第25話 力
◆
「タンゲが無茶をしたようですが、お怪我はありませんか」
実に丁寧な人物である。自分の息子が刀を向けられてここまで平然としているのは、逆に怖くなる。
「私のようなもののことなど、お気になさらず」
「怪我はないのですね」
どこまで口にするべきか、判断が難しい。
「怪我をするような場面はありませんでした。それよりも、タンゲ殿がお怪我をされたかもしれません」
女性はちょっと微笑んだだけだった。
「それは自業自得です。先ほどの様子では、怪我などしていないでしょう。怪我をさせずに済ます、あなたにはそれだけの技量があるということですね」
「恐れ多いことです」
あの子は、と女性が話し始める。
「アマギ殿のことを尊敬していました。幾度か、剣の稽古をつけてもらったようですが、幼い頃、アマギ殿のような剣士になりたい、と口にして、お館様に叱られたこともありました」
剣士になりたい、か。
実に子どもらしい願望だった。
乱世において、剣士になることを目指すのは、とどのつまり人を殺して名を上げるというだけのことだった。そして子どもではなく、食い詰めた百姓の少年たちが、戦さ場に出て武功を上げることを、剣士になりたい、と表現していた部分もある。
幼いタンゲが見た剣士は、乱世の剣士とは違う、それは、例えば僧侶のような存在なんだろう。
ケイロウが幼いタンゲを叱ったのも、あるいは戦乱の世が終わりつつあり、これからは剣士として誰かを切ることではなく、領地を経営し、他の有力者と駆け引きをしていく、そういう血の流れない戦場をこそ意識していたからだろうか。
そのことを思えば、ケイロウが強い剣術指南役を欲しがるのもわからないではない。武力は武力として確保するが、その育成や指揮を領主ではないものに任せようという意図かもしれなかった。
万事に優れた人物など、そうそういるものではない。
「アマギ殿が亡くなられて」
女性の口調に悲しげな響きが含まれたので、俺はそっと彼女の顔を見た。
わずかに目を伏せ、庭の方へ顔は向けられていた。
「あの子は泣いたようでした」
先ほど、タンゲが俺に刀を抜いたのも、そこに理由があるということか。
アマギを殺した相手を倒したい。
ある種の仇討ちだ。
それはタンゲの中で今、どういう形で落ち着いたのだろう。
「そのような顔をなさらないで」
俺はじっと庭の石を睨んでいた視線を女性に向け直す。今度もそこには、慈悲深い微笑みがあった。
「庭から上がってくるときのあの子は、どこか吹っ切れたようでした。きっと、あなたのことをお認めになったのでしょう」
「そうでしょうか」
「そうですよ。オリバ殿の強さが、あの子にもわかったはずです」
「ほんの短いやりとりしかしておりません」
それでもです、と女性が笑う。
「この世はどうやら、落ち着きつつある。ただ暴力を振るう才能、残酷でいる才能だけでは生き残れない世の中になるのでしょう」
「同じことを、私も考えております」
「旅の剣士ともなれば、剣の価値、剣の意味を考えることも多いでしょう。私はこの城で、それと似たことを感じます。タンゲには強くなって欲しいですが、それは力を振りかざして、他を圧倒するような強さではありません」
ええ、と俺は言葉にして、視線をまた意味もなく庭の石に向けた。
強さというものが変質する時代が来ている。狡猾さこそが、生き延びる秘訣になるだろうか。
狡猾な剣技というものがないわけではない。しかしそれは正当な、正道な剣術とは違う。
剣術もまた、岐路にさしかかっているということか。
「稀に」
俺は言葉を選んで口にした。
「旅の中で力を持つ人物と関わることがあります。武力、権力、財力、様々です。大きな館に住む者もいれば、山野に住む者もいる。あるものは自分を守るために力を使い、あるものは弱いものを守るために力を使う。剣は剣として相手を傷つけ、権力は権力として誰かを締め上げる。財力はある時には剣を購うことができる。ともかく、誰もが力を求めています。力がないものは当然のこと、力があるものもさらなる力を欲さずにはおられない」
女性は黙って座っている。俺はそちらを見ず、まだ石に視線を注いでいた。
「私は一人で旅をする剣士です。力などたかが知れたもので、財力なども懐の財布にあるちょっとした銭だけです。館を持っているわけでもない。食事も質素なものでいい。どこかで野宿することもある。しかし、不思議と、不足を感じたことがない」
俺が見つめる石の表面に何があるのか。
何もない。
石は石だ。
「力を持つものは、俺からすれば歪です。何かの虜、亡者のようです。どこまでも求め続ける。何もかもを求め続けるのです。これは、おかしいように思える。何かが違う。私が言っていることは、間違っていますか」
問いかけられても困るだろう、と思ったが、女性は静かに返事をした。
静かだが、しっかりした声だった。
「いいえ、間違っていません。私はこうして城で起居していますが、時折、自分が分不相応なところにいると感じることがあります。多くのものが私に仕えている。料理をすること、掃除をすること、洗濯をすること、お裁縫も、誰かに任せようと思えば全て任せられる。私は何もせずに、毎日、好きな読み物を読んで過ごせるのです。百姓のように土にまみれることも、汗にまみれることもない。でも食べ物がなくなることはない。これは不思議なことです」
俺は女性の方を見なかった。
今、お互いの姿を見るよりも、お互いの心を推し量るべきだった。
声から。
声の奥にあるものを二人とも知ろうとしている。
「すべてはケイロウ様あってのこと。ハバタ家のものだから許されるのです。でも、そのハバタ家だって、いつ、何が起こるかはわからない。何が起こるかわからないから、その不安を鎮めるために、力を求めるのでしょうね」
この女性が力を信じきっていないのは、俺にとってはありがたかった。
ケイロウとは対照的な女性がいることで、この家の均衡が取れているのもわかった。
この女性がどういう立場で俺を判定するかは知らないが、このまま俺が都合よく使われ、捨てられることなさそうだ。
ただ、今の発言からすれば、俺をハバタ家に取り込もうとすることの必要性は、彼女も感じているのかもしれない。
彼女としても、自らの嫁いだハバタ家が崩壊するところを見たいわけがない。
「ご苦労、お察しします」
俺はやっと彼女に視線を送り、頭を下げた。
それで彼女もどこか深刻な、暗い雰囲気を霧散させると、「タンゲの腕前はどうでしたか」と話題を変えてきた。
しかし、腕前か。
「稽古不足です」
端的に表現すると、彼女は口元を隠しながら「遠慮のないお方ですね」と笑っている。
「あの子も自分で試行錯誤しているようですが、アマギ殿との稽古もなく、技らしい技もないのです。お館様もタンゲに剣術をさせるつもりがないようですから、仕方ありません」
「本人に」
タンゲを擁護する気になったのは、反射的な行動だった。
彼が幼い頃、剣士に憧れていた、という話を聞いたからかもしれない。
それは俺が幼い日に夢見た空想に、どこか似ている気もしたのだ。
「やる気があれば、形になるでしょう。稽古の中から、技は生まれるのですから」
そうかしら、と女性は目を細めている。
「オリバ殿のようにはいかないでしょうね」
俺がそれを否定する前に、女性が問いを向けてくる。
「オリバ殿は、ご両親はどちらに?」
「この世にはいません」
それは、と女性が頭を下げる。
「失礼しました」
「失礼ではありません。両親がいないからこそ、今の俺がいるのですから」
「私がもし」
女性はちょっとだけ間をおいて言葉を続けたが、その間の静けさは、どこか暗さを伴っていた。
「もし、ただの百姓の女だとして、自分の息子が剣士になりたいと言い出したら、叱って、決してどこへも行かせないだろうと、そういうことを考えました」
「俺の両親も、存命なら同じようにしたでしょう」
「オリバ殿は、それでも飛び出すように見えますが」
冗談なのか本気なのかはわからなかったが、俺は冗談で返した。
冗談でなければ答えられない、正解のない話題なのだ。
「両親は俺を切ってでも留めたでしょうね」
恐ろしいこと、と女性が笑ったので、俺も微笑む程度のことはできた。
両親が俺をどう育てたかったかは、わからない。幼い時に俺を残して死に、俺は偶然にも剣士の道を歩むことになった。
運命とは、わからないものである。
笑っていた女性が、「これを是非、お聞きしたいのですが」と言葉を向けてくる。
「なんでしょうか」
「今の剣術指南役、カイリ殿に関してです」
俺はそれとなく居住まいを正し、女性をもう一度、観察した。
穏やかな眼差しをしているが、何も見逃さないような目つきだった。
あるいはこれが、本当に聞きたいこと、話したいこと、ここに来た理由だったかもしれなかった。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます