第26話 危惧

     ◆


 女性の名前はモモヨという。彼女がそう名乗った。

 朝からチセ、そしてタンゲの訪問を受け、さらに奥方であるモモヨの訪問もあり、あっという間に昼間を過ぎた。

 モモヨと話が終わり、彼女が去ろうとするのへ「書物が欲しいのだが」と言ってみると、彼女は大らかな笑顔で「どのようなものがお好みでしょう?」と丁寧に確認してくれた。

 俺がいくつか書名を上げると、「届けさせます」と返事があり、少し待っただけで書籍が数冊、俺の元へ届けられた。

 というわけで、真昼間なのに俺は部屋にひとりきりで、だらしなく寝そべって書籍をめくっていた。

 考えているはモモヨのことだ。

 彼女がカイリについて口にした懸念。

 モモヨの個人的な意見なのだろうが、それが公的なものか、私的なものかは判断がしづらい。

 ともかく彼女が言いたいのは、カイリがハバタ家を乱すのではないか、ということだった。

 俺がまず指摘したことは、俺がアマギを切ったことは問題ないのか、ということだ。

 そう、そこが最大の問題なのだ。俺がアマギを切らなければ、何も変化は起こらなかったはずだ。俺はそう思っている。

 ただ、モモヨは違うという。

 アマギが存命でも、ケイロウの方針ではより強いものを求めるのに変わりはない。俺はたまたまゼンキを切っており、それがためにアマギと特別なつながりが生じていただけのことだというのが彼女の理屈だ。

 つながりがあろうとつながりがなかろうと、ケイロウはアマギに剣士をけしかけた、とモモヨは主張する。

 だから、仮に俺がここに来なくても、カイリがやってくれば自然とカイリとアマギが決闘をすることになった、というのがモモヨの言いたいことだが、そんなことが実際、あっただろうか。

 俺はどうしても疑問に思うが、起こらなかった展開を検証しても意味はほとんどない。

 モモヨの主張、モモヨによるケイロウという人物の行動の予測からすれば、アマギが倒れるのは近いうちに必ず起こったことで、俺の登場で現実になった。なったが、ケイロウの目論見ではより優れた剣士が剣術指南役の立場になるはずが、そうはいかなかった。

 俺が断ったからだ。その上、カイリに負けた。

 俺がもし、カイリを切っていればまた違ったのだろうが、実際には俺はカイリに逆に切られそうになり、結果から言えば、カイリの方が圧倒的に優れている、という形になった。

 こうなればケイロウは自分の主張をできる限り曲げずにいるには、カイリを仕官させるしかなかった。

 カイリが剣の腕に優れているのは、ケイロウの目論見通りだろう。

 問題はカイリの奥に見え隠れする野心である。これを俺は、ケイロウの口からも聞いている。そしてモモヨの口からも聞くことになった。

 領主という立場の難しさをモモヨは口にしていた。

 配下の者をいかようにも出来る立場だが、気ままに、自由に処断していけば経営など破綻してしまう。それはモモヨが俺に話して聞かせた、力に関する観念的な理屈にも通じるようだった。

 暴力だけで人を支配できる世でもなく、そもそもいつの世でも、暴力だけによる支配は成立しなかったはずだ。暴力を権力と置き換えてもいい。財力に置き換えてもいい。一つだけでは無理なのだ。

 ともかく、モモヨもケイロウと同じく、カイリを警戒していながら、表立ってカイリを排除する方法に迷っている。だからケイロウは俺をこうして無理やりに取り込もうとし、モモヨは言葉で俺をけしかけた、というのが実際だろう。

 ただ、モモヨの言葉には、さすがの俺も無下に出来ないものがあった。

 あの兄妹。

 タンゲとチセ。

 モモヨは二人のことを持ち出した。まだ若く幼い二人のことを考える母の姿は、俺を揺らがせるのには効果的だった。

 俺からすれば、このハバタの地の領主がどうなろうと、大した興味はない。何かに失敗し、破滅する領主など掃いて捨てるほどいる。

 だが、ケイロウの破滅は、タンゲとチセの破滅でもあった。

 俺よりも若い二人を、このまま見捨てるのは、なんというか、寝覚めが悪い。

 くそ、と思わず声を漏らしそうだった。

 ケイロウはもちろん、モモヨもハバタの家を二人の血統に継がせようとする。これは全く自然なこと。そして優秀な家臣や配下を自分の子のために整えること、これも全く自然。

 ケイロウが領主なんだぞ。

 だったら一人の剣士など、自由に放り出せるはずだ。

 どうしてそれをしないのか。

 カイリはつまり、よく切れる刃なのだ。敵を切るのには役に立つ。武器としては優れている。しかしちょうどいい鞘がない。鞘がない上に、刃自体がこちらを斬りつけようとする。

 武器は欲しい、という単純な欲を、ケイロウ自身が持て余し、モモヨでさえも答えを出せない。

 優柔不断と言えばそれまでのこと。

 それで破滅するなら、ケイロウとモモヨの不明によってである。

 割り切れない自分がもどかしい。

 俺がここでカイリを切ることができれば、とも思うが、そんなことをすれば、今度は俺がこの家に取り込まれてしまう。すでに十分、取り込まれているが、いよいよ抜け出せなくなるだろう。

 抜け出せないも何も、今でも城から出られないのだが。

 厄介なことだ。

 俺にはまだ、口にしていない要素もあった。

 それは、ホタルのことだ。

 彼女はケイロウを切るように俺に告げた。俺にその気はないが、この言葉を聞いてしまったことは、俺の中ではある種の棘、気がかりになっている。

 もしホタルがカイリにも同じことを告げればどうなるか。

 カイリの野心と、ホタルの野心が合わされば。

 ホタルは俺には端的な言葉だけしか言わなかったし、俺もそれ以上は想像もしなかった。

 しかし想像を膨らませていけば、ホタルは、ケイロウを殺して領主になれ、と言いたかったのかもしれない、と見ることはできる。ましてや野心家と目されるカイリがその想像をしないことがあるだろうか。

 彼も俺と同じ旅をする剣士という触れ込みだったが、旅をするものの中には、どこかの領主を追い落とし、その土地に君臨しようとするものはいる。旅をして剣を究める立場というのは、全くな根無し草のようで、地方の領主からすれば、多くのことを見聞した智者に見えることもあると俺は知っている。

 さすがにカイリは剣士を騙っているわけではない。

 俺を切る寸前まで届いたあの技は、間違いなく本物だ。

 ホタルとカイリの組み合わせが何を招くのかは、俺には想像できなかった。

 ケイロウとモモヨの危惧に共感することは部分的にはできるが、杞憂だと思う部分もある。その一方で、ホタルの秘めた意思を推測すると、ホタルとカイリの組み合わせはいかにも危険に思える。この危機感が、ケイロウとモモヨの懸念と重なると、さて、無視できるだろうか。

 繰り返し検討したが、答えなど出ない。

 その時にならないとわからないのだ。

 俺自身がどうしたいのかも、曖昧だった。

 ケイロウを守る義理はない。ケイロウのいいなりになる義理もない。

 では、タンゲには? チセには?

 わからん。

 皆目、わからん。

 書籍を繰っているが、内容は全く頭に入らなかった。

 人の気配がして顔を上げると、城のものが灯りを持ってきたところだった。いつの間にか日が暮れかかり、部屋は薄暗くなっていた。考えすぎている。もっと余裕を持っていなくては、不測の事態に対応できないことがありそうだ。

 城のものに礼を言うが、無言で頭を下げ、去って行った。

 灯りが入ったが、俺は書籍を閉じ、意味もなく口元を撫でながら、思案していた。

 どうも俺は、背負いきれないものを背負い込もうとしているらしい。

 タンゲもチセも放っておけ、と頭の中で声がする。

 否定する俺もいるが、あまりにも弱い。

 ため息を吐いたのは、何度目か。

 夕食がそろそろかという頃、城のものがやってきて「お館様がともにお食事をと申しております」と告げた。

 断れる立場にないのは自明だ。

 俺は立ち上がり、「案内してくれ」と言葉にした。

 いっそのこと、ケイロウの意見を聞いてみよう。彼のことを俺は特別に知っているわけではない。もっと理解すれば、俺の選択肢も増えるかもしれない。

 彼が残酷で、欲の深いだけの人物でないのなら、何か、別の可能性があるかもしれなかった。

 廊下に出て、城のものの案内で廊下を歩いた。

 すでに日は暮れかかり、空は闇に限りなく近づいていた。



(続く)

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