きずって下がらせれば助かる仲間が何人かいた。

 しかし俺はそれをわかっていて、見捨てた。

 それよりも敵を切ったのだ。敵は数え切れないほどおり、常に、休みなく、俺の命を狙っていた。

 助け合った仲間もいたが、倒れた仲間がいるという事実のために、俺は戦の後、一人で苦悩することにもなった。

 俺は助ける仲間を選んだ自分を、平穏の中で見つめた。

 強いものと弱いものがいる。

 強いものとは助け合えるが、弱いものとは助け合えない。

 血も涙もない理屈を受け入れるのには時間が必要だった。

 俺は生き延び、しかし巨大な重荷を心に感じながら、褒美としての銭をもらい、再び旅に出た。

 俺にのしかかった圧力を軽くしてくれたのは、俺が切った一人の剣士だった。

 その剣士は、切り結ぶ前に俺に言ったのだ。

「強い奴が生き残るのが世の摂理よ。弱いものは何かを言うことさえ許されんのさ」

 実に変わった男で、頭がおかしかったかもしれない。

 しかし腕だけは確かだった。あの男の刃を受けた時の傷跡は、今も俺の右脇腹に残っている。

 ケイロウが話を続ける。

「戦が嫌になって、私は何とか、戦を監督する側へ回ろうとした。まずは隊を後方から指揮したが、あれはあれで重圧があった。隊が崩壊すれば私の不手際であり、処罰される。隊が戦局に関与できなくなれば、やはり咎められる。多くの部下が死んでいったが、ともかく、私は隊をうまくまとめた」

 それからケイロウは、その頃の部下の名前を挙げ始めた。特に意味はないのだろう。意味があるとすれば、ある種の弔いだろうと思う。彼はこうして死んでいったものを時折、思い出し、丁寧に埃を拭うようにしてやり、そしてまた元の場所へ戻すのだ。

 記憶の奥、普段は見えないところに。

 ケイロウがぐっと盃を傾ける。俺は徳利で彼の盃を満たす。すでに酒は冷めていたが、彼は気にしないようだった。

「奴らの分も生きなければいけないと、そう思ったこともあった。しかし死んだ奴は、あまりに多い。三人や四人の命なら、背負えたかもしれない。十人は無理だろう。だが実際には百を超えるものが、私の元で死んだ。私は、押し潰されないために、一度、全てを忘れたよ。それで楽になれた」

「完全には忘れられないかと、存じます」

「その通りだ、オリバ。お前は、自分が切ったもののことを、忘れるか? 忘れないだろう?」

 忘れません。

 俺は答えて、盃を傾けた。

 切ったものを忘れることはできない。切るべき理由があって切ったのであって、覚えているために切ったのだ。

 俺が倒した剣士は、何らかの形で俺の中に残っている。

 あるものは技として残り、あるものは経験として残る。本能に何かを刻み込んだものもいる。

「思い返すと、まるで今も生きているようにも思う」

 ケイロウの視線が障子の方へ向くが、もちろん、ただ障子があるだけだ。

「何かの折に、訪ねてきそうな気がする。そして酒を飲んで、昔語りをする。夢だな。空想だ」

 俺はどうとも答えずに、黙っていた。

「オリバ、私の元へ来い」

 声を受けても、俺は顔を上げずに、手元を見ていた。

 手元の盃を。

 ただの盃を。

「私のために、働いてくれ」

「できませぬ」

 顔を上げると、ケイロウの顔は灯りの中で深い陰影を浮かび上がらせていた。

 それはまるで隈取りのようにも見えた。

「ケイロウ様は、私を卑怯な手で引き留めた。それが理由の一つ」

「お前に無駄な人斬りをさせたことを言っているのか?」

 鼻で笑ったケイロウが、身を乗り出す。

「あれはお前の腕を試す意味もあった。お前の腕前は、私が見込んだ通りだった」

「勝負は時の運。それよりも、私を取り囲んだケイロウ様の手勢、あの数十人がいれば、一人や二人の剣士など、容易にもみ潰せます。違いますか?」

「違わないな」

 ケイロウが盃を干し、こちらに突き出す。俺は徳利を手に取り、酒を注いだ。

「私を助けると思え」

 俺はじっとケイロウを見た。ケイロウもこちらを見ている。

「お前が頼りなのだ」

 声は今までと変わらない、一方的で、静かで、しかし圧力のある声だった。

 ただ眼差しには、今までにないすがるようなものがある。

 俺は徳利を手元に引き、もう一度、ケイロウを見た。

 ケイロウはこちらを見ている。

 俺の真意を探ろうとするような眼差しでありながら、俺の心の奥に何かを送り込もうとしているようでもあった。

 俺はゆっくりと盃を口元へ運び、しかしその間もケイロウの視線に視線をぶつけ続けた。

 二つの視線は、ピタリとお互いだけを見ていた。



(続く)

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